【エッセイ】1年4ヵ月分の涙

おはようございます。目を腫らした朝です。

このnoteは徹頭徹尾「感情論」ですので、そのつもりでよろしくお願いします。


さて、昨晩のことです。
私はようやく、就活の理不尽さと自分の弱さを受け入れられたような気がします。

遡ること1年と4ヵ月前、大学でやけに先生たちが就活と口にするようになりました。
そりゃそうです。3年の春です。夏からインターンが始まるときですから。

ですが私は、全くその実感が湧きませんでした。
それどころか、「就活している自分」を想像すると、内臓をかき乱されるような嫌悪を感じたのです。

私は大学に入ってから……もっと言えば、高校生のときから、いや、それより前かもしれない。小説を書いて(物語を作って)生きていきたいと思っていました。
将来のことはそのことしか頭になく、就職は、まあどっかにするだろ、くらいにふわっと考えていました。他人事ですね。自分のこととは思いませんでした。

そんな感じだったので、就活へのやる気は地底でした。何の知識もありません。ただ面接怖いなーとしか。
その「怖いなー」が、思いの外自分の中に大きく占めていました。

就活について話を聞くと、自己PRとガクチカを書かねばならないということでした。
正直、自分には何もありません。コロナ禍直撃で入学したこともあるのか、そういうので書けるような社会的な、人と関わる活動はバイトくらいしかしていませんでした。もっとも、コロナ禍でなかろうがしていなかったような気もするのですが。

生来の人見知りでコミュニケーションに自信がない私は、大学に入ってから始めたアルバイトで打ちのめされ、自分がいかに社会不適合かを知りました。
そんな私に、バイトで書けそうなエピソードは、当時浮かんでこず、他の活動も、学業を真面目にやったりとか、小説を公募に出そうと画策したりとか(結局どこにも出せてない)、そのくらいしかなかったのです。

え、もしかして私、社会で必要とされてない?

あまりにも書くことがなさすぎて焦りを覚え、アンテナショップを開催する講座に参加しました。今思えば慣れないことでした。
そして、小説を書く力は求められていないからと、長年積み上げてきた思いを無意識のうちに否定しました。

小説家志望の自分を、無意識に殺していました。


同時に、就活自体にもとてつもない憎悪を感じていました。
決まったような文章で、自分のことを簡潔に話し、みんな決まった服を着て、一挙手一投足に気を配らねばならない。
それができねば崖から突き落とされる。そんな心持ちでした。

たった千数百字くらいで自分のことを表せるわけがないし、たった30分そこら話したくらいでどんな人間か見定められ、価値の有無を決められるそのシステムが、どうしても飲み込めませんでした。

就活生は、先述した通り、一歩間違えれば崖から落とされる気持ちなので、見栄を張ります。嘘をつきます。
企業側も、ネガティブなことは言いません。良く見せます。嘘をつきます。
この社会は嘘でできている。信用できるはずがありません。

就活という通過儀礼を経た人で回っている社会を、心の底から恨みました。
会社員なんかになってたまるか、と思いました。こっちから願い下げでした。

それでも、社会は会社員にならない新卒をクズ扱いします。
馬鹿げた話です。その認識のせいで命を絶つ人がきっといます。
別に仕事のために生きるわけではありません。生きるために仕方なく仕事をするんです。

特に私は、やりたいことがないわけではなく、むしろありすぎるから、会社員になりたくないのでした。
1日8時間労働、休憩1時間、さらに通勤時間を考えたら、家にいる時間は寝ることしかできません。
さらに、仕事によっては、家でもそのことを考えないといけないかもしれない。となると、とてもじゃないが小説など書けない。
それに、小説の案も、いつしか全く浮かばなくなっていました。これではストックしているネタもいつか尽きて、何も書けなくなる。
そう思うと、絶望しかありませんでした。会社員になるメリットなんて、安定した収入と、社会的地位と、親への安心が得られるだけです。収入以外は他人の軸の喜びです。

私の人生だぞ。

私は私の人生を歩むんだ。その気持ちが強まり、バイトしながら作家を目指すことにしようと決めました。

ちなみにその頃は5月。面接は4社受けて全落ち。説明会参加やエントリーした企業は23でした。
焦りと不安から、2日に1回くらいのペースで新しい就職サイトに登録したような気もします。盛ってるかもしれませんが。

人見知りゆえに相談すら上手くできませんでした。気を抜くと、就活の愚痴がついこぼれてしまい、怒られると思いました。相談員にすら猫かぶりの自分を見せていました。
そしてやはり、自分のことを何も知らない相談員に人生のことを任せるのがとてつもなく嫌でした。

就活という概念自体がストレスで、あのときは毎日泣きましたし、自分が誰かわからず、目の前の光景に現実味がありませんでした。それまで楽しんでいたアニメなども、見ても全く楽しくない。音が煩わしい。光が眩しすぎる。
何らかの精神疾患になっていたかもしれない。統合失調症とか。当時から思っていたけれど、病院には行かなかったのです。
たった4回の面接でも、私の心を破壊するのには十分でした。


作家を目指すことに専念すると決めて、少しずつコンテンツを楽しむ心は戻ってきたように思います。
それでもまだまだ足りないような気もしますが、5月のあのときよりは心の土壌が潤っています。

まず卒業制作をやらないと、卒業できないので、それに取りかかりました。
公募に出す作品を書くのはそのあとだと。
就活をしていた頃は、卒制も手につきませんでしたから。

どこかで、就活に失敗した自分への失望を感じていました。みんなができることができない。その劣等感が日に日に増し、しかしそれを見ないふりしました。

今度は就活していた過去の自分を殺しました。

それから夏になり、9月。

私の動向を何も知らなかった父親が、ついに就職はどうするんだと聞いてきました。
とっくに作家志望に頭を切り替えていたのですが、どこかで恥があり、就活の愚痴を先に言ってしまいました。
どこも雇ってくれないだの、社会に恨みしか感じないだの。
長らく押さえつけていた感情が、自分でも驚くほど溢れ出て、涙も何もかも制御できなくなりました。

就職しろと言ってきた父親も、私が泣きながら小説を書きたいだけなんだと喚けば、そうかと黙りました。

そのあと風呂に入っても、感情は流れませんでした。
父は応援すると言ってくれましたが、やっぱり就職はせねばならないと、私の頭の中に響き渡りました。

その晩、部屋に引きこもり、作家になるんだと自分に言い聞かせながら、卒制を進めていました。
気を抜くと涙が出て止まらなくなりそうだったので、自分の感情に蓋をして。

日付も越え、そろそろ寝るかとなり、卒制をやめた頃。
勝手に涙が溢れてきます。それも気にしないふりして歯磨きして、ベッドに入りました。

寝ようとしても涙が邪魔して寝られず、ようやく無視できなくなりました。布団の中で身悶えし、がばりと起き上がり、嗚咽を漏らして泣きました。
じっとしていられなくてベッドから転がり降りました。床に座って情けなく声を出して泣いたあと、そのまま寝転がりました。

誰も信じられないのに、誰かに助けてほしくてたまりませんでした。ずっと、1年前からそうでした。

もう、頭が痛くて仕方なかったのです。しばらく休憩し、起き上がると、また涙が出ましたが、気持ちはなんだかスッキリしていました。

そのあとしばらく突っ立って、またベッドに横になりました。

そのとき、思ったのです。


今なら就活できる気がする。


自分には何の取り柄もない。社会は嘘だらけだ。

だけど、自分や社会を恨むのは、また別の軸なのではないか?

これは、今までなかった発想でした。

薄っぺらく言うなら、単に真実と感情を切り分けられただけなのですが、これが私にとっては革命でした。

自分はクズ。社会もクズ。だけど、恨むほど嫌わなくていい。

そう考えた途端、今までにないくらい気分が清々しくなりました。
ある意味異常な状態なのでは?と思うくらい、晴れやかな気分でした。

たぶん、泣けるだけ泣いて、真実と感情を結びつける粘っこいものが、涙と共に流れたのでしょう。
1年と4ヵ月の蓄積が、ようやく洗われました。

そのあと、いくら自虐的な言葉を頭に並べても、心が傷つくことはありませんでした。

私ってクズじゃん。ギャハハ!ウケる~~~~www

くらいのノリでした。

頭が痛すぎてまともに眠れないまま、今、朝を迎えています。
単純に寝不足で、また真実と感情が結びついた考え方をしてしまいそうですが。
自分はクズのままでいい。そう心から思えた経験はデカい。


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