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第二話 後ろから呼ぶもの 2年5組 小川圭太

 ある朝のホームルーム前、教室前の廊下で、薫が違うクラスの男子の男子に声をかけられているのを桜太郎は見かけた。
 その男子は記憶違いでなければハンドボール部の部員で、何やら両手を合わせて薫を拝んでいる。

「どした? 確か、五組の小川だったよな? 薫くんに何か用事?」
「あ、津島! ちょうどいいところに!」
 
 気になって桜太郎が声をかけると、小川という男子生徒は助かったという顔をした。自分のほうから薫に声をかけていながら、なぜ困っているのだろうかと桜太郎は訝しむ。

「もしかして、試合に出る部員が足りないとかで薫くんに声かけてた?」
「そうなんだ。田中って運動神経いいだろ? だから頼んだんだけどさ、引き受けるのはいいけど差し出すもんがあるだろとか言うんだ。お礼なら今度するって言ってんのに……」

 小川は困った顔で桜太郎を見てくる。薫くんは、いつもの機嫌がいいのか悪いのかよくわからないアルカイックスマイル的表情を浮かべていて、何を考えているのかよくわからない。
 だが、薫くんがどういう生き物か知っている桜太郎は、すぐに事態を飲み込めた。

「小川は知らないみたいだけど、薫くんに頼み事をするときは、決まりがあるんだよ」
「決まり?」
「そう。――薫くんに頼み事をするときは怪談を差し出さなければならない、っていうね」
「か、怪談? そういえば、聞いたことあるような……」

 戸惑った表情を浮かべて小川が薫を見ると、薫はにっこり微笑んでいた。頼み事を引き受けるから、怪談を聞かせてほしいと思っている顔だろう。
 知らない人や慣れない人には意味がわからないだろうが、これが薫という人間なのだ。容姿端麗、成績優秀、社交性高し――でも、頼み事を引き受けてもらうには何か怖い話をしなければならないという変人。
 小川は面食らっている様子だ。このまま「じゃあいいや」と引き下がるだろうと桜太郎は踏んでいたが、意外なことに彼は少し考える素振りを見せてから、薫に向き直った。

「今さ、何かないかなって考えてたんだ。で、思い出したんだけど、自分が体験した話じゃなくて人から聞いた話でもいい?」
「もちろん」

 小川が少し困った顔で尋ねると、薫はにっこりして頷いた。お菓子がもらえるとわかった子供みたいな笑顔だ。
 それを見た小川は、安心したように話始めた。

 これは、先輩の友達の話なんだけどさ。
 その人を、Aさんとするな。
 Aさんの趣味は、クロスバイクなんだって。ほら、山道とかも走れる自転車な。あれに乗って、ちょっとした山を走るのが好きなんだって。
 クロスバイクっていうのは、うんと安いものだと二万円くらいからあるらしいんだけど、ちゃんとしたのに乗ろうと思うと、やっぱりパーツとかにもこだわらなきゃいけないから、どうしても金がかかるらしい。
 それで、Aさんはバイトをしてお金を貯めて選び抜いたボディを買って、給料が入るたびにこだわりのパーツを買って…ってして、とっておきの自転車を作り上げていったんだと。
 そうやってこだわってると、周囲の人間も興味を示すことがあるだろ?
 気がつくと、Aさんはバイト仲間と同じ高校のやつに自転車仲間ができたんだって。
 バイト仲間は、Bさん。同じ高校のやつがCさんな。
 BさんはAさんと同じようにバイト代で自転車を買って、Cさんは家が金持ちだからポンと親に買ってもらったらしい。
 それで、最初のうちはみんなチョロチョロ近場を走るだけだったのが、徐々に遠出するようになって、そのうちにちょっと遠くへ行こうって話になったんだって。
 というより、ほぼCさんの発案。自分の自転車のスペックが高いのわかってるから、少し調子に乗って遠出したくなったんだろうね。
 でも、正直言ってAさんとBさんは乗り気じゃなかった。何でかっていうと、Cさんがあんまり体力ないのが二人にはわかってたから。ほら、片やバイト高校生、片やバイトとは無縁の金持ちボンボンだったら、悪いけど体力違うの当たり前だろって話じゃん。Cさんは部活もしてないみたいだし。
 そんなふうに懸念はあったものの、結局二人もCさんが嫌いなわけじゃないし、やっぱり遠出は興味があったから行くことにしたんだって。
 山奥の、キャンプ場近くのサイクリングコース。キャンプ場近くにはCさん家の車で連れてきてもらって、そこから自転車でサイクリングコースまで移動したらしい。
 コースは初心者向けの道と上級者向けの道があって、クロス乗りの意地みたいなもので、三人はそっちを選んで走り出した。Cさんの体力を考えたら、本当は初心者向けが良かったんだろうけど。
 最初のうちは、三人とも調子よく走れたらしい。景色を見たり、おしゃべりしたり、ふざけたりする余裕があった。
 でもそのうちに、Cさんが遅れるようになった。そのたびにCさんが「待ってくれよー」って言うから、AさんもBさんも止まったり速度を落としたりしてたんだって。
 自転車で長距離走ったことあるやつならわかると思うけど、これは地味にきついんだよな。ただ走るだけでもそうだけど、ペースを崩されるのって体力削られるんだよ。
 だから段々と二人は苛立っていって、「早く来いよー」って促すだけで待たなくなったんだって。
 そしたら、しばらくそんな感じで走ってたら、突然後ろのCさんが「うわっ、助けて……ギャー」って叫んだらしい。そのあと、自転車が倒れるような音もしたって。
 でも、AさんもBさんも振り返ることができなかった。
 何でかっていうと、すぐに後ろからついてくる音がしたからだって。自転車じゃない、四足の獣が地面を蹴って駆けてくるような音が。そしてその音ともに、Cさんの声で「待ってくれよー」「ギャー助けてー」「うわー」って繰り返し叫ぶのが。
 AさんもBさんも、キャンプ場に向かって必死に走ったらしい。Cさんを助けるにも、まず彼の両親たちや他の大人のところに行かなきゃいけないってのもあったけど、とりあえず自分たちが助かりたいから。
 全速力で走る自転車に、苦もなくその“何か”はついてきたんだって。ずっと繰り返し繰り返しCさんの声で何かを叫びながら。そのうちに叫び声は、「ギャギャギャギャ」っていう、不気味な獣の笑い声みたいなのに変わってたらしいけど。
 そのあと、何とかAさんとBさんの二人はキャンプ場にたどり着いて、Cさんの両親に事情を説明したんだ。二人の取り乱しようからただごとじゃないと判断され、そのときキャンプ場にいた大人たちが総出でCさんを探してくれたんだって。
 そしたら、Cさんは何と、サイクリングコースを自転車を押してキャンプ場に向かって引き返していたのを発見されたらしい。こけていろんなとこ擦りむいてるのと泣きべそかいてるくらいしか変わったところはなかったって。ただ、何か獣に襲われて少し気を失ってたことと、気がついたら二人がいなくなってたことにはショックを受けてたみたいだけど。
 しゃべる獣に追い回されて怖い思いをしたのは、AさんとBさんの二人だけってわけだ。
 大人たちがCさんの発見でほっとしてる中に水をさしたくなかったから言えなかったらしいんだけど、Bさんのほうはチラッと獣の姿を見たんだって。
 ――それは、毛むくじゃらの猿みたいな姿してたんだってよ。

 一気に話し終えた小川は、ほっと息をついた。それから、何だか照れたみたいに笑う。

「ごめんな。こんな変な話で。つか俺、これは作り話だと思うんだよ。Cさんが転んだのを面白がってAさんもBさんも置き去りにしたのを、あとで怖くなって大人たちを騙すために作った話だって。だってさ、しゃべる猿ってなんだよって感じじゃん? あと、山なのに幽霊じゃなくてモンスター系の話とか、ムードぶち壊しじゃんね」

 こんな与太話を話してしまったのが恥ずかしくなったのか、それとも本当に信じていないのか、小川はヘラヘラ笑いを浮かべて何とかごまかそうとしている。
 だが、薫は満足そうな顔をしていた。

「いいね、山の怪異の話。僕は好きだから大歓迎だよ」
「お、そっか。こんな話でよかったのか」

 薫が目をキラキラさせているのを見て、小川も安心したようだ。
 
「この手の山の話には、人語を理解したり真似しようとしたりする猿っぽい怪異がよく出てくるんだよね。それに、昔の人は山に入るときにわざわざ〝山言葉〟っていう、日常で使うのとは別の言葉を使ってたっていうから、きっといたんだろうね。人間の言葉を真似する怪異が。その怪異、きっとAさんとBさんからも言葉を学びたかったんだろうなぁ。だから、反応を引き出したくてずっと追いかけたんだよ」

 薫はそう言って、それはそれは爽やかな笑顔を浮かべた。
 それまで小川の話をいまいち怖いと感じていなかった桜太郎だったが、今の薫の言葉で一気に恐怖を感じてしまった。小川も桜太郎と同じなのか、ヘラヘラした笑みをしまい、何とも言えない顔をしていた。

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