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Go me.

ここのところ、「誰かに必要とされること」と「大切にされること」の違いをぼんやりと考えている。必要にされることこそ本望だ、それが全てだと思っていたのに、どうやらそうでもないらしい。己の欲深さを思い知る。

気分はぷかりぷかりと浮いては沈んでを繰り返す。

心にぽっかり空いた穴に落っこちそうになりながら、その淵でなんとか踏みとどまる日が続く。今週は仕事から帰宅してやることがないと気分が落ちてしまいそうだったので、ひたすら掃除を重ねた。ひと通り掃除をしてしまったら、今度は掃除用具を綺麗にする。それでもやることがなくなったら、家中の布たちを洗濯する。絶えず手を動かしながら、根気強く時間を前へ前へと進めていく。


昨日と今日は自分で自分のご機嫌を取るべく、お洋服と化粧品を買いに行ってきた。顔見知りの店員さんとの会話に元気をもらう。行きつけのお店の店員さんとおしゃべりするの、結構好きなんだよね。友人とは違う適度な距離感の中にある心地好さ。自分を可愛くするためにお金をたっぷりつかったら、それで少し気持ちが満たされた。

年末はヤケ食いにお金をつかったから、美容にお金をつかえるようになったのはちょっとした進歩だと思う。12月はとにかくお腹をパンパンに満たすことで自分を保っていた。そういうのが必要な時期だってあるから、あの日々を否定することはしない。それで乗り切ってきた自分は偉いとさえ思う。


少しずつ暖かくなり、春の足音が聞こえてきた。

春が近付くと思い出す光景がある。職場の先輩にありったけの喜怒哀楽を捧げて、そして大失恋をした4年前の春。彼との別れが近付く頃、涙をポロポロ溢しながら、アパートのベランダから夜空を見上げて、こんなことを考えていた。

今はこんなに辛くても、きっといつかまた誰かを好きになれる。誰かを好きになって、幸せを感じられる日がきっと来る。何歳になろうと恋はできるから、だから大丈夫。大丈夫よ、私。

そんな言葉を繰り返し繰り返し唱えたあの頃から流れ着いた、4年後の今。果たしてあの頃の私が願った場所に立てているのだろうか。まだ手放しで幸せだと喜べる状態ではないけれど、再び人を好きになれそうな予感がしている。一度手放したものをひとつずつ拾い集めながら、倦まず弛まず、一歩ずつ歩みを進めている。

今日はTwitterでフォローしているクリエイターさんが、今の私にぴったりの漫画を投稿していた。ガンバレルーヤのよっちゃんとまーちゃんの掛け合いは、私も大好き。

泣いていたあの頃の私を連れて、前へ、進め。前を向き続けていれば、未来はきっと明るい。

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