見出し画像

手で書くということ

こんばんは。みんみんです。

10年前、まだ私が高校生だった頃、私はたくさんの悩みを抱えていました。好きな子や部活のことなど思春期の悩みだけでなく、親の不仲や複雑な親戚関係に気を使い、時に深く思い悩んで自傷行為をしてしまうこともありました。

そんな壊れそうな自分を支えてくれた言葉たちがいました。

今はかなり減ってしまったかもしれませんが、当時はプリントを使った授業が主流で、地元の進学校に通っていた私は週に何十枚もプリントをもらっていました。保管の仕方は生徒によって様々ですが、私は主に大学ノートに貼り付けて、その日の授業メモと一緒にまとめておくようにしました。(あまり見直すことはなかったですが…)

そのとき使っていた大学ノートはA5でしたが、先生たちの配るプリントはA6で、そのまま貼るとはみ出してしまいます。端を折ってうまく調整している子もいましたが、私はその分ノートに厚みが出るのが気になる質だったので20センチ定規で切っていました。すると、幅1センチほどの切れ端がたくさんできます。私は、その切れ端に好きな歌の歌詞を書くのが好きだったのです。

心が壊れそうになると、いつも音楽を聴いていました。夜はあまり眠れず疲れた頭で学校へ行っても、勉強にうまく集中できませんでした。そんなとき、プリントの切れ端に歌詞を書いていました。さらに休み時間になると、友だちの席に行って配っていました。卒業後、「あれまだ持ってるよ」と言ってくれた優しい子もいました。本当にありがとう。

スマートフォンもなく、SNSもなく、どこにも思いをぶつけることが出来なかった時代。でも、シャープペンシルで紙の切れ端に思いを込めて書いていたあの「動作」そのものが、高校時代の私を守ってくれたのだと感じます。

今もですが、当時の私はBUMP OF CHICKENとスピッツが好きでした。

特にBUMPの「プレゼント」と「embrace」という曲は自分の一部になってしまうくらい何度も聴いたし、歌詞を書きました。

「音の無い声で助けを呼ぶ」「腕の中へおいで」

高校生の自分は、なんて真っ直ぐ素直に悩んでいたのでしょう。逆に言うと、自分の思い(に近い言葉)を手で書いてみることによって、真っ直ぐ向き合えていたのかもしれません。

10年経ったいま、相変わらずこうして言葉を書くのは好きです。でも、パソコンであったりスマートフォンであったり、ツールは随分変わってしまいました。果たしてそれが良いのかどうか。大人になってしまった自分にはもうプリントをくれる先生も、そのプリントを定規で切る機会もありません。

でも、机の上でプリントの切れ端にしがみついていたあの頃よりずっと強くて自由です。自分の力で行きたいところに行けるし、自傷行為よりもずっとマシな解決法も選べます。

プリントの切れ端に思いを綴っていたあの頃の自分の良さを守りつつ、世界を広げて、自分を育てていく。

あの頃の私に言いたいです。大丈夫、10年経った今でも怖いことはたくさんあるよ。悩みもあるし、相変わらず眠れない夜もたくさんある。でも、今の私も書いて乗り越えようとしているよ。あの頃のプリントの切れ端たちはどこかに行ってしまったけれど、大人になった私は、ちゃんと残せるようにここに書いていくよ。だから大丈夫。あなたの苦しみは未来に繋がってる。

また10年後の私がこれを読むことはあるのでしょうか?

そのときもまだ、文章を書いていたらいいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?