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仕事探し、再び

本当は最初からわかっていた。
日を追うごとに(これは…ヤバいんじゃないか?)と不安になってもいた。
そしてそれがいよいよ本当になってしまった。

勤めていたパート先が廃業に向けた休業に入るとのことで、お役御免、クビを言い渡されてしまったのだ。

勤めだしてすぐから、あまりの注文の少なさに驚きと不安を感じていた。(前の職場はこんなんじゃなかった。)(こんなにもヒマで大丈夫なん?)と、あまり「前職が前職が…」と言いたくはなかったけれど、心の中ではいつも前職と比較し、その注文の少なさに恐れさえ抱いていた。
注文書も少なければ電話も鳴らない。平日昼間の事務所でサウンドオブサイレンスが聞こえることが何度あったことか…。

それでも勤務時間を一時間延ばしてもらえたりもして、私が不安に思ってるほど業績は酷くないのかもしれないと淡い希望を抱いて日々を過ごしていた。でも、ぼんやり椅子に座って時間を潰すような働き方で、一体何が身につくのか…このままここにいていいのだろうか…あと二、三年は大丈夫だとして、五年後、仕事を変わろうと思った時、まともに働くことができるのだろうか?仕事に慣れてくると、そのことがいつも心の片隅にあり苦しかった。毎朝、暇すぎるので仕事に行くのも憂鬱だった。
だから正直なところ、クビ宣言をされてホッとしていた。
もう仕事をしているフリをしなくていい。
給料日に(全然働いていないのに…)と後ろめたい気持ちにならなくていい。毎朝憂鬱にならなくていい。
え!?というショックがなかったわけではないけれど、(よかった。円満に辞められる)という安堵感の方がはるかに大きかった。

しかしホッとしたのも束の間。再びの職探しにうんざりとしている。
少しの間働くことによって忘れていたけれど、私はスペックが恐ろしく低い!簡単に言って、良いとこなし!
職を探せば探すほど、介護職か清掃の仕事しかないんじゃないかと不安になる。そして繰り出す伝家の宝刀「前の仕事、辞めなければよかったなぁ…」。
そんなこと言ってる場合かっ!!と自分でも呆れるのだけれども、思い出フィルターがかかって、ぼんやり綺麗に見える思い出が私に激しく後悔をさせてくる。
職が見つからないのはみじめだ。何も始まっていないのに、いや、そのゼロの地点にさえ立てない状況がみじめで仕方ない。
ここから不採用の連絡を受けたり、採用されたとしても慣れない職場でゼロからのスタートをする…考えただけでも心が萎える。
やりたいこと、できること、しなければいけないこと。この三者が見事に一致していないので、どの道を取ったとしてもいつもウジウジすることになってしまう。選ばなかった道を羨みながら(こんなはずじゃなかった)とつぶやいたりする。
派手でなくていい。ただ誰かに必要とされて、自分の持てる力を発揮できる場所がほしい。それだけがこんなにも遠い。

タイムリミットは4月末。
それまでになんとか次の職を見つけなければ…

見つかるだろうか…

見つけたい。


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