東京新聞を読むと日本の障害者総合支援法の改正案にも重度訪問介助は取り入れられず、重度の障害者が取り残されてる現状。協力雇用主制度の厳しい現状もつらく感じます。

東京新聞を読むと日本の障害者総合支援法の改正案にも重度訪問介助は取り入れられず、重度の障害者が取り残されてる現状。協力雇用主制度の厳しい現状もつらく感じます。
顛倒による骨折などでお寝たきりになりえますし障害者総合支援法改正案にすら重度訪問介助が盛り込まれない重度の障碍者が取り残されている障害者に対する日本の人権状況の遅れは非常に問題があると言えます。



徐々に筋肉が動かなくなる難病・筋ジストロフィーの患者で、8年前から1人暮らしを続ける羽富拓成さん(39)=さいたま市桜区=が、男性介助者を急募している。今年、病気が進行して寝たきりの状態になり、必要な介助者数が増えたためだ。「人が足りないと始まらない。試しに見学だけでも、興味本位でもいいから来てみて」と呼びかけている。資格、経験は不問。時給1200円から。(谷岡聖史)

◆生花店を開業、ファッションモデルも

羽富さんは茨城県出身。埼玉県内の筋ジス病棟で16年暮らし、31歳だった2015年5月に退院。障害者団体「虹の会」(さいたま市)から介助者の派遣を受けて1人暮らしを始め、自身も同会の一員として運営に携わってきた。



仲間と立ち上げた「未来の花屋」の花束を、介助者の男性とともに客に配達する羽富さん=2018年11月、東京都豊島区で

電動車いすで生活しながら、花束や装花の専門店を仲間と起業したり、ファッションショーでモデルを務めたりと、積極的に活動してきた。NHK・Eテレのバラエティー番組「バリバラ」で大きく紹介されたこともある。

今年1月に体調が悪化して入院し、一時心肺停止に。自発呼吸が弱まっていたため、気管を切開し、人工呼吸器に切り替えた。声を失い、寝たきりになったが、それでも4月上旬、自分の意思でアパートに戻ってきた。

◆「寝たきりだけど、心の自由がある」

5月下旬、羽富さんのアパートを訪ね、退院を決めた時のことを聞いた。医師から「家に帰るなら今しかチャンスはない。病院にいるより長く生きられないかもしれないが」と問われ、羽富さんは「帰ると即答した」という。



「私は帰ると即答しました」と、退院を決めた心境を振り返った。

それはどうしてですか、と重ねて聞くと、羽富さんは視線の動きでパソコンを巧みに操作し、こう続けた。

「家にいても寝たきりだけど、病院にいるより心の自由がある。自分のペースで生きられる」

病院では、いつ何を食べるかも、トイレや睡眠の時間も決められていた。何げないことだが、「自分のペース」があるかどうかは、羽富さんにとって重要だ。

◆32年も1人暮らし 筋ジス病棟の先輩

羽富さんが今後の1人暮らしに不安を抱いていないのは、ある先輩の存在が大きい。虹の会の前会長、故・工藤伸一さん。羽富さんと同じ筋ジス病棟を1989年7月に24歳で退院し、その後寝たきりの状態になり、2021年4月に56歳で亡くなるまで、実に32年もアパートでの暮らしを続けた先駆者だ。



車いすで映画館へ向かう虹の会の工藤伸一・前会長。羽富さんと同じ筋ジストロフィーで寝たきりだったが、よく外出も楽しんだ=2016年7月、埼玉県内で

「工藤さんのおかげで、こうすればできる、という土台ができた」と、虹の会の専従職員の外口孝治さん(59)は説明する。長年の工藤さんの1人暮らしの蓄積から、寝たきりでも昼1人、夜2人の介助者がいれば大丈夫だと分かり、以前は昼1人、夜1人だった羽富さんも、同じように夜を2人に増やすことにした。

しかし、これまでに集まった新人は週1回勤務の3人のみ。さらに、以前から週5日勤務していた昼の介助者1人が都合で退職してしまった。1週間に必要な延べ21人のうち、足りているのは12人。増員した夜勤を含む残り9人分は、外口さんのように会の運営も担当する専従職員らが交代で埋める「緊急事態」が、2カ月近く続いている。

◆資格不問 介助者は「お世話とは違う」

介助者とはどんな仕事なのか。「生きていくために必要な、意義のある仕事。だけど、何をするか指示するのは羽富自身」と外口さん。「気を使って先回りする『お世話』とは違う。あくまでも本人の生活なので、それこそ失敗する権利もある」



羽富さんの自室と同じアパートにある虹の会本部で、介助者募集について話す(左から)加納さん、外口さん、新崎さん=5月26日、さいたま市桜区で

工藤さんの晩年に介助者を4年務め、その後は専従職員として働く新崎裕之さん(40)は「たんの吸引など最初は不安だったけど、やりながら覚え、気づけば長く続けていた」と振り返る。

勤務回数や時間は、最少で週1回(8時間)から可能。週40時間のフルタイムで働ける人を特に求めている。
時間帯は、①昼(午前9時~午後5時)、②泊まり(午後3時~翌朝7時)、③泊まり(午後7時~翌朝11時)の3種類。
時給1200円から。フルタイムの場合は月給換算で21万円から。
応募は資格不要。採用後、たん吸引などの研修がある。

虹の会事務局長で、自身も介助者を使いながら電動車いすで1人暮らしする加納友恵さん(47)は「介助者がいれば、羽富は今まで通りに生活していける。障害者と言ってもただの一般人。言われたことをやる、という感覚で来てもらえたら」と応募を待っている。

問い合わせは、虹の会介助派遣システム=電話048(851)7558=へ。羽富さんは日々の様子を自身のブログで発信している。

◆羽富拓成さんとのやりとり



頭上に設置したパソコンに、視線の動きを検知する仕組みで文章を書く羽富さん。

―寝たきりの状態になり、退院して自分の家に帰ってきました。現在の目標を教えてください。

とりあえずは長生きする!
退院するかしないかの話をしたときに、医師から極論
自分の家で死にたいか病院で死にたいか
家に帰るなら今しかチャンスはないがどうするか
家に帰ると病院にいるより長く生きられないかもしれないがといわれ
私は帰ると即答しました。

―それはどうしてですか。

家にいても寝たきりだけど病院にいるより心の自由がある
自分のペースで生きられる。

―今困っていることや、必要なことは何ですか。

まずは人が足りない人がいないとはじまらないので
試しに見学だけでも入った時間のお金は払うので興味本位でもいいから来てみて欲しい。

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求む介助者! 筋ジストロフィーで1人暮らし、さいたまの男性「心の自由」がある生活のために

2023年6月5日 06時00分東京新聞




 障害があっても自分が望む暮らし方をしたいー。そんな当たり前の願いを具体化する福祉制度の歯車がかみ合わない。重い知的障害者の利用低迷が叫ばれる「重度訪問介護」もそのひとつだ。国や自治体の支給決定は抑制的にもみえる。なぜこの国はかくも、障害者に冷ややかで、特殊な存在として分離し続けるのか。(特別報道部・木原育子)

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ヘルパーのライアンさん㊧と楽しい時間を過ごす鈴木隆太郎さん=東京都内で

◆「そのまま受け入れたら前に進めた」

 10月中旬、東京都内の1DKのアパート。夕食時の食卓には、豚肉炒めや海鮮スープとサラダ…。鮮やかな彩りに会話も弾む。

 フィリピン人ヘルパーのライアンさん(31)が「おいしい?」と話し掛けると、数秒の間の後、鈴木隆太郎さん(31)は「うん」。さらに数秒の間の後、「いい子、いい子だよー」と付け加えた。2人は笑い合った。

 隆太郎さんは、重い知的障害がある自閉症で強度行動障害がある。感情を言葉でうまく表せず、伝わらない不満で、奇声をあげたり時には暴力もある。

 食事の取材中も突然、バッとイスから直立不動で立ち上がり、ピョンピョンと垂直に跳び始めた。しかしライアンさんは驚かない。食事を食べ続け、時折「りゅうちゃーん」と呼びかけるだけだ。数分後、隆太郎さんはすっきりした様子で、静かにいすに座った。

 ライアンさんは言う。「最初は必死にジャンプを止めていたが、止めると逆にテンションが上がってしまう。誰かに迷惑をかけているわけでもない。そのまま受け入れたら前に進めた」

◆ヘルパーが交代で日常支える

 隆太郎さんは、2018年から1人暮らしをする。部屋の壁に張られたカレンダーには10人ほどのヘルパーの名前がぎっしり。食事や入浴、排せつの介護、深夜時間帯の見守りなど、交代で日常を支えている。

 利用している福祉サービスは「重度訪問介護」だ。一定時間だけヘルパーらが訪れる「居宅介護」と異なり、人によっては24時間に及ぶ長時間の「見守り型」で生活支援する。

 1970年代に重度肢体不自由の人たちの求めで始まった制度が前身。当初は重度肢体不自由の人が対象だったが、2013年の障害者総合支援法施行で、重度の知的障害者や精神障害者にも広がった。

 だが、国や自治体は制度の周知に消極的。重度訪問介護を利用している知的障害者は現在、身体障害者の10分の1程度にとどまる。

◆「チャレンジさせたい」への冷たい返答

 隆太郎さんは17年ごろから暴力行為や深夜の徘徊(はいかい)が目立ち始め、母親の昌子さん(69)は「一緒に暮らすのは厳しい」と行政に相談した。青森のグループホームを紹介され、一度は入所を考えたが、重度訪問介護の制度を知り、「チャレンジさせたい」と1人暮らしを選んだ。行政の担当者から「失敗しても戻るところはありませんよ」と突き放され「とても冷たく感じ、心細かった」と振り返る。

 だが、1人暮らしを始めると、隆太郎さんは変わった。自傷他害の行為は消え、短いけれどヘルパーさんとの会話も生まれた。「本人が一番苦しかったんだとやっと分かった。もっと早く自立させ、自由にさせてあげたら良かった」

 隆太郎さんに重度訪問介護のサービスを勧めたNPO法人「はちくりうす」(東京)の櫻原(さくらはら)雅人さん(58)は「障害が重いという理由だけで、グループホームや入所施設という道しか示されてこなかった。本人の自己決定を保障するためにも、1人暮らしという選択肢がもっとあっていい」と社会意識の変革を求める。

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でも現実は…「まず居宅介護」

 ただ、現実は厳しい。

 重い身体障害と知的障害がある竹村紗世さん(32)は今月から重度訪問介護を利用している。「ヘルパーさんが半年がかりでも集まらず、今も自分が介護に入る時間帯が何度もある」。母親の眞紀(まき)さん(58)がそう打ち明ける。



ヘルパーとコミュニケーションを楽しみながら過ごす竹村紗世さん㊧=東京都内で

 これまで居宅介護を使っていたが、半年以上前に24時間介護の重度訪問介護を希望した。「時代の変化とともに暮らし方の選択肢も増えた。制度も柔軟に運用してほしい」

 2019年度の居宅介護の月平均利用者は18万3000人で15年度比1.2倍だが、重度訪問介護は1万人程度でほぼ横ばいだ。

 厚生労働省障害福祉課の担当者は「まずは居宅介護でニーズを見極め、本当に総合的な支援が必要ならば重度訪問介護の支給決定をするよう、市町村に求めている」と説明。あくまで居宅介護を前提とする。

◆希望者が押し寄せる不安?

 東京家政大の田中恵美子教授(社会福祉学)は「渋る背景には限られた予算の中で、1人に出すと次々に希望者が押し寄せる不安があるのではないか。24時間介護が必要な人には、しっかり使えるようにしていくべきだ」と訴える。

 国は、障害者の「地域移行」へ旗を振るが、かみ合わない。施設入所した人のうち、地域移行したのは20年度までの4年間で6342人。4.9%だけだ。地域サービスを充実させて利用を促進させなければ「脱施設」は難しい。田中教授は「世界は人権に鑑み、施設入所者ゼロに進むが、日本は目標設定がそもそも低い。これで脱施設は実現するのか」と疑問視する。

 臨時国会に提出された障害者総合支援法の改正案も相談体制の強化が主で、重度訪問介護の充実などは盛り込まれなかった。

 早稲田大の岡部耕典教授(障害学)は「重度の障害者はいつも社会から取り残されている」と訴える。岡部教授の息子は重度の知的障害で行動障害があるが、重度訪問介護を使い、1人暮らし中。「最初は周囲から1人暮らしなんて…と言われたが、幼い頃からヘルパーに囲まれて育った環境もあり、親といるより自由で楽しいようだ」と話す。

◆「これ以上、障害者権利条約に恥をかかせないで」

 欧米では重度の障害者がヘルパーと契約し、24時間介護を受けながら1人暮らしする「パーソナルアシスタント」が積極的に使われる。まさに重度訪問介護に相当する。「障害者の脱施設を本気で進めるためにも、国が重度訪問介護の利用を後押しするべきだ」

 そんな中で今年9月、障害者権利条約に基づく国連の対日審査で、日本は多岐にわたる勧告を受けた。

 「自立生活というのは、イコール人権なんだということを日本に理解してもらいたい」。障害者権利委のヨナス・ラスカス副委員長は勧告後に来日し、障害者団体の会合でそう話すと「権利条約に『重度』という言葉はない。医学的な評価にすぎない」とも語った。

 重度訪問介護は、障害の程度に応じた支援区分や障害種別など利用枠組みが厳格に決められている。権利委では「心身の障害」を理由にした法的制限も懸念し、勧告で、障害者が自立した生活ができるよう政府の予算配分の変更を求める。

 日本障害者協議会の藤井克徳代表は「わが意を得たりの心境だった。国連はかつて『障害者を締め出す社会は弱くもろい』と言及したが、障害者政策の根本的な解決は社会のあり方とも深く関係する」と訴える。

 さらに「欧州にあるような条約に基づく政府から独立した人権の監視機関を作りたい。障害者権利条約に加え、子どもの権利条約や女性差別撤廃条約に関連した団体とも結束する」と見据え、言葉を続けた。「これ以上、障害者権利条約に恥をかかせないでほしい」

◆デスクメモ

 あれにあんなに予算を割くのかと驚くことが多い。筆頭は防衛費だが、マイナカード絡みのポイント付与、元首相の国葬も。1人のために10億円を使うのに、困難を抱える人々の支援が乏しいのは何と理不尽なことか。ゆがんだ優しさが横行する社会。断じて甘受できずと問い続けねば。(榊)
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こちら特報部

「重度訪問介護」の利用が低迷しているのはなぜなのか…障害者の1人暮らしが当たり前にならない現実

2022年11月4日 06時00分東京新聞


 新型コロナウイルスは、この国の福祉の脆弱性を見事に告発した。世の中が危機的な状況になるほど、こぼれ落ちる人間を生む。飛び込んだ福祉現場の「懐」で感じたのは、この国の冷たさだった。

◆仕事を休み資格の実習へ

 午前9時。始業した高齢者対応の地域包括支援センター(包括)の電話転送を解除すると、とたんに5台ほどの電話が鳴り始める。「隣から異臭がする」「介護認定を受けたい」。受話器の向こうからそんな問い合わせが聞こえてくる。電話は午後5時の終業まで途切れない。想像を上回る忙しさ。知っているつもりだったが、分かっていなかった。帰宅すると、テレビでは国会議員のはしご酒や官僚の接待が報じられていた。

 私が包括にいたのは社会福祉士の資格を取るためだ。1987年に生まれた国家資格で、介護や児童養護施設、更生保護などあらゆる福祉の現場で相談業務に携わるソーシャルワークの専門職。1月から3月上旬にかけて仕事を休み、包括のほか特別養護老人ホーム、低所得者が暮らす無料低額宿泊所で実習を受けた。

 フードバンクや炊き出し、就労支援。コロナ禍で、多くの人が力を貸そうと動いているが、必要な人に届かなければ意味がない。ソーシャルワーカーは利用者が抱く劣等感、孤立感をくみ取りながら、ニーズと社会資源を結びつけて解決に導く仕事とされる。

 ただ、これらは教科書通りの答えでしかない。逆に言えば、社会福祉士という資格が生まれるほど、社会のつながりは貧しくなっている。社会課題を発掘し、解決につなげる。地域社会が引き受けていた仕事を、専門的に取り組む人が必要になっているのだ。

◆受刑者たちとの文通

 一方、根本的な課題は残ったままだ。ソーシャルワーカーは「助けて」と言えた人には対処できても、声を上げる力がない人や潜在的な問題にまで手が回りにくい。国の多くの福祉制度は申請主義。たどりつくことが困難な人への支援は想定されていない。

 私はそういった人に取材で出会っている。出産直後に赤ちゃんの首を絞めた母親、窃盗を繰り返す軽度な知的障害がある男性。まさしく福祉につながれなかった人たちだ。

 服役中の彼ら彼女らと文通している。弱々しく子どもっぽい文字に、犯罪に手を染める前に手を差し伸べられていたらと、いつも思う。記者としてできることは、他にないのか。そうもがきたくなったことが、社会福祉士の門をたたいた最大動機だった。

 「仲間になってほしい」。実習先の先輩に言われた言葉は今も胸に響く。職域や立場を超えてさまざまな人が福祉に関わっていく。傍観しているだけでは、福祉における公的責任の後退を認めることになる。福祉を受け身にさせない、そんな連鎖を広げたい。

 個人の問題は社会の問題につながる。「どうしたの?」。小さな声かけから福祉の一歩は始まっていくのだから。




木原育子記者


【関連記事】出所者を支援する協力雇用主がコロナで採用断念 「更生の道」険しく(木原育子)

<視点>社会福祉士の実習現場で見たこの国の冷たさ 特別報道部・木原育子

2021年4月9日 12時34分東京新聞

出所者が表の世界の仕事に協力雇用主制度使って社会復帰できるとこ増えてほしいな。



 刑務所からの出所者らを雇用し、生き直しを支援する「協力雇用主」制度が、揺らいでいる。新型コロナウイルスの影響で、雇用主となる企業の経営が悪化し、出所者の新規雇用を断らざるを得なくなっているからだ。出所後に職業に就かないと再犯率が高くなるとのデータがあり、法務省も危機感を抱いている。 (木原育子)

 「自分が生きていくだけで精いっぱいになりました。申し訳ない気持ちでいっぱい」。刑務所を出た人を積極的に雇用してきた、東京都内で食品小売店を営む女性(59)がつぶやいた。薬物違反や性犯罪は再犯率も高いため採用しない企業も多いが、詐欺罪で服役した人以外は受け入れてきた。

 コロナの感染拡大の影響で売り上げは85%減。四月に少年の矯正施設から出所予定だった男性(21)を受け入れる予定だったが、「今回ばかりは厳しい」と泣く泣く断った。何度も面会を重ね、ハローワークや刑務官の人たちと協議を重ね、「この子なら」と思っていた。

 従業員の給与支払いも滞るようになり、薬物事件で有罪判決を受けた二人も今春に退社した。「新たな職を見つけて生きてくれればいいが…」と言葉少なだ。

 女性は九年前に、百貨店などに売り場を設けて自社製品を販売する会社を起業。従業員五人程度の小さな会社だが、家庭的な雰囲気を大切にしてきた。

 女性自身、幼い時に養子に出されるなど複雑な家庭環境で育った。大学在学中に養父母も亡くなり天涯孤独に。卒業後は経営コンサルタント会社に就職し努力を積んできた。「寂しくても生きてこられたのは仕事があり、社会に評価してもらえたから。必死に変わろうと努力する彼ら彼女らは一緒に生きていく仲間。応援したかった」と話す。二年前から協力雇用主に登録し、更生支援に協力してきた。



 法務省によると、協力雇用主の企業は、従業員五〜二十九人の中小企業が50・2%と半数を超え、建設業やサービス業、製造業が八割を占める。コロナの影響で支援策が行き渡らず、女性のように雇用を見送るケースは増えているという。

 協力雇用主の制度は登録者数は多いものの、実際に雇う企業はまだ少なく、雇用先の確保が長年の課題だった。国は雇用先を二〇二〇年までに千五百社に増やす目標を設定し一九年十月に達成したばかりだった。

 再犯で刑務所に戻った人は一七年で一万一千四百六十一人で、このうち無職率は72・3%を占める。

 女性は、殺人罪で無期懲役刑の女性受刑者にも採用内定を出しており、仮釈放を待っている。「どうしても事業を継続して、迎え入れたい」と苦境を耐える。法務省の担当者も「気をもむ状況だが、協力雇用主に支援策を紹介するなど、できることをして流れを食い止めたい」と話す。

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主要ニュース
新型コロナ

出所者を支援する協力雇用主がコロナで採用断念 「更生の道」険しく

2020年6月1日 07時39分東京新聞