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君は西アナの「育休日記」を読んだか!?

一年前に書きかけていた下書き。
一年たった今読み返してみても感想に違和感がないので最後まで書ききってみる。
私が読んでいたのはウェブマガジンだったが、今は『おそるおそる育休』というタイトルで書籍化されている。(内容がウェブマガジンと全く同じなのかは確認できていない。本には新しいエピソードも入っているのかもしれない。これも読みたいなあ。)

☆☆☆

大阪の毎日放送(MBS)に西靖というアナウンサーがいる。三人目のお子さんの誕生を機に育児休暇を数ヶ月取得され、その日々のアレコレをミシマ社のウェブマガジンで連載されていたのだが、これがすごく面白い。

西アナと言えば頭脳明晰で切れ者。冗談も面白いことも言うけれど冷静でどこか頑固そうな雰囲気もある。勿論タレントではなく局アナなので、ワーワー大騒ぎしてガハガハ笑ってる姿を目にすることがまず無いのだが、でも番組を進行する折々に完璧さや頑なさが見え隠れしていて、(やっぱり一般人とはちゃうんやろうなぁ~。私生活もビシッとちゃんとしてはんねんやろうなぁ~)という「高嶺の花」感があった。

育児休暇に突入した当初、西アナはなんだかホクホクしている。大っぴらにウキウキしてる様子はないのだが、赤ちゃんが生まれてくることや、初の試みを前にワクワクドキドキしているのが行間からすごく、ものすごく匂い立っている。言わずもがなで文章はとてもお上手で、口語調なのに砕けすぎず、かと言って冗長にもならず、丁寧に過不足なく心情や光景を表現されている。それなのに抑えきれないワクワク感!読んでいるこちらまで新生児を迎えるあの特別な空気感や匂いを思い出してにんまりとしてしまう。

かくして、冷静に穏やかに西アナの育児休暇は始まったのだが、回を追うごとに面白いように色々と乱れ始める。普段テレビの中ではあんなに落ち着き払っているのに、子供の弁当を作るのにイラついて奥様に八つ当たりしたり、上のお子さんたちのケアに真正面から挑みすぎてヘトヘトになったりしていく。育児休暇を取った以上は真剣に家事育児に取り組み、平均点以上の働きと貢献をせねばと自分を律し行動する。その真剣な眼差しが微笑ましくも面白い。怒涛のように色々起こるのだが、筆致は至って冷静で乱れることはない。家事を一人で請け負ってみて初めて分かること、喜びも焦りも苛立ちもしっかりと綴られていく。
子供たちが折に触れお母さんを恋しがるのだが、一番恋しがってるのは西アナなんだろうなぁ…と感じられる場面もある。でもそれはノロケなどという呑気なものではない。給水所というか避難場所というか息継ぎというか…大げさに言えば命をつなぐホットライン。そう、1日中幼子と過ごすというのは傍から見ればほのぼのとした、絵本の1ページのような光景かもしれないが、当事者にとってそれは時に地獄絵図なのだ。そういう時が確かにあるのだ。林明子の絵本の1ページみたいな時も勿論ある。でも無間地獄みたいな時もあるのだ。

冷静沈着な西アナも当然人間であり、なかなか理屈の通じない子供たちにギィー!となり、寝不足や産後の疲労からストレスがマックスになってイラついている奥様にムッとすることも。家族みんなが環境の変化に戸惑い、それぞれが少しずつ我慢していると頭ではわかっていても、すぐに納得できないようだ。奥様に「イラついている時の私はいつもの私じゃないからスルーして」と言われても、(それでほんまにスルーしたらもっと怒るんちゃうん!?)と深読みしたりもしている。
寝不足による慢性疲労に加え、産後の急激なホルモンバランスの崩れやら母性の台頭やらで自分が自分でないような、本当に赤ちゃんと自分以外全員敵!と思ってしまうような異様な精神状態を思えば、奥様の言っていることはまさにその通りで、「ちゃうやろ!スルー言うてもそこはフォローやろ!」なんていう裏は全くなかったと思われるのだが、サポートする側はどこをどのように支えていいのやら分からず、手探り状態なのがなんとも生々しい。
産後間もない奥さんをフォローするのは本当に大変だったと思う。なんやねんその言い方!とか、さっきと言ってることちゃうやん!とか、思うことは色々あったと思うけれど、産後の精神状態は本人にしかわからない、いや本人ですらもわからなかったりする。精神的な揺らぎ、体の不調、そして言葉にならないしんどさも、得も言われぬ喜びもある。パートナーに産後の生活やその他諸々をサポートしてほしい、共感してほしいと思う一方で、そのアレコレを簡単に「わかるよ」としたり顔で言われたくないという思いもある。ワガママに聞こえると思う。でも8ヶ月もの間体内で人間を一人育て、交通事故に遭うのと同じぐらいのダメージを体に受けながら人間を一人産み落とすのだから、もうこれは「そういうことなんか!」と無条件に受け入れてほしい。何を間違っても相手の意見を論破してやろうなどとは思わないでほしい。男性の育休中の一番の仕事は「すべてを受け入れること」なのかもしれない。

勝手なイメージで、テレビ局という職場は最先端で自由度が高いような気がしていたので、育児休暇を取ることに理解を得られるのだろうか、出世を含む自分のキャリアに支障はないのか…と西アナが悩む様は、どんな仕事であれ、日本ではまだまだ仕事を休むというのはハードルが高いのだなあと思った。途切れることなく続けることも大変やけど、それって「質より量」の価値観よなあとも思う。もっと「量より質」が当たり前になればいいのになー。

この連載(本)は誰が読んでも楽しく読めると思う。すでにその時が過ぎた人は「あ~わかるわかる」「あったなぁ、そういう時」と懐かしさとともに読めるし、これからその時を迎える人は「そういう感じになるのね…」と参考になると思う。でも多分一番読んでほしいのは、これから父親になる人なんだと思う。悟りきった説教もないし、ぶっ飛びおもしろエピソードが詰まっているわけでもない。ただただリアルな「お父さん、育休取得してみた」な毎日がそこにある。大きな変化はないけれど、気が付くと「お父さん」の樹の幹が二回りぐらい大きくなって、その木陰は以前より断然濃くなっている。なんだかそんな感じがする、非常に読後感の良い作品である。


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