木さんの哀しみの構造と「オッペンハイマー」を観て、ほんとうによかった話PDF魚拓






(歴史作品において、どこまでがネタバレなのかよくわからないのだけれど、ここからは作品内の場面描写が含まれます。)

ストーリーは一貫してアメリカ側から語られる。

「原爆の父」と謳われ、世界をもう二度とは戻れない破滅の軌道に乗せてしまえたほどの科学者が、実生活ではどれほど平凡で、むしろ脆弱な人間であったかということが、作品ではノーラン監督の錯綜する時間軸にのって、これでもか、これでもかと描かれる。

彼の実生活は不安と迷いに満ち、「信念」というよりは近親的つながりにひっぱられて政治集団に出入りし(後にこれが原因で彼のキャリアは危機に晒される)、女性関係はどうしようもなく危うく、一緒になった妻もかなりきわどい人物として描かれている(Katherine Oppenheimer: 実際の彼女はさらに酷な人物のようだった)。家に帰れば子どもはギャン泣きしているし、妻は酒を呑んでいる。ひ弱な笑みを頬に張りつけたオッペンハイマーは、そんな家庭生活を維持しながらキャリアの最高峰へと昇りつめ、マンハッタン計画を指揮する人物として描かれる。

クライマックスに忘れられないシーンがあった。

原子爆弾がついに広島、長崎に投下されたことを、彼は公共ラジオで知る。
国民は抱き合い、歓声を上げて勝利を喜ぶ有名なシーンが映る。
私が観るのがもっとも嫌だったシーンだ。
どんなに歴史を客観視しようとしても、やはり見れば傷つき、憤ると、私は100%思っていた。

でも実際にそのシーンが描かれたとき、私の目に重なったのはもう一つの、別の映像だった。
それは幼い日に、どこかの記録本で見た昭和16年の日本の写真。
そこには学生服に身を包んだ年若い少年や、赤子を背に負ぶってモンペをはいた婦女子が、真珠湾攻撃の成功に旗を振って熱狂する姿があった。
見た当時は何の疑問も抱かなかったこの写真。
それは82年前の私自身であったかもしれない日本国民の姿だった。https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/blog/bl/pneAjJR3gn/bp/pqN02jBj5K/
原爆投下による戦争終結を喜ぶアメリカ国民。
真珠湾攻撃と太平洋戦争開始に歓喜する日本国民。

これが戦争なんだ、と思った。

軍隊施設を標的とした真珠湾攻撃と、無辜の市民を標的とした原爆投下とでは全くもって意味が違うし、規模の違いは比べるべくもない(真珠湾攻撃による死亡者数約2400人。広島・長崎の原爆投下による死亡者数約21万4千人※1945年末まで)。
【参考 日中戦争における被害-日本軍死者:41万人。
中国軍死者:130余万。民間人死傷者:約2000万人


戦争では敵を殺す。それを喜ぶ。
あの時代、あの場にいれば、私もきっとしていたこと。
どちらの側にいたとしても。

同シーンでは、怒号のように響きわたるアメリカ国民の歓声と称賛の中、引き攣った笑みを頬に張りつけて、オッペンハイマーは「勝利宣言」をする。
いかに「敵国」日本が邪悪で、それにとどめを刺した我々は正義で、この勝利がどれほど偉大なことか。
そう語りながら、彼の瞳は恐怖に凍りついていく。
観ているこちらが恐ろしくなるほどに。
そんな彼を吞みこんでしまいそうな勢いで、人々は興奮し、檄を飛ばし、歓喜する。

真の怪物は、誰?
私は、私自身に問う。
— 私だ。

そこにひとつの映像が差しこまれる。

白く美しい少女の顔。
一瞬するどい閃光が走ったかと思うと、次の瞬間、爆風にあおられて彼女の顔の皮膚がはがれ、吹き飛ばされていく。

アメリカでは、原爆がひきおこす結果をそのまま見せる描写は発表できないという制限があるらしい。だから大半の国民は今も、広島、長崎に落とされた原爆がどういう被害をもたらしたのかを、知らないのだそうだ。
だがこの一瞬の映像は、グロテスクさを巧妙に排除しながら、むしろ美しくさえ見える光の映像技術で、原爆の衝撃を、人間の顔が光に溶け崩れていく過程を、まざまざと見せる。

ここに登場した少女は、なんとノーラン監督自身の娘さんだという。
この最も強烈な映像に自身の娘をあてたことについて、監督は「自分をあまり自己分析しないようにしている」と言っている。
ただ「究極の破壊力を作り出せば、それは自分の近くの人々、大切に思っている人々をも破壊してしまうということだ。これは、わたしにとって、それを可能な限り強いやり方で表現したものだと思う」と。https://www.cinematoday.jp/news/N0138050
この作品が原爆の悲劇を、広島、長崎の悲劇を描いていないという批判は、尽きないだろう。

けれども、そのまま渡したらアメリカが、あるいは世界が、決して真正面から受けとめることができないレベルの真実を、ノーラン監督は、語らないことによって、語ろうとしているのではないだろうか。

表現はいつもむずかしい。
意図しても意図しなくても、誰かを傷つける。
たとえば、こちらは微笑んだつもりでも、相手が冷笑されたと思い、傷ついたなら、そこには別の真実が生まれる。
事実はひとつでも、受け取り方は人の数。
この場合、責任はどちらにあるのだろう。
— 長年の疑問だ。

この映画にも同じような危うさがある。

ただ、日本国内で上映されない可能性があると知ったとき、私が一番に感じたのは、
「ああ、私たちの国は、私たち国民の心の器を、信頼してはいないんだ」
ということだった。

受けとれないから、渡さない。
もし未公開の理由が日本の配給側にあるのだとしたら、そういうことなのだろう。

繰り返したい。
私は、この映画は現時点でアメリカが到達しうる最先端の、そして最深度の良心なのではないだろうか。
ノーラン監督は、この映画が投下する爆弾をちゃんと落とさずに受け止められる両手がどこかにあると、信じたのだと思う。

自分の心すら制する術を知らない情弱な私たちが、この爆弾を抱えたまま、どうやって明日からの世界をつくっていくのか。
そんな終わらない問いを開いてくれたこの映画に、感謝する。

いつか、どうか、日本でもこの映画が公開される日が来てほしい。

そして、そのときに私たち日本人は、ただ一つの原爆被爆国として、どの民族よりも深く苦しい歴史と経験と洞察力をもって、この映画を受けとめられる器を持ち得ていたい。

そう願っている。
https://note.com/kotoha365/n/n55ac1c573353

https://note.com/kotoha365/n/nfdbbcf1c57a4
「オッペンハイマー」を観て、ほんとうによかった話 2



2023年8月31日 17:23













実はこの映画を、私ははじめ、あんまり見たいとは思わなかった。

やっと涼しくなった8月の夕べに、78年前の戦争の話、しかも「原爆の父」と呼ばれる、広島、長崎への原爆投下計画(マンハッタン計画)を主導した人物のストーリーを、わざわざ好き好んで見なくてもいいんじゃない?という思いがあった。
洋画で日本がどう描かれるかにだいぶ耐性はできたとはいえ、気持ちが浮き立つというものではない。

西洋人である夫もまた逆の立場から、そう思っていたようだ。

私たちそれぞれの祖国は、第二次世界大戦当時は戦勝国と敗戦国に分かれて戦った。もちろん敗戦国は日本。
教科書上は知っていても、義務教育を日本でしか受けなかった私は、19歳で日本を出て現実を知ることになる。

世界の歴史観の中でかつての日本は、紛いのない敗戦国であるという以前に邪悪な侵略国家であり、神風特攻隊はある種のテロ行為と見られているという厳しい現実を。

https://diamond.jp/articles/-/299877?page=2




ここで右や左、斜め前や左後ろの視点を議論したいわけではない。
考え方はそれぞれで、あくまでここでは「世界史上はそう見られている」ということだけにとどめたい。
なぜなら、歴史は勝者が書く物語だから。

ただ、この通念(くりかえすが、世界の中で日本はそう思われていること)を踏まえて自分の立場を認識しないと、国際情勢を語る会話の際には危うい岸に立つことになる。
もちろん欧米諸国の意識の業は深遠で、その欺瞞を叩きはじめたらきりがないのだが。

そんな腫物のような過去の深淵を、わざわざ家族そろって覗きこみに行かなくてもいいのでは? というような逡巡が、私たち夫婦にはあった。

ただどうしてか、13歳になる次女が夏の始めからこの映画の公開を心待ちにしていて、ついに指折りカウントダウンまで始めた。
「どうしてそんなに見たいの?」と聞いても、
「え? だってオッペンハイマーだよ?」
と説明にならない絶対的根拠で交わされてしまう。
とにかく彼女にとってこの映画は、観なければこの夏は終われない!という作品のようだった。
(劇場で気づいたら、PG13どころかR指定! 残忍な戦争描写にではなく、放埓なヌードのために? あるいはテーマの暗黒さだろうか。保護者同伴だから入場はできた。)

そんなこんなでちょっと重い心で席についた。
モチベーションはただひとつ。
監督がクリストファー・ノーラン!
同時代に生きて、やはりこの人の新作を見逃す理由はないだろう。

で、やっと感想。

……すごすぎた。


言語化もぶっとぶ、どこからどう切りこんだらいいのかわからないほどの鑑賞要素が何層にも重なりあっていて、これを冷静に評論ができる人はきっと専用の脳内翻訳機を持っているに違いない。

……もうすこし言語化をがんばる。

この映画は、日本をふくむ全世界にむけて、アメリカが表明しうる、現時点で最先端の、そして最深度の良心なのではないだろうか。

私はただ感想を述べるしかないのだが、なによりも言いたいのは、

この作品は日本でも、いや、むしろ日本人にこそ見てほしい

ということだ。

くりかえすが、クリストファー・ノーラン監督の新作「オッペンハイマー」の日本上映は未定。

確かにこれを国内で上映することで、多くの鑑賞者からの炎上は免れないと私も思う。

表層だけを切り取って理解すれば、日本に対する描写に傷つき、祖国が軽んじられ、弄ばれているようにも感じるだろう(登場人物がどのように敵国を軽んずるかを描くことが、制作者の裏のメッセージでもある)。
また核開発の過程が壮大でドラマティックに、とてもエキサイティングに描かれることにも憎悪を駆り立てられると思う。
興行成績も予測できず、日本公開するメリットが定められないう現実問題もあるはずだ。

私も実際に映画を観た国外の日本人コメントで
「とても傷ついた。広島、長崎の人には絶対に見てほしくない」
というものを読んだときは、胸が痛んだ。
自身が広島、長崎の出身でない以上、ぜったいに理解のできない苦しみがそこには、ある。

ただ私が、3時間の作品を通して心を射ぬかれ続けたのは、アイルランド人俳優、キリアン・マーフィー演じるオッペンハイマーの、限りなく透明に近いブルーの瞳、その瞳に満ちあふれた底知れぬ不安と恐怖、声にならない悲鳴だ。

映画「オッペンハイマー」より

その瞳の中に、勝者の光はない。
幸せな男の栄光は微塵もない。

https://note.com/kotoha365/n/n55ac1c573353
「オッペンハイマー」を観て、ほんとうによかった話 


2023年8月30日 18:29



「真珠湾」発言に釈然としない日本人、
世界からどう見えるか

 ウクライナのゼレンスキー大統領による国会リモート演説が賞賛されている。

「アジアで初めてロシアに対する圧力をかけ始めたのは日本です。引き続き、その継続をお願いします」
「日本は、発展の歴史が著しい国です。調和を作り、その調和を維持する能力は素晴らしいです。また、環境を守り、文化を守るということは素晴らしいことです。ウクライナ人は日本の文化が大好きです」

 ドイツなど欧州の国々では対ロシア政策を批判するような刺激的な発言もあったが、日本に対してはかなり抑制的で、シンプルに日本への敬意と感謝を述べたことが、「日本人の気質をよく理解している」「スピーチライターが優秀すぎる」などベタ褒めされているのだ。

 しかし、その一方でネットやSNSでは、日本の連帯や支援を呼びかけるのならば、まずはあの「非礼」について一言詫びるのが筋ではないかという批判的な声も少なくない。ゼレンスキー大統領は3月16日におこなわれた米連邦議会のオンライン演説で、日本人としては受け入れ難いことを力一杯訴えたからだ。

「真珠湾攻撃を思い出してほしい。1941年12月7日、あのおぞましい朝のことを」
「あなた方の国の空が攻撃してくる戦闘機で黒く染まった時のことを」

 さらにその後に、9.11同時多発テロを例に出したことで、かつての日本を世界から孤立して暴走するロシアと重ねているだけではなく、イスラム原理主義者といっしょくたにしているとして一部から「日本をバカにしている」などの怒りの声が上がっているのだ。なかには「謝罪して撤回するまでウクライナは支持しません」という人まで現れている。

 そこまで怒っているわけではないが、釈然としないものを感じている人もかなりいる。例えば、お笑い芸人の松本人志さんもテレビ番組でこう述べている。

「真珠湾攻撃を出してきたのは、僕としてはちょっと引っかかってて…。それは日本人としては受け入れがたいところがあって。奇襲攻撃だったことは間違いないけど、民間人を巻き込んだわけではないので、今回と同じ風に語られるのは僕としてはちょっと嫌だった」

 これには同意をする人も多いかもしれない。

 ただ、もしこのような発言や一部で沸き上がる「真珠湾発言」への強い反発などが、アメリカをはじめとした西側諸国で「日本の世論」として報じられたら、世界の人々はこう思うはずだ。

「日本人も戦争に負けたことでようやく民主主義の国になったかと思ってたけど、本質的には報道規制で国民が洗脳されてるロシアとそんなに変わらないな」

 怒る方もいらっしゃるかもしれないが、残念ながら、これがロシアを「悪の枢軸」、プーチンを「残酷な独裁者」として糾弾している西側諸国の極めて平均的な国際感覚なのだ。かつての日本は「テロ国家」という
アメリカの常識

 それがよくわかるのが、2020年1月、イラン革命防衛隊を長年指揮してきたカセム・ソレイマニ司令官をアメリカが「イラク国内だけでも600人以上のアメリカ人を殺害したテロリスト」と断定して殺害した時に、アメリカ国務省高官がメディアに向けて述べた言葉だ。

「1942年にヤマモトを撃墜したようなものだ。まったくもう!我々がこうしたことをする理由をわざわざ説明しなくてはいけないのか」(yahooニュース個人 アメリカ国務省高官、殺害したイランのソレイマニ司令官を山本五十六元帥に例える 2020年1月5日)

 ここででてくる「ヤマモト」とは山本五十六。言わずと知れた、真珠湾攻撃作戦を発案した帝国海軍連合艦隊司令長官である。つまり、アメリカ政府の中では、真珠湾攻撃を仕掛けた当時の日本は、今で言うところの「テロ国家」という認識でコンセンサスがとれているのだ。

 これは今に始まったことではない。

 アメリカの教育現場では、真珠湾攻撃は民間人68人が命を奪われた、卑劣な奇襲攻撃として教えられる。2007年には、ブッシュ大統領(当時)も国内で演説中、米軍のイラク駐留を継続させる理由を述べる際、アルカイダの同時多発テロ事件と真珠湾攻撃を重ねる発言をしている。

 もちろん、我々が日本にいるアメリカ人に対して、「広島と長崎でどれだけの民間人を殺したかわかっているのか!慰霊碑に行って謝罪しろ!」なんてことを言わないように、アメリカ政府も同盟国の日本を前にして、「昔は卑劣なテロリストでしたね」なんて失礼なことは言わない。しかし、それはあくまで外交上の建前であって、国内でのぶっちゃけトークや、自国民のナショナリズムを鼓舞するような演説の場においては、「真珠湾攻撃=テロ」「中国大陸進出=侵略」というのは、アメリカ人の常識なのだ。
欧州でも「カミカゼ」に対する強烈な恐怖
海外から見える日本の姿

 このような認識は欧州もそれほど変わらない。

 2016年に、フランスやベルギーでイスラム原理主義者による自爆テロをメディアも政治家もごく自然に「カミカゼ」と呼んでいる。それ以前にもスペインでバスク地方の分離独立を目指すテロリストがそのように呼ばれていたケースもある。

 日本のマスコミは、「『死を恐れない決行者』として拡大解釈された格好だ」(産経ニュース2016年8月3日)などと、日本語が欧州に間違った形で伝わってしまった「誤訳」だとかなりご都合主義的な解釈をしているが、それはさすがに無理がある。

 太平洋戦争時、日本の神風特攻隊や万歳突撃は連合国側に、理解不能な自爆テロとして強烈な恐怖を植え付けて、その衝撃は西側諸国を中心とした戦後の国際社会でも広がった。筆者も若い頃、中東を貧乏旅行した時、行く先々で神風特攻について根掘り葉掘り尋ねられた記憶がある。

 我々からすれば、非常に不本意な評価だが、西側諸国の価値観からすれば、日本は狂気を感じさせるような奇襲や自爆で、国際社会に立ち向かった「テロリスト国家」から、西側諸国の支えで心を入れ直し、“仲間に入れてもらった国”という位置付けなのだ。

 そのような意味では、NATO(北大西洋条約機構)加盟を切望して西側諸国の仲間入りを果たしたいゼレンスキー大統領が、アメリカの議会で「真珠湾攻撃」をディスるのは当然である。あの表現は「私は西側諸国のみなさんと全く同じ価値観ですよ」ということを国際社会に示す“踏み絵”のようなものと思っていいかもしれない。
日本の愛国者とプーチン支持者の
思考回路は瓜二つ?

 …という話を聞いていると、あまりに歪んだ歴史認識に怒りが爆発してしまう愛国者の方も多いかもしれない。

 ネットなど、ちまたにあふれる「学校で教えてくれない歴史の真実」では、太平洋戦争というのは、アジアを白人支配から解放するための戦いであって、真珠湾攻撃も西側諸国が日本を悪者にするために仕組んだ陰謀というのが“定説”となっているからだ。

「その通り!西欧諸国は日本を孤立化させて先制攻撃させるように仕向けたのだ。実際、アメリカ側は攻撃を事前に知っていたんだ。太平洋戦争は実は自衛のための戦いであり、日本ははめられたのだ!」

 そんな主張をされる方もネットやSNSでは珍しくない。ただ、実際にそれを職場や友人などにすると周囲の反応はかなり微妙な空気になってしまうのではないか。

 しかし、世界は広い。このような愛国者の皆さんの歴史認識に対して「わかる、わかる」と大きくうなずいてくれる人たちもいる。意見交換すればするほど考え方が近いことがわかって意気投合すること請け合いである。

 その人々とは、プーチンの軍事侵攻を支持しているロシア国民だ。

 日本や西側諸国のメディアでは連日のように、ウクライナ侵攻に反対するロシア人ばかりが登場する。あたかもロシア国民の多くが、プーチンが怖くて従っているだけで、本音の部分では戦争に反対している人が大半のような錯覚を受けるが、実はロシア国内の最新世論調査ではプーチンの支持率は71%となっている。

 これは報道規制でかなりかさ上げされているだろう。とはいえ、21日にロシアの32歳のチェスプレイヤーがSNSでプーチン支持の投稿を繰り返して国際チェス連盟から6カ月の資格停止処分を受けたように、心の底から「西側諸国とウクライナの脅威からロシアを守るためにプーチンは軍事侵攻に踏み切った」と信じて疑わない愛国者もかなりいるのだ。

「真珠湾攻撃はアメリカの陰謀で、太平洋戦争は自衛のための戦争だった」という日本の愛国者の主張と、双子のように瓜二つなのだ。
それぞれ信じる正義は異なる
日本人が注意すべきこと

 なぜこうなってしまうのかというと、教育と報道によるものだ。そして何よりも大きいのは、「自国の利益や国民の命を守るための戦いは常に正しい」と信じる心、あるいは信じたいという願望など、ナショナリズムのバイアスである。

 それがよくわかるのが、モスクワ在住国際政治アナリストの村上大空氏が以下の現地レポートである。

「政治討論番組に至っては、『西側諸国がいかにロシアを騙してきたのか』『ウクライナ政権がどのような非人道的なことをしてきたのか」という論題ばかりになっており、その主張の正当性や事実関係に対しては、疑問が挟まれない。

 このようなメディア空間では、『悪いのは欧米諸国である』『すべては米国の責任』『ウクライナ国民は、洗脳されている』という情報だけがシャワーとして浴びせ続けられる。通常は陰謀論として扱われるような内容が、ロシアでは「真実」として広く共有されている」(現代ビジネス、3月21日)

 上記にある文章内の「ロシア」という言葉を「日本」に、「ウクライナ」を「中国や韓国」に入れ替えていただきたい。ネットやSNSに溢れる日本の愛国者の皆さんの主張そのものではないか。

 断っておくが、だからナショナリズムが悪いとか言いたいわけではない。国にはそれぞれ信じている正義が大きく異なっており、単純にあちらが悪い、こちらが洗脳されているというような問題ではないということを指摘したいだけである。そして、自国が信じている正義を、武力を用いて、他国にまで押し付けようとすることこそが、「戦争」というものの本質なのだ。

 ゼレンスキー大統領の演説が賞賛されたことで、日本中でウクライナ支援の声が高まっている。戦争の犠牲になる人々の命を救うためにできる限りの国際協力をするのは当然だが、ウクライナの「正義」だけに肩入れをして、西側諸国と一緒になってロシアを「悪」と断罪するようなことは避けなくてはいけない。「西側諸国の正義」を制裁や武力でロシアに押し付けて屈服させようとしても、それは新たな憎悪と戦争を生み出すだけだ。

 それはまさしく第一次世界大戦後にドイツでナチスが台頭した原因であるし、80年前の日本の軍国主義が先鋭化したきっかけでもある

 プーチン大統領にもっと厳しい制裁をすべきだ。この戦いを終わらせるためには、ロシア国民を覚醒させて、プーチンを権力の座から引きずり落とすべきだ――。

 今、多くの日本人が、まるで自分たちの戦争であるかのように「ロシアをどうすれば屈服させられるか」を盛んに論じている。かつて自分たちを「テロリスト国家」扱いした「西側諸国の正義」に肩入れをして、それをロシアに押し付けようとしている。

 プーチンの主張を「正義」と感じるロシアの愛国者からすれば、日本は完全に「敵国」である。我々の祖父母が米英に感じていた憎悪と同じものではないか。

 このような日本の立ち振る舞いが、平和につながる方法だとはとても思えない。それどころか、新たな国家間紛争の幕開けになっているように感じるのは、筆者だけだろうか。

(ノンフィクションライター 窪田順生)

https://diamond.jp/articles/-/299877?page=2
ゼレンスキー「真珠湾発言」に怒る日本人は、プーチン支持のロシア国民と瓜二つ

窪田順生:ノンフィクションライター

国際・中国 情報戦の裏側

2022.3.24 4:05