日記#58 ハルヒ新刊とライン遺言 2020/09/01
涼宮ハルヒの新刊「涼宮ハルヒの直感」が出るらしい。9年ぶりだと。
原作はまさに9年遅れくらいで消費していたから、ちょうど追いついてしまった。感慨深いものがある。
うろ覚えで描いたハルヒ。
・子供の頃何読んでたかな〜とか考えていた。
私はハリポタよりも断然ダレンシャン派だった(ダレンシャンの方が低年齢向けか?)外伝も前史もビッチリ読み込むオタクだった。しかし映画は見なかったな。クソ映画だったと聞いたので。
無性にダレンシャンが読みたくなってきた。図書館に行ったら絶対借りよう。
図書館で借りたい本リスト
・かいけつゾロリ全巻
・ダレンシャン全巻
ダレンシャン全巻購入したら1万円以上はする。かいけつゾロリ全30巻は3万円だ。一市民に手の出せる金額ではない。
図書館すげ〜
公費さいこ〜
文化的な潤いある生活やべ〜
知る自由の保障あっぱれ〜
・ライン遺言というものを見つけた。
いつの間にかこんなサービスが始まっていたらしいが、私は全然知らなかった。日本では話題になったんだろうか。
友達登録すると私自身についての基本情報を聞かれる。
質問の答え全部「いいえ」で苦しくなった。
お前に遺言なんぞ必要ない。いつでも死んでいいぞ、と言われてるようだ。
全然要らないローンでも組んじゃおうかな。人にはある程度の「急に死んではいけない理由」が必要らしい。
遺言の必要なさそうな私にも、一応書かせてはくれる。
素敵なUIだ。思わずタップして超個人情報をホイホイ入力してしまいそうになる。(した)
例えば「葬儀・納骨」のページへ行くと、それにまつわる質問を一つずつ聞いてくれて、最後まで答えるとトロフィー獲得、実績解除となる。
楽しい。
が、やはり自分の死んだ後のことを考えるのは変な気持ちだ。
私は人の葬式には喜んでいく(もちろん「葬式を楽しみにしている」ということではなく「呼ばれたら文句など言わず自分の意思で行きたいと思う」ということだよ。)なぜならそれはやはり自分の問題だからだと思う。自分の世界で起こっていることだから。
ところが自分の葬式は、全く違う。私にとっての世界はもはや存在しないのだ。だから、「自分の葬式」というものは実在しない(はず、私が思うに。)
よく聞く「残された人が悲しむよ」「葬式に出る親のことを考えてごらん。」というのは、いわゆる善なる嘘であって、そう言った方がなんとなく社会がうまく回るような気がしているだけだろう。実際にはそんなこと知ったことではないのだ。誰が残されようと、世界がどうなろうと、それを感じる主体がなければ存在しないことと同じだから。
・私は遺言に向いていない。
どうでしたか?私の元気モリモリポジティブバイブスオンリーダイアリー?読んで元気になったよ!という方はご連絡ください。あなたの借金の保証人になって差し上げましょう。
2020年9月1日
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