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方向音痴を科学する

科学するというのは嘘だが、方向音痴についてみんなに知ってもらいたい。知ってもらったからといって何がどうってこともないのだけれど、「いつも迷ってかわいそうだね、でも迷ってる姿も母性本能くすぐられちゃうわよね、いいこいいこ」ってしてもらいたい。

自分自身が方向音痴なのは今は重々認識しているけれど、そのような意識を持ち始めたのは大人になって随分と時が経過してからだ。それがいつからなのかということに関しては明確には記憶していない。

どうして迷うのか? 最近はスマホでGoogleマップ片手に進めば迷いようがないではないかと思われるだろうけれど、それをガン見しながら、迷う。まあ迷う。ひたすら迷う。巨大迷路かな、世界は。

まず、地図の上下左右と自分が向いている方向を一致させるのに結構な時間を要する。本当に。方向音痴学会に加入しておられるみなさんならあるあるだろう。

次に目的地までのルートを頭の中で設定する。

「地図のこの建物が目の前にある。この建物を右手にして、まっすぐ行って二つ目の角を右に曲がって、まっすぐ進んで横断歩道を進んで二つ目の横道を左へ入って……」

ここまではきっと普通だと思う。多分。そうだよね?

それを元に進み始めるのだけれど、

「建物を右手にしてまっすぐ進んだら最初の建物が背中側に来たな。そして二つ目の角を右に入った。自分は右を向いたわけだから最初の建物が右側に、えっと次は……地図の上と自分が見ている方向が90度違うわけだから……うーんと、どっちに曲がればいいの?」

といった感じで、最初に右に曲がった瞬間に方角を見失うのだ。

そんなバカなって思うでしょう? 本当にバカみたい話だけれど本当だから困っちゃう。

おそらくではあるが、正しく方角がわかる方は、最初に見た地図が上下左右固定された状態でイメージした上で、リアルの自分がどのように動こうと、マップ上の自分もきちんとその通りに移動しているのだと思う。

僕らはそうではない。自分の顔の向く方向が変わると、それにあわせて地図も角度を変えてくれなければ混乱するのだ。僕の場合は、正面が常に地図の上側である必要がある。一応最近はGoogleマップも二本指でくるくる回しながら上イコール正面を保ちながら見ている。まあ、結局わからなくなるけど。

GPSのマークもややこしい。駅付近は高架下だったりすることもあり歩き始めてしばらくしないとマークが右往左往することが多く、自分の正面が地図のどの方向を向いているのかを把握できないのだ。戻ったり、あえて違う方向に歩き出したりしてみて何度も行ったり来たりを繰り返してから、ようやく正解を見つける。

見切り発車で動き出すのがよくないのでは? と思われるかもしれない。ところがどっこい、立ち止まってしっかり地図を見て理解したつもりで動き出しても結局間違うのだ。駅前の立て看板の地図とGoogleマップを両方見て睨めっこしてからでもそう。それであれば、やはりまずは動いて、うろちょろしながらマークの動きを確認した方が早いというのが経験的な結論。失敗に学ぶ男、うん、えらい。とにかく歩き始めの方角設定に時間がかかるのだ。

特に地下鉄駅から地上に出た直後は、それが仮に知っている駅であっても初動の方向設定に十五分程度はみておかなければならない。鉄の掟。謎の掟。

帰り道も迷う。帰りの場合は、おおむね駅などが目的地になるし、まがりなりにも一度通った道ではあり、さすがに行きよりも短時間で解決はするものの、それなりに単純な順路であってもちゃんと地図を見ながら歩かないと怖いし、やっぱり間違える。僕は鳥並みの脳みそしか持ち合わせていないのかなと残念な気持ちにもなるが、ハトでも帰巣本能でお家に帰れることをかんがみると、鳥並みなんて言葉すらおこがましい表現だということに気づく。とほほだよ。まあ行きと違って時間に余裕がないということはないので、それほど緊迫感がないのが救いだ。

サービスエリアの駐車場や広いショッピングモールでトイレを利用する際は、かなり慎重にならざるを得ない。特に駐車場の車を降りてからの景色とトイレから出た時の景色のギャップには辟易とする。行きは目の前に聳え立つ建物めがけて意気揚々と向かうのだが、帰りに眼前に広がるのは何百台という車のみ。車、車、車。どうにかしてくれよ、何を手掛かりに進めばいいんだよ。トラップかよ。一面に広がる車畑を目にすると、右側か左側か、アバウトな場所すら見失ってしまう。左右逆になってるし。逆ってどっちだよ! ああん? また自分が乗車している車自体に興味がないものだから余計に酷い。車種はおろか形や色さえもおぼつかない状態で、おおよその場所すらわからないとなると両手をあげて降参するほかの選択肢がない。完全に迷子。雪が降っていたら平地で遭難して凍死する未来が見える。道には迷うが未来は明確に見える。

大きめのホテルでは自室に戻ることも難しい。ホテル内のレストランなどから部屋に戻る時、まずレストランを出てからの左へ行くか右へ行くかの二択問題に余裕で不正解を出してしまうし、複数の建物が連結しているようなホテルにいたっては、ちょっとした冒険が待っている。

電車に乗って知らない駅へ向かうというのも毎回苦しい。「なんとなくこっちのホームだろう」で選択すると逆方面がファーストチョイスになってしまうし、自分の記憶だけを頼りに乗り換えをして目的地に向かうなんてことはできない。「この路線はここらへんからここらへんを通っていて、どこどこの街に行くならあの駅だから、何線のあの駅あたりで乗り換えかな」とは逆立しても出てこない。上京して二十五年以上経った今でも、おおよその23区の地図にざっくりとした路線図を思い浮かべることすらもできないわけだ。僕にわかるのは、新宿を中心として、中央線・総武線で左の方が中野、吉祥寺、立川など、右の方が飯田橋、東京、千葉方面。山手線は、上は池袋、下が渋谷、品川ぐらいといった程度のもの。

さて、こう考えると「興味のないものへの関心が小さすぎる」ということも大きな原因となっているのかもしれない。

目的地までの経路や移動手段に自体に興味がないから、すべてがただただ時間と共に過ぎ去っていく。

こういったことと元来の空間把握能力の欠如とが、方向音痴を加速させるのだろう。

ここまで来ると待ち合わせは常に遅刻との戦いになる。認識はしているので、遅刻しないために早く起きる、早く準備するといったことは当然するのだが、それでも遅刻してしまう怪現象については、また別のエントリーでお話しするとしよう。

とにもかくにも方向音痴というものは、かくも大変なものなのである。方向音痴マークみたいなものがあれば、カバンにぶら下げておきたいものだ。きょろきょろしてたら「お困りですか? お連れしましょうか」って声かけてもらえると、喜んでついていきます。僕を誘拐するのは簡単だ。

こないだ自宅近所で久しぶりに道を聞かれた。近所ならばPERFECT HUMANなので、ここぞとばかりに教えてあげた。気分がよろしい。

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