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シュガー/スタンリー タレンタイン


シュガー/スタンリー タレンタイン
CTI  SR3310
1970/11

マガジンハウス社の名誌BRUTUSは年に一度ジャズの特集を発行していて、今年度版も数ヶ月前に発売されており、本屋に行くたびに立ち読みした。
さすが僕ら世代ではオシャレ雑誌といえば一番くらいに思い浮かぶBRUTUSである。全く古きジャズ喫茶でジャズを知ったジャズ原理主義者には媚びることなく、ジャズってこんなにオシャレなの?と問い直したいくらいの内容と紙面でした。来年はDoodlin’も取材してもらえる様に頑張らなければいけない。

そして去年に引き続き、今年もそのタイトルはJAZZ is POPというもの。なるほど、オシャレな紙面の秘密はそこか。「ジャズはポップだ」というのは、シリアスなジャズだけが高尚で、8ビートや16ビート、ソウルやポップスのヒット曲などはジャズミュージシャンが金を儲ける為に演らされているのだ!程度の低い音楽なのだ!という論調が常識であり正義となってしまった恥ずかしい日本のジャズ評論を盲信して、21世紀も20年以上の年月がたった今現在もジャズスポットに押し付けて来て、そのジャズスポットがそんなもん知らん若者にダサいとされ閉店に追い込ませているのにも気づかない、お幸せ者なジャズ原理主義者には完全否定されることであろう。僕に言わせればマイルス デイヴィスもジョン コルトレーンもビル エヴァンスもPOPSが大好きだからこそ、あそこまでジャズを偉大な音楽に成し得たのだと確信があるのだが。

つまりPOPS無くしてJAZZは成り立たず、JAZZ無くしてPOPSは成り立たない。JAZZはPOPなのだ。

とはいえ、これは僕にとって元町店を閉店に追いやった恨み重なるそういうジャズ喫茶信奉者には全く理解できないのが現実。何せ彼らは何が何でもジャズとポップスは別物で、8ビートや16ビート、ソウルやポップスのヒット曲などはジャズミュージシャンが金を儲ける為に演らされているのだ、という論調を戦時中の人々が「生きて虜囚の辱を受けず」と教え込まれたが如く信じ込んでいるのだから。なので例え「虹の彼方に」も「マイ ファニー ヴァレンタイン」も「いつか王子様が」も本来ポップスだったと教えても、その考えは絶対に変わることは無い。
BRUTUSを読めば、なるほど、そんな間違った教えを受けずにジャズが好きになりかけている若者の心を動かすくらいオシャレなプレイヤーやジャズスポットやCDなどが紹介されているが、肝心のジャズはポップだという理念をあの老人達の考えを変えるきっかけにはなってはいない。そしてあの雑誌がそういうジャズファン層を相手にしようという気はさらさらない。これはとても痛快で素晴らしいことなのだが、例えばそういうトンチンカンな正義感を植え付けた70年代の終わった様な体質のジャズ喫茶で敬われていたレコードの中から、これ今の感覚で言えばPOPですよ。実はPOPの要素があるから今の若者にもカッコいいと親しまれているのですよ、と教えることが出来れば話は早いのだが。
例えば、、、、。
70年代に一世を風靡したクリード テイラーのC.T.Iのものなどどうだろうか?

CTIはオーナーであるクリードテイラーがVerveレーベルで「ゲッツ ジルベルト」を制作して大ヒットさせた功績と人脈で1967年に創設された新興レーヴェルでCreed Taylor IncorporatedまたはInternationalの略であり、ハービー ハンコック、スタンレイ タレンタイン、ジョー ファレル、ミルト ジャクソン、ケニー バレル、フレディー ハバード、ジョージ ベンソンなど70年代に新しい感覚を持っていた錚々たるジャズアーティストのアルバムを制作して行った。70年代というのはソウルジャズやジャズファンクが完全にジャズとして定着して、さらに大衆のための音楽として浸透して行った時代であり、CTIは正にその流れに上手く合わせて、オシャレでポップな感覚に溢れたジャズの傑作を世に送り出した。

そんな中、今回のポップスとジャズの関係性を探るのに最も適しているのでは無いかと僕が思うCTIの作品が、あのソウルテナーの風雲児、スタンリー タレンタインの「シュガー」である。参加メンバーはタレンタインのテナーサックスにフレディー ハバードのトランペット、ロニー リストン スミスのエレピ、ブッチ コーネルのオルガン、さらにジョージ ベンソンのギターにロン カーターがベースを弾いているのだから、この時代の最先端実力派のジャズオールスターズによる作品である。また、黒人女性が黒人の足の指を舐めているのを大写しにした官能的なカバーアートもこの時代の挑発的な精神とブラック イズ ビューティフルと叫ばれた世相を反映した黒人の美意識が表れたものだ。録音はクリード テイラーが熱望したルディ ヴァン ゲルダー(その後、専属になるやならないでモメたらしい)。
この作品は両面合わせて全3曲が収録されているが、その3曲がこれだけのジャズミュージシャンらによる演奏にしてとてつもなくジャズであるにも関わらず、思い切りポップな要素に満ちている。しかも3曲とも違う要素を持ってポップスと向き合っているのだ。

A面1曲目はタレンタイン作曲のタイトルナンバーである「シュガー」。マイナー調を帯びた16小節のブルージーなメロディーで、「クールストラッティン」や「フライト トゥ ジョーダン」の様に日本人には親しみやすいものでは無いかと思うが、恐らくジャズではこういう素朴でブルージーなナンバーでヒットした最後のものでは無いかと思う。もちろんこれだけのジャズアーティストが特別に難易度も高くなく、おそらく黒人として演り慣れた、自分を1000%さらけ出せるナンバーを演奏するわけだから、そのグルーヴ感は恐ろしいほどのノリで反映されている。そしてむちゃくちゃジャズなものだ。しかし、その反面、ここで聴けるポップな感覚も半端なものは無く、そこはさすが70年代に最盛期を迎えようとしていたプレイヤーらが70年代を牽引してやろうという意欲に満ちたレーベルに吹き込んだものだけはある。ブルーノートの60年代ならここにポップスの要素を盛り込むことは不可能であり、これも平凡なレコーディングに終わっていたかも知れない。

2曲目はメンバーであるオルガンのブッチ コーネルが作った「サンシャイン アレイ」。ブッチもプレスティッジのオルガンジャズ作品ではお馴染みの猛烈にソウルフルなオルガン奏者だが、リーダーアルバムはほとんど無いため、僕には謎の多いプレイヤーであるが、かなりジャズ以外のポップスでも演奏を重ねたプレイヤーである様だ。「サンシャイン アレイ」はプレスティッジであのブーガールー ジョー ジョーンズもブッチを加えて録音されており、ひょっとしたら当時歌物としてリリースされたものか,そのつもりで作曲したものかも知れない。ビル ウィザースやマイケル ジャクソンが歌ってヒットした「エイント ノー サンシャイン」と曲名も曲調も似ているので混同しそうになるが(これもブーガルーが演った)、こちらの「サンシャイン アレイ」も今すぐ歌詞をつけて昭和歌謡だと言っても違和感がないくらいポップなメロディーだ。本作でももちろんポップなまま錚々たるジャズミュージシャンがジャズ的な熱演を繰りひろげていて、その聴き応えたるやなかなか説明するのは難しいほどだ。

B面いっぱいに収録されたのは、あのジョン コルトレーンによる、あの「インプレッション」。この敷居が高い高尚極まりないナンバーをポップな要素を持ったジャズミュージシャンがレコードの片面いっぱいの時間を使って熱演を繰り広げる。そして恐らくレーベルもタレンタインもこのアルバムで一番演りたかったのはこれではないか?と僕は思っている。つまり、この録音の4年前に志し半ばで天国に召されて当時すでに神として崇めあげられる傾向が見えてきたジョン コルトレーンの楽曲を今風にアレンジしてもいいじゃないか?またはジョンが生きていれば今はこんなポップなレコードを作っているんじゃないか?という問いをいささか頭がこり固まり出したジャズファン達に投げかけようとしたのではないか、と思う。しかしコルトレーンと何度も演奏したフレディー ハバードのここでの張り切り様を聴けば、この作品を並のセッションに終わらせないぞという彼らの使命までもが聴こえてくる。あまりにもジャズ!あまりにも高尚!あまりにもオシャレだ!

この様にCTIのスタンリー タレンタイン「シュガー」は、リーダーによるポップ風ブルージージャズな「シュガー」に、ひょっとしたら元々はポップスのために作られた歌物の「サンシャイン アレイ」、それにこれまではポップスとして捉えるなどもっての他とされていた格調高きジャズナンバー「インプレッション」を禁じ手のポップスでと、3曲共に違う出どころのものをポップ的なものとジャズ的なものをこの上なく上手くミックスした傑作として世に出た。
「シュガー」は発売当初、いよいよジャズを習う音楽、敷居の高い勉強する音楽として、ポップスやヒット曲、8ビート、16ビートなどはジャズミュージシャンが金を儲けるために演らされておるのだ、というのが正義となり、ジャズファンが嫌われ者の音楽としてジャズのイメージを定着させてしまった糞忌々しいジャズ喫茶では大いに喜ばれ聴かれていたという。それなのに何故その後の日本のジャズ評論はあんなにトンチンカンでジャズ喫茶族は悲しいことにジャズだけは解らないしょーもない人間性のまま今を迎えているのか、全くもって不思議なものだが、とりあえず吉報としては、現在のBRUTUSで取材されている様な若いオシャレ感覚を持ったジャズスポットやリスナーには「シュガー」をはじめCTIの諸作は大いにウケているという。

CTIは新作を制作しなくなって久しい上にクリード テイラーも2022年8月に亡くなってしまった。その状況で僕はCTIの作品を聴きながら思う事は、ポップスというのは時代を反映しなくなり懐メロの領域に入るとその使命も終わると言われている。そしてCTIは本気でジャズのPOPS化に取り組んだ。なので、70年代にCTIのレコードが好きで聴いていても、今は懐かしい思い出となっている人にはレコードコレクションの棚に収まっているのを知っているだけの存在でしかなく、反対に時代に敏感な若者やオシャレ野郎共の方がこれらの作品に入り込めるのではないだろうか?早い話がJAZZ IS POPなのだ。巡る巡るよ時代は巡る、聴かないんだったらCTIはDoodlin’に寄贈してくださーい。

小倉慎吾(chachai)
1966年神戸市生まれ。1986年甲南堂印刷株式会社入社。1993年から1998年にかけて関西限定のジャズフリーペーパー「月刊Preacher」編集長をへて2011年退社。2012年神戸元町でハードバップとソウルジャズに特化した Bar Doodlin'を開業。2022年コロナ禍に負けて閉店。関西で最もDeepで厳しいと言われた波止場ジャズフェスティバルを10年間に渡り主催。他にジャズミュージシャンのライブフライヤー専門のデザイナーとしても活動。著作の電子書籍「炎のファンキージャズ(万象堂)」は各電子書籍サイトから購入可能880円。
現在はアルバイト生活をしながら「炎のファンキージャズ」の紙媒体での書籍化をもくろむ日々。

2024年西元町にDoodlin’再建

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