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『ニワトリと卵と、息子の思春期』を人生の必読本に指定しよう

繁延あづささんの『ニワトリと卵と、息子の思春期』を読んだ。
この本を知ったきっかけはTwitterだったと思う。たまたま誰かが「面白かった」とつぶやいていたのを見て興味を持って手に取った。
タイトルから私が勝手に想像していた内容は、思春期で荒れ狂う息子(中学生・不良・停学処分とか受けている)に命の大切さを感じてもらうために、家で一羽のニワトリを育て始め、そのニワトリが卵を産むことで停学処分とか受けている息子が、命のつながりや持続可能な社会について思いを巡らすという、なんだかそういうわかりやすい「改心譚」なんだろうと思っていた。
…よくもまあそんな内容だろうと予想して(面白そう、読んでみたい)と思ったなという気がしないでもないが、とりあえず手に取った。

結果から言って、息子は不良でも停学処分中でもなかったし、小学六年生というほんの子供だった。しかしこの息子がすごかった。冷静さとハチャメチャさを共存させ、アニメではない、漫画のドラえもんののび太君のような静けさを感じさせる。(ああ、ここらへんもう少しうまく言いたいのだが…)
本の前半は、息子がニワトリを飼って採卵し、その卵を売って小遣いを稼ぐという大胆な発想に家族、とりわけ母親である繁延さんが巻き込まれていく様がスピーディー且つ、生き生きと描かれる。
息子からニワトリの話をされた時、飼い始めた時、トラブルが起こった時。トラブルの時はさもありなんという感じなのだが、どの局面でも繁延さんはずーっと困っていたり戸惑っている。繁延あづささんは写真家で、自身もイノシシ猟について行って命の終わりを何度も見つめている。命を飼うということ、頂くということに関して肝が据わっていそうなのに、息子が「命」を扱うということにとても動揺している。
こんなしっかりした子なら私なら喜んで応援するのに…とさえ思うのだが、これが我が息子となればどうだろう。そりゃ不安しかないよなとも思う。綺麗に文章化された「よその家のしっかりした子」として見れば、何の不安も感じないが、恐らく、書かれていない部分で息子の子供っぽさや不安定さも多々あったのだろう。事あるごとに繁延さんは「家族がバラバラになる…」とやきもきしている。
そして後半は、その、自身が感じる「やきもき」にフォーカスが移り、不安の正体や、母親というものについて掘り下げていくことになる。
ここでの繁延さんの「母親」の捉え方が非常に秀逸で、母親という状況にいる人は首がちぎれそうなほど頷きながら読むんじゃないかと思う。
「母親」というものを語る時、油断するとすぐスピリチュアルになる。みんな大好き「聖母像」がどこまでも追いかけてくるのだろう。それを振り払ったと思ったらすごくシニカルに語りだしたりもする。この世には0か100かの母親しかおらんのかと腹が立ってくる。けれど繁延さんの言葉はまっすぐに本質を掴んでくる。母親であることに疲れてしまう瞬間を的確に言葉で表現して見せてくれる。その切り取り方の端的な感じに(ああ、この人は写真家なんだな)と実感する。
家族も寝静まり、もう遅い時間なのに途中で読むのを止めることができず、そこで思いがけず私のモヤモヤを掴まれてしまい暗いリビングでわんわん泣いてしまった。どの言葉がどこに引っかかるかわからない。何気ない言葉なのに、ずっと探していた言葉だとわかる。心の隙間にピタッと嵌まる。大げさな言葉もない。厳しい言葉もない。けれど読み終わると「お母さん」に浸食されていた私が「私」に戻っている、そんな感じのする読後感だった。

さて、ここまで絶賛してきた『ニワトリと卵と、息子の思春期』だけれど、私が思うに、小6にしてこの息子さんは思春期を通り越していたのではないだろうか。家族にしかわからない小さな衝突や日々のいざこざはあったのだろうけど、ニワトリを飼いたいと言い出した時にはすでに8割方成熟していて、自分の道を歩いていたのではないかと思う。ニワトリの話をされて繁延さんがふと息子を見たら、繋いでいたはずの手は空っぽで、自分達が立っている道の横の道を息子君は一人ですたすたと歩いていた。その足取りに迷いはなく、道の先は明るく、息子の背中しか見えないことに大いに戸惑いを感じたのではないだろうか。だから慌てて息子を自分の庇護下に繋ぎとめようともがいて、家族の形が変わっていくことや、もしかするとすでに少し前から自分が好きだった形ではなくなっていたのではないか?という恐怖にも似た焦りを感じたのではないだろうか。焦ったり戸惑ったりしながら、繁延さんが背中にじっとり汗をかき、息子君に対して冷静に、対等にあろうとする姿は神々しくさえある。その汗ばんだ背中こそが母親なんだよなあ…と苦笑しながら考えてしまう。
そしてこれは息子がもがいた「思春期」の話ではなく、母親がもがいた「子離れ」の話だったと思う。
この本とは違うところで読んだのだが、この本を出すにあたり息子君に原稿を読んでもらったら「この書き方は俺は好きじゃないけど」みたいなことを言われたとあった。息子君からしたら、あの頃はお母さんがえらくジタバタしてた子離れのための準備期間やったやんていう気持ちなんじゃなかろうか。それを「息子の思春期」て…。もがいていたのは圧倒的にお母さんやったやん、という視点からの発言かもしれないなと思う。

勝手に想像したことを書いてしまったけど、この家族、それぞれの世界観が濃ゆくて爽やかで(これまた勝手なイメージ)、枠に収まりきらない感じが非常に楽しい。
そんな家族が大事に育ててくれた卵、「山の鶏鳴舎」の卵を一度食べてみたいなあと、切に思う。

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