見出し画像

【Jude File】Episode4.『怪物になる前の青年時代』

弱冠19歳にしてマドリディスタとなったべリンガムの軌跡を定期的に振り返るためのコンテンツ ”Jude File” の第4編。

全編は下記のリンクから。


はじめに

2022年の12月、クリスティアーノが電撃的にサウジアラビアへ渡った。それから約6か月後、メッシはアメリカ大陸へ移り、ネイマールも今に続くサウジブームに乗っかった。
ヨーロッパのコンペティションから彼らは完全に身を引いた。

これは、フットボールの長い歴史の中で「一時代の終焉」と表現されることが多く、幾多のフットボーラーの中でトップに君臨し続けた彼らはヨーロッパを眺める側へと回った。

ところで、私は彼らの全盛期から今後の勇退までのエンドロールを見ることはできそうだが、20歳の彼らを見ることはできなかった。1シーズンで50ゴールを記録するほどの怪物になる前の青年時代から、共に時を歩みたかったと嘆いている。

それでも時代は回る。我々はまさに今、別の「怪物になる前の青年時代」を見ることができている。ジュード・べリンガムだ。


ルックバック

当マガジンの前編Episode3.『時の人』の執筆日以降のべリンガムの活躍早見表である。

9月20日のユニオン・ベルリン戦。チャンピオンズ初参戦のクラブに、最後の最後まで勝ち点1以上の希望を見させたマドリーは、逆を突けば94分まで決定力に見放されていた。

一度、時を戻すが、3日前のラ・レアル戦で2試合連続ゴールとなったホセルは、ようやくカルロの中で攻撃の計算式に仲間入りをした。スーパーサブ的な立ち位置が多くなるという予想を覆し、スタメンとしてピッチへ送っても採算がとれるとカルロの中で判断されたのだろう。

そしてユニオンベルリン戦の日、ベルナベウのピッチへ視線をやると、イングランド産のレスキュー隊がヘタフェ戦に続いて再びマドリーを救った。バルベルデのミドルシュートから生まれたルーズボールを押し込んだ先には、いつもの仁王立ちがあった。

9月24日、第6節マドリードダービーで予想だにしなかった亀裂が入った。今季初の敗北を喫したカルロは、開幕からブーストがかかっているジローナとの激戦必至のゲームをすぐそこに控えていた。

圧倒的アウェイなモンティリビ(ジローナの本拠地)での一戦は意外にもマドリーペースで進んだ。ゲームの序盤に作られた2度の被決定機は敵の決定力に助けられると、その後はモドリッチとベンゼマのお面をかぶったべリンガムの変面ショーを見ているかのようだった。

チームにアウトサイドの職人がいることで、ヴィニシウスやチュアメ二も職人の真似をするようになったが、ついにべリンガムまでも弟子入りを果たした。
前半17分、20歳の門人は師匠の前で足の甲を使ったパスでホセルのゴールをお膳立てし、ホセルはそのスペシャルなパスにアシストという名の記録を与えた。

その4分後にチュアメニの加入後初ゴールでチームはさらに勢いづき、71分にべリンガムから始まったカウンターをべリンガム自身が仕留めた。

好調が長続きするべリンガムは、ジローナ戦のノリでナポリ戦も主人公となり、さらに第9節オサスナ戦でも一人だけ異なる色を放つ彼のドブレーテでゲームはほぼ安泰なものだった。


システム効力の変化

記憶を遡ってみる。今季のマドリーがダイヤモンド型の442システムを採用しているのは、9番不在によるものだ。
ヴィニ、ロドリゴらのサイドを張っていた若武者に中央を任せ、その下にべリンガムを置くシステムを開幕戦から続けている。

現時点で11試合を終え、べリンガムの10番スタイルは変わらないものの、442システムの効力は徐々に変化し続けていると私は感じている。

ヴィニが離脱する前の話である。
中央のフォワードとしてまだ場数が少ないヴィニとロドリゴによるアプローチは決して脅威なものではなく、ブラジル版のマリオとルイージであっても不安と限界が近くにあるように見えた。

ただ、べリンガムがその2人の間に割って入るようなプレーができることに加えて、3人目としての彼の動きを完璧に把握できていた相手クラブはなかった。

彼のセンスの高さを疑う余地はないのだが、彼個人の実力と少しばかりの幸運が開幕4試合連続ゴールを成し遂げられた大きなファクターになっていると私は感じている。皮肉にも、当時の4連勝に「堅実」と言う文字は似合わなかったのも現実だった。

しかし、ラリーガ9試合とチャンピオンズ2試合を終えて、442システムは言わば急造品で暫定的なものから、徐々に機能的なものへと変化を遂げている。攻撃バリエーションが増えていることからもそれは分かるだろう。

8番のプレイヤーになれる上に、フィニッシャーの9番にもなれる。さらには6番のようなインターセプトもお手の物である。そんなプレイヤーが背中に「5」を付けている。

数十年後、彼の青年時代を観たかったと嘆く人が出てくるのだろう。