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『はつ恋』ツルゲーネフ作 神西清(じんざい きよし)訳 新潮社

3冊目はツルゲーネフの『はつ恋』(神西 清訳(じんざい きよし)・新潮文庫)です。今日もまた年代物の表紙ですよ(* ´艸`)
札幌の中学校1年生のとき、市内で一番大きな富貴堂書店という書店で買いました。


何しろ大昔のことです。ウォークマンもテレビゲームもありませんでした。あのころは書店がレジャーランドで、本を読むのが娯楽でしたよ。
しかしミーハーな中学1年生だった私には、文学の香り高き名訳はいささか難しく、特に感動もしませんでした。
そのよさがわかったのは、それからずっと後の40代半ばになってからのことです。
当時、その感動を記したものが残っていたので、少々手を加えてアップします。


・・・・以下、40代半ばの私が書いた文章です・・・


数十年ぶりにツルゲーネフの『はつ恋』を読み返し、激しく感動を覚えました。この小説がこんなに素晴らしい小説だったなんて!
物語は中年の男性(地主階級)が集まっているときに、それぞれ
自分の初恋の話を告白するところから、始まります。
ところが中にひとり、とてもうまく話す自信はないが、文章なら
まとまるかもしれない、後日、書いて皆さんの前で朗読しよう、
と約束した男性がいます。
その彼の回顧録という形になった小説で、主人公は当時16歳の
大学受験生。
彼は地主の息子で、両親とともに、別荘に住んでいました。
ある日、隣の家に没落貴族が引っ越してきます。


母親はほとんど「おねだり」と「借金」で暮らすのを当然と
考えている、品のない人物ですが、主人公の少年よりいくつか
年上と思われる、冷たい美貌を持つ、利発な娘(ジナイーダ)
を持っており、主人公はこの女性にメロメロになるのでした。
魅力的な彼女には、他にも多くの取り巻き男性がいますが、
あろうことか、彼女は主人公の父親と恋に落ちていたのです・・・


この小説を私は今回一気に読みましたが、そうさせたのは人物描写がしっかりしていて「キャラが立っている」のが大きかったと思います。
とくに貴族令嬢の個性は素晴らしい!
自分の意思を持った一人の人間として、生き生きと魅力的に
描かれています。
彼女は自分の魅力をよく知悉しており、それを最大限に生かして
男性たちを振り回します。


また主人公の心理描写の緻密さにも圧倒されます。
思春期にあって、子供の世界を脱し、新しい広い世界に
足を踏み出していく、少年の目と感受性のみずみずしさが
詩的に、かつ甘ったるい感傷を排して表現されています。
とくに日ごろ冷ややかで、ときとして主人公に愛情をもって接する理想の大人の男・父に対する、主人公の限りない愛と憧憬、
そしてコンプレックスの描写にはうならされます。
でも私がもっとも好きなのは、
主人公が別荘を離れ、憧れの人と最後の対面をする場面かな。


・・・彼女はすばやくわたしの方へ向き直って、両手を大きくひろげると、
わたしの頭を抱きしめて、熱いキスを私に与えた。その長い長い
別れのキスが、誰を心あてにしたものか、神ならぬ身の知る
よしもなかったけれど、わたしはむさぼるように、その甘さを
味わった。わたしはそれが、もはや二度と返らぬことを
しっていたのだ。「さよなら、さよなら」とわたしは繰り返した・・・


やがて急死により父を失い、大学に入学した彼は、
街角で初恋の人の取り巻きの一人に会い、彼女の消息を知ります。
彼女は結婚し、出産のために主人公の住むペテルブルグに
滞在していたのでした。
何かと用事ができて、彼女に会いに行けたのは、それから
2週間後のことでしたが、あろうことか、彼女は産後の肥立ちが
悪く、4日前に亡くなっていたのでした。
彼女の死を知ってから4~5日後、彼は同じアパートに住む、
貧しい老婆の死に立ち会います。
主人公はこう書いています。


・・・彼女の一生は、その日その日の乏しい暮しに、あくせく
終われ通しで過ぎたのだ。喜びというものをついぞ知らず、
幸福の甘い味わいも知らない彼女としては、まさに死こそ、・・・
そのもたらす自由を、そのもたらす憩いこそ、喜び迎える
べきではなかったか?・・・


しかし、現実には、彼女は死の瞬間が訪れるまで、ひっきり
なしに十字を切り、神に祈り続けたのでした。
この小説はこうして↓終わります。


・・・そして、これを名残りの意識のひらめきが、すっと消えると共に、
彼女の眼の中でも、末期の恐れやおびえの色が、やっと
消えたのである。忘れもしない、そのとき、その貧しい老婆の
いまわの床に付き添いながら、わたしは思わずジナイーダの身に
なって、そら恐ろしくなってきた。そして、わたしは、ジナイーダの
ためにも、父のためにも、そしてまた、自分のためにも、
しみじみ祈りたくなったのである。


他者への祈り・・・
私は特定の信仰を持つ者ではありませんが、
人間が他の人のために、現実に手を貸せることは
限られている、できることは他者のために祈ることだけ
なのではないか?とよく考えることがあります。
そう考えるようになった私の心に、この小説の終わり方は慈雨のようにしみいってきたのでした。


滅びゆくものへのこの作者の目のやさしさは、彼自身が没落地主
階級だったことが影響しているのでしょう。
今度は『父と子』を読む予定です。


・・・・・・・以上、40代の私が書いたものからの抜粋です。


ちなみに『父と子』を読みましたが、翻訳がよくなくて(神西清さんではなかった)物語を味わうところまで至りませんでした。
新潮文庫版の『はつ恋』のよさはひとえに神西清さんの名訳によるものです。
もし読まれるのであれば、新潮文庫版を強くおすすめします。

はつ恋・ツルゲーネフ


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