コロナ禍で感じた恐怖

はじめに

僕は大学院進学を辞退し、1年遅れで就活することに決めた。その理由は
①2年と学費という時間とお金を費やしてまで研究に没頭できないと感じた。
②研究という好奇心を追求する孤独な作業にではなく、人と関わり、感謝されることをモチベーションにしたい。
以上の二つである。一方で、コロナ禍でなければ大学院に進んでいた可能性もあるなと思い、コロナ禍で感じたことを記したいと思う。

孤独の怖さ

研究室に配属された当初、もともと大学の友達が少ない僕は、先輩はもちろん、同期すら知らない人ばかりだった。(8人中2人くらい話したことがあるというレベル)
そんな中、コロナでテレワークとなり、先輩や同期と話すのは、週に1回のゼミだけである。しかも、雑談もなく、ただ形式的にコミュニケーションを取るだけだった。
結果として、半年経った今でも、完全に心を許せる存在はいない。研究は一人で進めるべきものである。だが、同じ空間にいれば、その辛さ、大変さなどの気持ちの共有ができる。お互いに愚痴を吐き出せる。研究が面白くないと感じていた僕には、それが何より大事だったのかなと思う。
テレワークが進む一方で、空間の共有がないことでの孤独感は、大きな問題なのではないかと感じた。

優秀な同期への過大評価

配属された研究室は、学科で一番優秀なる人が集まってる。一方、僕は学科で底辺レベルである。外面だけは良いので、面接で好印象だったために入れてしまったのかなと思う。
しかし、毎週のゼミ発表で、実力の差を思い知ることになる。そこから、どこまで研究に熱心に取り組んでいるのか、日頃勉強しているかが会見えた。
家での作業に集中できない僕は、「ああ、みんなはもっとやっているのだろう。」と毎日ネガティブに考えてしまっていた。しかし、これはお互いが見えていないからこその過大評価の部分もあったと思う。実際はみんなが苦しみつつ進めているのに、発表だけ見れば、他の人が順調に見えてしまう。
ここにも空間共有できてない問題が出ているように感じた。

未知の生物、先輩

上記で述べてきたが、実は同期とはなるべくオンライン上でコミュニケーションを取るようにしていた。そのため、比較的お互いについて知っていた。
だが、さらに問題だったのは先輩である。会ったこともない、性格を知らない。その中で、ただゼミで修正点を指摘され続ける。気づけば、先輩はただ自分を発表を評価する恐怖の対象となっていた。
先輩と話す時は、「この人は今の自分をどう評価しているのか」ばかり考えていた。冷静に考えれば、先輩も学生で、同じ苦しみを経験してきて、その中で後輩を助けたいという思いかあったと思う。
ただ、プライベートな話をしたことがない人からのコミュニケーションは、どうしても緊張し、身構えてしまった。その結果、ストレス、過緊張となり、一時期は研究から完全に逃げてしまった。

コロナ禍で失われたもの

ここまで何度か言っているが、コロナ禍で失われたものは「空間の共有」だと思う。
自由にコミュケーションが取れず、オンライン以外でのお互いが全く見えない。人は、見えないものや知らないものに強い恐怖を抱く。知らない人から心配されたとしても安心感を得ることができない。それを思い知らされた半年間だった。
実際会えば良い人たちだったが、それに気づくのが遅すぎた。もし、コロナがなければ、もっと前向きに研究に取り組めていたかもしれない、と思う。
けど、それでも自分は研究には向いていないと思うし、今の自分の選択を間違っているとも思えない、環境のせいにもしたくない。むしろ自分について知るきっかけができたことは、コロナに感謝したいところである。

まだ大学4年生。どの方向にだって向ける。自分が納得できることをこれから探していきたい。