もし手応えがあるなら、やり方が間違っているということ。
「手応えがある」ということは良いことのように聞こえる。本当にそうだろうか?
たとえば歩いている時に手応えがあったらどうだろう。
「歩いているという手応えを確かに感じた」
リハビリ中ならともかく、こんな風にいちいち手応えがあったら面倒だ。ご飯を食べる時でも手応えはいらない。普段やっていることは上達して自然にできていることなので、手応えがないのが正解だ。
もし手応えがあるなら、やり方が間違っているということなのだ。
日常生活だけでなく、この視点は広く使える。
読んでくれてありがとう!