【節約生#667】目的が「おかね」ではない
趣味で節約生活をはじめてみた。
健康で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦中。
「ふつう」の安心感、「おかね」の安心感
たまに考える機会があるのは「ふつう」であるための出費である。機会があるというのは、車を買うとか家を建てるとかの圧力があったりするためである。それが「ふつう」なのだと親に会うと言われることがある。
しかしながら「ふつう」であるための出費は、しなくてはならないものではない。彼らは税金のように考えているのかもしれないけれど、なくても困ることはない。
「ふつう」であるための出費は、「ふつう」でなくなる不安から逃れるためのものである。
お金はあればあるだけ良いという考え方も似ている。なぜお金が欲しいのか、必要なのかを計算したり予測していない。ただあればあるだけ良いのだ。今の2倍や3倍の収入があったとして、どうして豊かな生活がおくれるというのか。具体的に考えていないので、実際に大金を手に入れても豊かな生活にはならない。
彼らは常に周囲の視線を気にして過ごすことになる。「ふつう」かどうか「おかね」が他の人よりも多いのか少ないのか。
思考停止をして生きることになる。
気づいて価値観を書き換えないと一生ついて回る。
自分中心の節約、自分らしい生き方の節約
そもそもお金は最終目的ではない。何かを得るための手段である。
そしてその何かは、ひとによって違う。
ありふれたもので豊かな生活がおくれるなら、使うお金だって少ない。逆に、希少なものなら高くなる。
自分の今の目的は、健康で文化的な生活を続けることである。
一言で言うと、人間らしい生活をしたい、ということになる。
ブラック企業でしか働いたことがないので、人間らしい生活をしたことがなかった。
具体的には、不健康で、心身に余裕のない生活である。ずっとその生活であった。周りからはそれが普通なのだと言われたし、その普通のライフスタイルを求められてきた。
人間らしい生き方は自分らしい生き方と重なる。
言い換えると、ずっと何年も自分らしいと思えるような生き方をしてこなかった。
お金をそれほど使わないなら、ブラックな働き方をする必要がない。収入のために健康と文化を捨てなくてよい。
自分中心の節約を目指している。
それは、心地よさであったり、考え事をする時間を確保することである。こころも体も豊かになれる。時間に追われず、自分のしたいことを考えて進める。
自分中心にしたら「ふつう」は意味がないことがわかる。自分の価値観や生き方には持ち家や車は必要がない。多量の「おかね」も必要がない。死ぬときにいくらもお金がないことが理想である。全部使い切りたい。
自分こそが人生の主人公であるという言葉がよく使われる。
主人公とは仏教用語でもある。
自分らしく生きるということは自分が、自分の主人である必要がある。思考停止をせずに、自分のしたいこととすることを磨いて生きたい。
そうすると自然と節約にもなると考えている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?