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地域おこし協力隊の任期満了、鹿児島に戻ってきてからの丸3年を振り返る。

年の瀬が近づいてきた11月。地域おこし協力隊を卒業しました。行政の肩書がなくなり、ふっと、肩の荷がおりたような気がして、今はなんでもできそうな気がします(笑)

私は、鹿児島県南九州市頴娃(えい)町のNPO法人頴娃おこそ会の地域おこし協力隊として就任しました。ちょうど3年前のこと。丸3年、フルに制度を活用しました。もともとWEBデザイナーとして、東京で暮らしていましたが、今は、デザイナーとして(ロゴ制作、紙媒体のデザイン、WEBサイト構築、など)デザインを軸にして媒体の問わない仕事をしています。私の場合は、頴娃おこそ会が手をあげたことから、制度が誕生した民間主導の地域おこし協力隊、再生した空き家三軒のソフト運営というのが主目的でしたが、生業を作り出すことを最終ゴールとしており、柔軟に仕事させていただきました。(副業OK、いや、副業が大半を占める)副業をさせていただけた為、1年は暮らしていける貯金ができたことは、精神的に安定を与えてくれています。これめっちゃ大事です!協力隊として、本当に恵まれているケースで、感謝してもしきれないです。

南九州市第1号、そして、移住ドラフト会議で移住したものとして、はじめは数々のメディア取材にあいました。力もないのに、なんかほんと恐縮だったのを覚えています。メディア疲れということも同時に味わいました。

ざっと下記のような、イメージで3年間生きていたように思います。

1年目 現地受入対応・おこそ会に寄り添った業務

希望に胸を高鳴らせ、やってやるぞーって思いでやってきて、企画を考え、ひたすらに思いを語っていましたが、何一つ実現していないです。それはなぜかと言うと、外という都会から地域を見ていたからです。中身が薄い内容でした。でもあのときの発想は、フレッシュで 突拍子もない若さに溢れていました。

2月に同僚の蔵元(以後:クラ)がジョインし、5月に蔵前のゲストハウスNui.で出店しました。東京で紡いだコネクションを最大限に発揮して、友達にたくさん来ていただきました。

多くの方々にお茶と茶節を飲んでもらい、コミュニケーションをとりました。クラと共に運営しながら、ぶつかり合って、ものを売ることの難しさを痛感しました。東京に行くコストを考えると、利益はゼロ。これを自社商品を持っていない我々がPRとしてやり続けても意味がないと思い、これっきり出店はやめることにしました。

1年目は、様々な県外の現場を見て、勉強させてもらう機会が多かったです。

県外へ視察に行き、知見を会得しつつ、戻ってきたら、頴娃での対応をする。「ゲストハウス(後のふたつや、)をやりたい」という思いは、友人や遊びに来てくれた皆さんを対応する中で、僕のやるべきことではないという気持ちへと変化していきました。ゲストと対話をして、意気投合すれば夜まで飲む。楽しかったんだけど、今じゃなかった。結婚して、夫婦生活を優先しようと決めたこともあったからだと思います。

地域メディアEIGOエイゴーの立ち上げ奮闘するも、うまくいかず。。。

2年目 デザイン業務の幅を広げたスキルアップ

2年目の初めは、相当きつかったです。クラが株式会社オコソコを立ち上げ、自分で「なんか違う」と思い、ジョインしないことを決めたのにも関わらず、なんか疎外感を勝手に感じてしまいました。と同時に、地域内で少し揉めてしまい、心はぐちゃぐちゃでした(笑)自分にできることを自問自答しながら、日々を過ごす中で、これでよかったのかな?っと思い詰めることもあり、ストレスは、都会にいたときよりも抱えていました。

ひいてもらっても構いませんが、夜尿症(おねしょ)も何度かあり、結構やばかったですね。当時は、地域、仕事、家庭の3軸をどうコントロールすればいいのか、また、仕事と地域の線引きが自分の中で整理ついていなかったように思います。子供も生まれ、式の準備もあいまって、もう。

地域からの頼まれごとを、仕事として考えすぎていました。もう少し、肩の力を抜いて、無料でなんでもやりますよって姿勢を持っていても良かったんじゃないかと思っています。後の信頼関係構築に役立ったと思います。

またこの頃、カンケリデザインという仲間もでき、役割という言葉を覚えたのもちょうどこの頃。

人にはそれぞれ役割がある。
チャコの「なんか違う」の価値観は大事にしたほうがいい。

そう言ってくれたのは、サトーコーヨーでした。彼は、人が抱えていることを見抜き、的確な言葉をなげかけてくれる天才です。「自分で何でもやらなければいけない、レールから外れてしまった」なんて勝手に思い込んでいたのかもしれません。

カンケリデザインの3人に支えられて、徐々に、気持ちが立ち直りました。(最高の結婚式2次会を作り上げてくれて本当にありがとう)

ごっそい祭りや絶景祭り、RIVERBANK、markMEIZANなど、信頼してくれるみなさんのおかげでグラフィックデザインのスキルが付いたのもこの年になります。

3年目 地に足つけてやっていく

着任当初から考えが少しずつ変わる中で、地場産業に関わりたいと思うようになりました。ようやくやりたいことが舞い込んできて、かなり気合いが入ったのを覚えています。東京でのお茶のPRイベント「隣のお茶は、青い」は、企画名から共に伴奏し、最高の仲間、そしてお茶の生産者と作り上げました。

今現在もこの企画は進行しており、お手伝いさせていただいております。雄大、トーコさん、ありがとう!

3年目は特に行政の人間であることを意識せず、デザイン案件に爆走した1年でした。

まだまだミッションはクリアできていません。塩や、の運営、自分で生み出した地域メディアエイゴーの運営、などなど、課題山積ですが、引き続き、仕事の延長線上でお手伝いできることは、積極的にやれるよう努力します。

最近思うことは、やらなければ!という気持ちをただやるだけ!に置き換えることです。そう、JUST DO IT!

丸3年で、数々の土地をみさせてもらいました。プライベートでも、視察でも。

徳島(神山、佐那河内、加茂谷)兵庫(丹波篠山)島根(石見銀山、津和野)広島(尾道)京都 岡山(西粟倉)長野(長野、上田、塩尻、下諏訪)福岡(上毛町)長崎(福江、上五島、雲仙)佐賀(武雄)北海道(上川、北見、釧路)熊本 鳥取 東京 

この地で出会った皆様に、お時間をいただきました。本当に感謝いたします。

最後に

3年間お世話になった加藤潤さん本当にありがとうございました。潤さんがいなければ、この地で、暮らせていません。また勝手を言って、隣町川辺に住むことをお許しいただき、本当にありがとうございました。先人の方々のに無理言って甘えてしまっています。ご理解に感謝です。

頴娃おこそ会、ならびに、原田さん、要さん、ちかさん、石元さん、気を配っていただき本当にありがとうございます。

南九州市役所の皆様がたにおかれましては、多大なご理解のもと、私を職員として3年間見守り続けていただきまして、本当にありがとうございました。引き続きよろしくお願いいたします。

BAGNの皆さん、オギさん、仕事で関わる人はこれからもどんどん増えていくんだけど、まずは、一区切り、今まで本当にありがとうございました。引き続き案件進めてまいります。よろしくお願いします。

朝活のメンバーや、文吾さん、まだまだ感謝しきれない人いっぱいですが、このへんで。みなさんとの出会いで、今があります。本当にありがとう。

クラは、本当にライバルであり、戦友で、親友で、高校時代話したことがなかった私が予想だにしなかった景色を作り出してくれました。共に仕事をすることは、少ないけれど、これからも共に切磋琢磨しあいながら、生きていこう。クラといると、ただただ楽しいんだよ。どうあって欲しいとか、言わないけれど、クラが幸せでいてくれればそれだけでいいから、自分の仕事も生活も大事にしてね!

南九州市はとても住みやすいので、しばらくはここを拠点に生きていくつもりです。

どんなに苦しいことがあっても、鹿児島から出ることを考えないのは、単純に、「鹿児島が好きだから」なんです。それにつきます。「郷土愛の固まりの前迫」をこれからもよろしくお願いいたします。


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