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惑う私

ひたすら家と家の近所で過ごした長い夏休みが終わり、終わったと思った瞬間学校でコロナ感染者が出て臨時休校になり、(こりゃああと一ヵ月は籠城か?)と覚悟を決めた瞬間学校が再開し、唐突に一人の時間がやって来て戸惑っている。

子供たちが家に居る時は、(ほんっとに片付かないっ!)と始終イライラしてたくせに、いざ1人になると全然掃除にも取り掛からないんだからどうしようもない。今なんかアイス食べながらこれ書いてるし…。昨日までの私が聞いてあきれる有様だ。

怖がりで何事にも慎重な息子は、今日の学校再開を嫌がるんじゃないかと懸念したのだが、休校なんてなかったように普通に出かけて行った。念のため昨日幼稚園を休ませた年中の娘は兄貴と打って変わって大胆かつ奔放なので、登園を不安に思う私をよそにガンガン自分で幼稚園の準備を始めて、これまたたったかたーと行ってしまった。

そう、我が家で一番コロナを恐れ、その恐怖にがんじがらめになっているのは私「だけ」なのだ。そんなに怖いのならさっさとワクチン接種でもすればいいのに、今度はワクチンも怖い。怖い怖い怖いのミルフィーユ状態。お皿にばったり倒れたミルフィーユみたいに自力で起き上がることも、美しく散ることもできない。そのうちぐじゃぐじゃに食べ散らかされて手が付けられなくなるに違いない。どうしようもないんだよーどうしたらいいんだよーと誰に向けていいのかわからない叫びだけがずーっと頭の中で反芻している。

半月ほど前までは、順番が来たらすぐにでもワクチン接種するぞっ!と息巻いていたのだが、ひょんなことから「ワクチン接種と副反応による死亡事例」みたいな情報を目にしてしまい、そこから急に考えが変わってしまった。実はその時すでに近所の病院でワクチン接種の予約まで取り付けていたのだが、恐怖のあまりキャンセルしてしまったのだ。調べれば調べるほどワクチンが人体実験で、毒であるようにしか思えなくなり、早く打った方が良いよという親の言葉も悪魔の囁きに思えてきて、もうだれも信用できない。みんな嘘ついてる!などと思い始めるようになってきていた。

と同時に、この自分の感覚、まるで洗脳されている人の思考回路っぽいなと面白く思う自分もいた。よく、心が弱っているとその隙に付け込まれて、自分が欲しい言葉を埋め込まれてどんどんその人(や考え)にのめり込んでしまうと聞くけど、今の私、まさにそれじゃないか‼‼‼‼‼芸能人のそういう報道を見るといつも(なんでそんな怪しい人にひっかかるかねぇ?)と鼻で笑っていたけど、ああ…こういう感じなんだなあと今回よくわかった。

「辛い!」「しんどい!」と自分の中の赤信号が点灯する時はどんなにしんどくても大丈夫なんだと思う。自分の体も止まるし、周りが止めてくれたり、お巡りさんが「こらこら!そこ止まりなさい!」と注意してくれたりもする。危ないのはずっと黄色信号が点いてる時なんだと思う。自分でもちょっと危ないかな?と思っている。でもいつもこれぐらいならサッと行っちゃうし…とか、周りも止まってないし…とか、ここで私が急に止まったら流れ止めるよね?周りに迷惑かけるよね?とか、ずっとキョロキョロしてる感じ。自分はどこに行きたかったのか、どんな車に乗っててあとガソリンはどのくらいあるのか、良く知ってる道なのか、運転は交代できないのか…といったような「自分」がどういう状況なのかを見失ってしまう。

さっき、ワクチンについて調べれば調べるほど…と書いてみたけれども、これも結局はネットで集めただけの情報で、しかも自分が欲しい情報だけを選んで自分の考えを強固なものにしているに過ぎない。どこのだれが書いているのかもわからないコメントを読んだりして、さも自分が公式な文献に当たったような気になっているだけなのだ。とても「勉強しました!」なんて言えない、ただのゴシップ好きのおばちゃん。なのになんの強要も圧力もない身内の言葉に過剰に反応したりして…全く面倒くさい。でも、じゃあ世の中に広く報道されている情報の方が正確かと問われたら、それも正解とは思えないのだ。結局人は自分が信じたい話だけを聞くから、事実は一つでも真実は見る人の数だけあるのだと思う。…って何かの漫画で言ってた。

最近はママ友なんかに会うと、ワクチン打った?という話になるのだが、国が「はよ打て!」キャンペーンをぶち上げているので、なかなか「打ちたくないから迷ってる。打たないかも。」と言い出しにくい。たかがワクチンなのだが、政府の言うことに背こうとしている反逆者っぽさ感じないですか?国家転覆を狙うテロリスト、危険思想の持ち主っぽいというか…。まあそこまで思わなくても、同調圧力の強い日本ではマイノリティは偏屈というか変わり者と思われがちなので、今後もぬるっと付き合いをしていくためにはうまく立ち回りたいと思うところ。そう考えるときっぱり意思表示するより、柔らかく!ライトに!あっけらかんと!と力みすぎて、必要以上にニコニコしながら「私めっちゃチキンやから、なんか急に怖くなってきてぇーまだ予約とかも全然できてなくてぇーめっちゃ怖いからぁー」なんて言ってしまう。相手に警戒心を抱かせないようにと笑顔で自分を貶める発言をし、そこでまた無意識に自分を傷つけて、その自分を守るために一層頑なになるという悪循環。ホント、弁明(?)してる時の自分の笑顔は一時話題になった小林麻耶さんのニコニコ暴露動画っぽくて自分でもうすら寒く感じる。ていうか、そもそもぬるっとしたママ友の付き合いなんか必要か?なんでそんなところで労力使ってんの?と思われるとは思うけど、「自分の友達」ではなく「ママ友」だからこそ気を遣うわけで。そこには子供のコミュニティ問題も絡んでくるので慎重になってしまう。

こうしてコロナ関連のことをつらつらと考えていると、不安になってきて急に体が重たくなって無気力になってしまったりすることもある。考え付くチャートの行きつく先がどれも「苦しみながら死ぬ」になっていて、絶望しかねぇな…と嫌になる。人間必ず死ぬんだから!と死を肯定的に捉えようとも思うのだが、そのいつかが二週間後かもしれない恐怖はなかなか凄まじい。自分が苦しいのは嫌。でも子供が苦しんでいる姿を見るのはもっと嫌。家の中に閉じ込めて外気に触れさせずこの災禍が通り過ぎるのを待ちたいけど、それでは魂が死んでしまう…。全ては自然の摂理のままに。流れに身を任せるしかない。わかっちゃいるけど怖いものは怖い!嫌なもんは嫌なんや‼‼

なんだかどんよりした空気を流してしまったけど、一つだけ良かったなと思ったのは、この、ワクチンがどうの感染対策がどうのという流れの中で、周りがみんなこうしているから私もそうしようと安易に流されるのは止めようと思えたこと。のど元過ぎれば熱さは忘れるらしいので、いつかコロナが終息した時にはまた「みんなと一緒」を良しとする考えに戻っているのかも知れないけど、大勢の人の声を聞いても鵜吞みにせず、私はどうしたいのかを車を路肩に停めてちょっと考えようと思う。次動き出す時の合流がちょっと大変そうやけど、ニッコリしながらペコリとすればまたすぐに流れにもどれるはず。深刻にならずに。慎重に。でも大胆に。あぁ、私に二人の子供がいる理由が今なんとなくわかった気がする。ベンキョーさせて頂きます。

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