こんにちは、Chaiです。

最近急に、腑に落ちる言葉が思い浮かぶことが多いのですが、結構忘れちゃうので、今思ったことを書こう!と思い立ち、noteを開きました。

最近2年くらいの試練の傾向として、「自己主張が仇になる」という感じがあるんですが、土星先生が魚座に移動しようとしている今、気づいたことがあって。

前回書きましたが、私は自我が芽生えたその時から、それを押さえつけられていました。
善悪の区別なく、自我を主張することは我儘だ、うるさい、どうして分からないんだ、と逆に非難され、自分の主張は全部自分本位で間違ったことなんだと自分を納得させてきた。
そういう場面が、土星水瓶期すごく多くて。
実は、私に一番上記のように接していた父親の太陽星座が水瓶座で、私の太陽とかなりタイトなスクエアを組んでいます。
偶然じゃないと思うし、前回の水瓶土星の時期は、生まれて初めて親元を離れる選択をした時期だったから、私にとっての水瓶土星は、父親という存在との闘いの時期なんだと思います。
そして今回の水瓶土星期は、父親とは物理的に離れたので、父親からのトラウマとの戦いになったんだと解釈しています。

共通すると思われる苦行は以下。

  • 自分は悲しい、嫌だ、こうしたい、という主張を全て「間違っている」「受け入れられない」「自己中心的」とされる

  • そうである理由を論理的に説明されない

  • 結果として何も変わらない

何を学ばせようとしているか。
前回は子供だったから逃げるしかなかったので、今回は見極めを求められたのではないかと思います。
本当にそうなのか?
相手の行動の理由を徹底的に分析しても、相手の言うことは正しいのか?

そしてもうひとつ、メッセージかもしれないと思っているのは、「もう全部自分のせいという思考を手放せ」ということ。

今回の水瓶土星期に、私に価値がないから、実力がないから、性格が我儘だから、協調性がないから、思考回路に問題があるから、と思うことで終わらせてきたいくつかのことに対して、今になって、第三者から見て、理論的にそうじゃないよ、というメッセージを、色々な形で受け取り始めています。
エヴァンゲリオンのニアサードの時、シンジくんに使徒から引っ張りだされた綾波レイのように、暖かく力強い手の存在を信じる。
その先にいる人を信じる。
今はもう、全部自分のせいにしなくても生きられる。
向き合ってくれる居場所を探せばいい。

暖かくなる頃、前回の「誰も知らない高校」みたいな世界が、見えるような気がしています。いや、絶対見える。

余談ですが、「誰も知らない高校」への入学式の日の土星が、ちょうど今と同じくらいの位置でした。
あの日、すごくすごく嬉しかったのを覚えています。
親元を離れたのもそうでしたが、初めて自分の力で自分の進む道を切り開いて、親も何も言わないくらいの道だったから。
全てが誇らしかった。

約3年後、再びどん底に落とされたので、今回は心の準備をしておこうと思います。

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