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唐の都,長安へようこそ3 春明門・延興門篇

中春明門

 門外には,漢代の太子太傅(太子の教育係)である蕭望之(後漢の大儒者)の墓がある。

蕭望之の墓
蕭望之の墓

春明門の外には旅館や灞橋がある。

灞橋遺構
灞橋遺構


現在の灞橋
現在の灞橋

 ※春明門もまた,東へと旅立つ人との別れの場でした。その先にある灞橋では,やはり柳の枝を手折り,別れ行く人に手渡し別れを惜しみました。「柳」の音「リュウ」が「留」の音に通じ,「心を留める」という意味が込められていたそうです。ちなみにこのあたりには柳の木が多く,春ともなれば柳絮(白い綿毛のついた柳の種)が雪のように降りしきる美しい光景が見られるそうです。ただし見るぶんには良いのですが,気管支系の弱い人やアレルギーのある人には辛い季節です。

柳絮
柳絮

 春明門は,東の城壁の南から北へ4600mの位置にある。門洞が1つあり,城壁に登れるようになっている。

南延興門

 同昌公主の葬列を,懿宗と郭淑妃が延興門で泣きながら見送った。
   ※第十八代皇帝懿宗の娘である同昌公主は,降嫁した翌年22歳の若さ   で病没しました。
   悲しみの余り,懿宗は御医達を斬首の刑に処したという。

 春明門の2260m南が延興門であり,鉄炉廟村の南にある。東西21m,南北42m,面積882㎡で,幅6mの門洞が3つある建築物である。
                     出典:『増訂唐両京城坊考』
                      三秦出版社(中国)

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