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バードコール/ヴィ レッド


バードコール/ヴィ レッド
ユナイテッド アーティスツ ST 15016
1962年録音

別にジャズ関係者でも無いので、ライブ事情などに口出しする権利は無いのですが、ジャズレコードを流し続けた元町Doodlin’11年の間は本当にたくさんのジャズミュージシャンが来店してくださって、それはそれは有意義な時を過ごせた。感謝を申しあげるしかない。
そして実感するのは昨今の女性ジャズミュージシャンの充実ぶりである。本当に年齢、プロ、アマ、楽器の種類、カテゴリーを問わず素晴らしい実力とヴィジョンを持ったプレイヤーに出会ったものだ。
彼女達はこれまで男性優位だったジャズミュージシャンの世界に果敢に挑戦していて僕を驚かせ、喜ばせてくれた。まあ、何人かには悩みを聞かされたのだけど、可愛いからという理由で(年齢ではなく精神面でいう)ジャズ老人に追いかけ回されたり、そんな老人ファンを大切にしてるだけで批判されたりという問題もある様だ。そもそも可愛いからという理由で評価されたく無いというのは当然だと思うが、日本のジャズ喫茶でジャズを覚えたジャズファンの行く末なんて所詮そんなもんだとアドバイスしたものである。
それでも可愛いからワシの好きな4ビートを演れ、ファンクやR&Bやヒップホップなんてもっての他だぞ、裏切れば応援しないぞ、なんて押しつける老人が本当にいるそうなので困ったものだ。まあみんな真面目な女の子なので自分の思い通りになると思っている様だけど、今現在はジャズライブといえば老人の集いの場になっているのだから、いくら女性ジャズミュージシャンが増えたところで日本のジャズの未来はそんなに明るいとは言えないのが残念だが、奮闘する彼女達を影ながら応援する気持ちは持ち続けたいものだ。

特別に女性ジャズミュージシャンの歴史について調べたわけでは無いが、恥ずかしいことに昭和41年生まれの僕などからすれば、女性で音楽といえばピアノかフルート(しかも良家の娘)、そして歌である。情ないことにステレオタイプのイメージから今だに抜け切れていないのだ。今回の章では少しジャズを女性側に立って踏み込んで見たいと思っているのだが、誠に申し訳ないことにあらかじめ白状しますと、この昭和41年生まれ57歳というのは、物心ついた時にテレビで「天才バカボン」に夢中になって、なんでもコレデイイノダ、ですませていたこともあり、今の日本で最もいらんことを口に出す世代であり、不謹慎なギャグをことさら喜ぶ世代である。しかもやたら酒を飲む。従ってもっともな事を言おうとすればするほど、時代錯誤丸出しの人を不快にさせる発言になってしまうであろう事をあらかじめご了承願いたいと思う。全て時代が悪いのだ。

しかし、そんな僕でもジャズの世界は基本的に男性優位だったとは認める。まあ半分は男尊女卑だったと言ってもいいのではないか?だから女性のジャズミュージシャンで独立したアーティストとなった人は男性と比べてあまりにも少ないし、出現するにもかなりの年月を要した。
そんな女性ジャズミュージシャンの中で僕の知ってる限りで最初に名を知られたのはルイ アームストロングの2番目の妻となったピアニストのリル ハーディン アームストラングではないか。彼女の演奏は歴史的な1925年から27年にかけてコロムビアに録音されたルイ アームストロング ホット5、ホット7で聴くことが出来る。
続いて登場するのは、1930年代、禁酒法に揺れるアメリカで酒が飲み放題であったカンサスシティーで頭角を現したメリー ルー ウィリアムスだろう。この人は演ってきたことも凄いが、かなり長きに渡り活躍したので作品も多いのだが、まあ女性ジャズミュージシャンの中で、この人を尊敬していない人がいれば会ってみたいというくらいの偉大な音楽家である。この様にやはり比較的初期のジャズ界での女性ジャズミュージシャンはマ レイニーやベッシー スミスといった歌手を除けばピアニストが多いという印象だ。メリー ルーの後にはドロシー ロネガン、マリアン マクパートランド、ユタ ヒップ、トシコ アキヨシ、カーラ ブレイ、ジョアン ブラッキーン、ジェリ アレン、リニー ロスネス、ジュンコ オオニシ、ヒロミ ウエハラ、オルガンだとシャーリー スコット、トルディー ピット、アツコ ハシモト、アキコ ツルガなどが、男女関係なくアーティストとして足跡を残していく。
ではそんなキーボードアーティスト以外で女性はジャズで活躍できなかったのかと言えば必ずしもそうではなく、30~40年代にはナイトライフを楽しませるために女性ジャズミュージシャンがけっこう活躍してはいたみたいだ。そういうミュージシャンが出てくる映画としてはビリー ワイルダーの「お熱いのがお好き」、ウディ アレンの「ラジオデイズ」などがある。2本とも僕が正気ではいられないほど好きでたまらない作品だ。ただ、この頃の女性ジャズミュージシャンはいくら素晴らしい才能を持っていても一時のその場しのぎの消耗品扱いであったのは、この2本の映画を観てもわかる。でも恐らく僕が不勉強なだけで、きっと本当はジャズ史に残る女性プレイヤーがこの時代にもいると思う。詳しい人はぜひ教えてください。
ではピアニストとヴォーカリスト以外で現在に通じる女性ジャズミュージシャンの鏡であり、個人として一人のジャズウーマンとして自立した評価を勝ち取ったプレイヤーは誰か?

答えは一人、アルトサックスとヴォーカルのヴィ レッドであると断言したい。日本語ではヴァイと明記されることが多かった様だが、僕はヴィで覚えたので、こちらで進めさせていただく。

1928年、カリフォルニアで生まれたVI REDDは、父がニューオリンズジャズのドラマー、大叔母に当たる人が地元では有名な音楽の先生だったことから、二十歳そこそこからロサンゼルスの黒人居住地でミュージシャンとなった。我々日本人ならすぐに西海岸といえば白人らのクールジャズと決めつけてしまうが、このロサンゼルスもかなり黒人ゲットーが広がっている大都市で、ブルース、R&Bのメッカなのである。名ドキュメント「WATTSTAX」のワッツ地区(サム クックが射殺されたとこ)が有名なのでおわかりいただけると思う。
ジャズクルセイダーズもそうだと思うが、テキサスなど南部諸州からはニューヨークよりも来やすくて音楽も受け入れられやすかったのだろう。ロスに本社のあるパシフィックジャズはそんなロスで活躍する黒人プレイヤーの良作を発表して行った。デンゼル ワシントン主演の映画「青いドレスの女」はロスの黒人街が舞台になっているが、冒頭ではドラッグストアの2階が店になっている暗いジャズクラブで思い切り黒いジャズを演奏しているシーンがある。まだ二十歳そこそこだった黒人女性のヴィも恐らくそんな黒人が集まる場末で鍛え上げられたのだろう。今となってはそういう環境はロマンだが、実際にはかなり怖い経験もしてきただろうから、この勇気だけでも尊敬に値する。実際、この時代に女性一人でビバップとR&Bなんて演奏してきただけでも歴史上特筆すべき人物であるのは間違いない。

彼女が34歳になって初めて制作されたリーダーアルバム「バードコール」は、タイトルからも察する通り、彼女が尊敬するチャーリー パーカーの音楽に挑んだものだ。よってここではアンソロポロジー、ナウズ ザ タイム、ジャスト フレンズ、パーハップス、クール ブルースなど、物凄い情感を込めた最良のバップを聴かせてくれている。グイグイと心に入ってくる様は正に超一流のプレイヤーのみが持つものだろう。なのでカテゴリー分けをするなら、ビバップまたはハードバップのアルバムということになるのだが、そもそもロスのプレイヤーらしくR&Bが染み込んでいるものだからか、かなり黒い歌声も披露していて、この要素により極上のR&Bアルバムとしても聴くことが出来る。実際、パーカー作でもパーカーの愛奏曲でもない、ロスと縁の深い評論家のレナード フェザーが作曲したアイ リメンバー バードが最もソウルフルでカッコいい。僕なんてこれを聴くのが癖になってしまっている始末だ。
本作はロイ エアーズ、ラス フリーマン、リロイ ヴィネガー、ハーブ エリスといった名手を迎えているが、主役のヴィは全く気負うことなく、普段にお客さん相手に披露している音楽を平常心で演奏していて、夜にジャズを聴きに行き、ウィスキーをちびちびやりながら、こんなジャズが聴けたらどれだけ幸せだろうと想像してしまう。正直、R&Bを帯びた黒人ジャズの理想形なのではないか?

こんな傑作を普通に制作してしまうヴィの実力には脱帽するしかないのだけど、僕の友達で、ジャズロックをアメリカに広げた偉大なるヴァイオリニストの故マイケル ホワイトの夫人であり、現在はロスでシンガーとして活躍するLeisei Chenは以前このヴィに会ったことがあり、僕のSNSにヴィについてのこんなコメントを書いてくれた。
「数年前にロスでうちの旦那のマイケル ホワイトも受賞したJazz Living Legendの授賞式で彼女とお会いし、お話しました。若き日のビデオで見ていたキリッとした印象と違って素敵な優しいおばあちゃんって感じでした。彼女いわくあの当時唯一の女性サックス奏者だったけど、男性奏者にはいじめられることなく優しく尊敬してもらったそうです。なるほど、そんな素晴らしい音楽と人生の経験がジュワっと彼女のエネルギーと表情に滲み出ていました。彼女とのふわっとした優しいハグの後Enjoy and Keep Singingと助言して頂きました」ヴィはこの後の2022年2月6日に93歳であの世に旅立っていかれた。女性ジャズの歴史に一旦ピリオドが打たれた日ではなかろうか。
そして、レイセイの語ってくれたヴィの人柄と偉大さは、この「バードコール」を聴けば本当にこの音楽を愛するジャズファンならば瞬時に感じ取れるのではないか?あまりにも素晴らしすぎるヴィの人柄と音楽。僕は20世紀の黒人女性で世の中を変えた偉大な業績を残したのは、バスボイコット運動を生んだローザ パークスとこのヴィ レッドだと思う。なにせ、アメリカ南部ではジムクロウ法のもと、選挙で投票するにはいくらかの財産があり読み書きのテストに受からなければ出来なかった時代である。黒人から雇用を奪い、学習する環境を与えずにこんな仕打ちをするのが法律で許されていたのだから呆れたものだ。結局公民権法が成立してこんな茶番が違憲となったのは、この作品の2年後1964年である。しかしそれはあくまでも黒人の一般男性にとっての話で、そもそも進んでいるはずの欧州でも女性に投票権が与えられたのは20世紀に入ってから。メリー ポピンズがナニーとして入るロンドンの家庭の奥様が熱心に活動しておられたのが女性の参政権運動だった。アメリカでは白人でも1920年まで待たなくてはいけなかった。
そんなアメリカでここまで斬新でワームなジャズとR&Bを演奏した黒人女性ミュージシャン、ヴィ レッド。後年ありとあらゆる人権運動団体から表彰されたのは当然だし、それは演奏を聴けば一聴瞭然である。

しかし、僕のこのヴィへの尊敬する気持ちは、それを全くつまらない理由で否定する、ある種の人々によって元町の店を閉店させられる事態へと発展する。
冒頭でたくさんのジャズミュージシャンが来てくれたと記したが、結果的には来てもらいたくなかった、ある店の素人参加の互助会的セッションでは顔となっているという自称ジャズミュージシャンのおっさんが、ヴィを聴いて、「これナンタラカンタラホレホレスケールが吹けてないし、アンブシュアも出来ていないから2流やで」と口に出しよったのだ。あの真っ当な神経さえ持っていたらいつ誰が聴いても偉大なヴィの音楽をまるで冬季オリンピックの採点競技の様に聴く。そんなもん、本当に出来てるのか、出来ていないのかなんてどうでもいいのに、あまりの憤り感と悔しさと情けなさでしばらく口もきけなかったのは当然だ。しかも今はそういう自称ミュージシャンがあまりにも多い。みんな心で音楽を聞かず、理屈で聞いている。
そんな人達がセッションに来る才能豊かで、これから日本のジャズを豊かにする可能性のある若者にアドバイスなんかしているのだ。僕がジャズにハマり出した頃のジャズミュージシャンはみんなカッコ良かったが、今はこれが現状だ。この人達はジャズを習得するのと楽器の部品やメンテナンスには多額のお金をつぎ込んでいて、それがジャズミュージシャンになる道だと思い込んでいるが、本当はよりによってジャズだけは理解できない人間で、ジャズの方から距離を置かれる人間であるというのが実際に言うことを聞いていれば明確だ。まあ考えたら可哀想である。
冒頭で日本のジャズの未来はそんなに明るいとは言えないと記した理由はそういうとこだ。僕はそういう自称ジャズミュージシャンを、この世で最も悪質で不要な半グレにひっかけて「半習い」と名付けた。

結局僕はジャズスポットにはお金を落とす二大の層であるジャズ喫茶信奉者と半習いを相手にしていれば、間違いなく自分のやりたい事を犠牲にして生きていかなくてはいけないと考えたのとコロナ禍への突入で元町Doodlin’を閉店させた。そうですか、そうですね、と言って入れば安泰だったのに、後悔しているかと聞かれれば後悔はしている。賛成の反対なのだ、くらいにしていれば良かった。
それから1年半、今はあの偉大なVI REDDが糞みたいな理由で2流だと言うのに首を縦に振らなかったのだから、それはそれで信念通りに動けたのだなと思うことにしている。これでいいのだ、と。

小倉慎吾(chachai)
1966年神戸市生まれ。1986年甲南堂印刷株式会社入社。1993年から1998年にかけて関西限定のジャズフリーペーパー「月刊Preacher」編集長をへて2011年退社。2012年神戸元町でハードバップとソウルジャズに特化した Bar Doodlin'を開業。2022年コロナ禍に負けて閉店。関西で最もDeepで厳しいと言われた波止場ジャズフェスティバルを10年間に渡り主催。他にジャズミュージシャンのライブフライヤー専門のデザイナーとしても活動。著作の電子書籍「炎のファンキージャズ(万象堂)」は各電子書籍サイトから購入可能880円。
現在はアルバイト生活をしながらDoodlin’再建と「炎のファンキージャズ」の紙媒体での書籍化をもくろむ日々。

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