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絵本 かげ

女の子の空想が現実になり得たようなところで、本当の現実に戻ってくるものの、空想であるあちらの世界は息づいてる。
子供は境界があまりなくて自由だからこそ、行き来も自由にできるよな、とか思っちゃいました。

小さい頃って、案外、別の世界がすぐ横にあって、行き来している感じがあったと思うんですよね。その時の感覚を思い出しました。
スージーさんはそれを忘れずに今も持ってるからこそ描けたのかな、とか。
どんどん空想が広がっていくと、パラレルワールドのように、すぐそこに本当にあるような気がしてくる。まぁ女の子はお母さんの一声でスッと帰ってくるわけですけれども。
そういう、スッと帰ってこれるのも子供ならではなのかな、とも。
なかなか帰ってこれないと、それこそ精神科へ連れていかれそうなもんですしね。
けれど、人ってそもそもそういう危うい境界を持ってると思うんです。
危ういと書いたけれど、危うくはないか。帰ってこれない人がいると危うく感じたりもするけれど、それはそれでありなんじゃないか、って気もします。その人なりの特性とでもいうのかな。もちろんそれが虐待による保身からのものであったら話は違いますけれどね。
そうじゃない場合、この絵本の主人公の子のような場合は。
結構、大事に持っていていい感覚なんじゃないでしょうか。
大人になって空想する余白も減ってしまった時に、この絵本を開いて、その感覚を引き出してみるのもありなのかな、って気がします。
そうして、書きながらあれこれ考えている時点で、スージーさんがアーティストでもあるのだな、って思うんです。
アートって、いろんな考えを引き出してくれるものだとも思うから。
そうして、それが絵本の形になっていることをうれしくも思います。
先に紹介した『のいちごそうはどこにある?』のように、ひたすら柔らかい優しいものであったり、この絵本のようにアートとしての表現も含めていたり、哲学的なものもあったりで。
絵本が好きな所以ですね。

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