常識の定義

今日は心のこぼれを書いてみる。

書くことで通りすがりさんとお友達になったり、

書くことで誰かの気づきになることも

書くことで改めて自分の落としたりするために。


最近、常識のない人に出会った。ワタシの常識の定義は

優しさや思いやり、感謝する気持ち、ありがとう、ごめんね

を常に意識することを常識だと思っている。出来るに越したことはないが、ここで大切なのは、常に意識することである。

ワタシが常識人なのか?と聞かれたらワタシはまだまだ非常識であるのだがそれを言い出せば話が進まないので次に。

ワタシ自身、優れた能力は無いのだが、ワタシの友人にはとても優れた能力を持っている人がいる。俳優活動をする人、本を書く人、イベントをする人、写真を撮る人、etc...

才能溢れた人と才能溢れた人を繋ぎ合せたりすることがワタシの唯一できることでそれって、なにか愉快なことが起きればいいなぁ、なんて気持ちがあったり、一緒に愉快なことしたいなぁ、なんて気持ちがあるからなんだけど。時にワタシがいない方が円滑に回ることがある。そんな時は、報告だったり、結果が唯一の仲間意識に繋がる。

でもごく稀に仲間外れにされちゃって、悲しく寂しい気持ちになる。

見返りとも言えるのかもしれないけど、ありがとうって感謝の気持ちを言葉や態度で表してくれることって本当に嬉しいし、ワタシ自身が人と繋げてもらって愉快な結果になったり、そうでない場合も感謝の気持ちを持つことが当たり前だと思って生きてきたし、育てられた。持ちつ持たれつのような気持ちや、物事に対する対価っていうのがどこか人間の原動力になってるのではないかな、と思う。


だから、これはワタシの常識でこれを読むアナタの常識とは違うかもしれないけど、ワタシは自分の常識を大切にしたいと思う。もちろん、ありがた迷惑という言葉があるように、感謝されることが苦手な人もいるだろうし、物事には例外が付き物で絶対なんてないけれど、


失敗したり、傷つけたら、「ごめんなさい」だし。

成功したり、嬉しい気持ちになったら、「ありがとう」なのである。

もちろんそこに関わった人全員に。





これを書きながら振り返れば、お礼を伝えれてない人がちらほらいる。

ありがとうを言いに行こう。ワタシもまだまだなのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?