【不定記】キラキラネームという名付け

キラキラネームって最近聞かなくなった気がする。

そもそも前から、キラキラネームとそうじゃない名前って何が違うんだろうと思ってた。
「読めない」とか「外国語」とか「特殊な漢字使ってる」とか人によって判断がまちまちなのもピンと来てなかった。
一番キラキラネームがいじられてた時期に声を上げず、下火になってから言うのはかなり卑怯な気もするが、今書きたくなったので書いていく。

ちなみに今から沢山の名前が出てくると思うが、俺としては決して、その名前を否定するつもりはない。むしろ例示されるほどポピュラーくらいに思ってほしい。

まずパッと思いつくキラキラネームいじりの一つは「当て字過ぎて読めない」等のものだった気がする。
確かに読みにくいものが多かった気がする。難易度が高かった。
では、ここで一つ例を示してみたい。

「宏一」

あなたはなんと呼んだだろうか?
俺は「コウイチ」だと思った。ただ「ヒロカズ」とも読める。
そうこれは基本この2択でどっちも読める。でも漢字の時点で読みを特定はできない。だとすればそれはパッと見で読めないというキラキラネームと何が違うんだろうか。キラキラネームだって読み方を聞けば読めるわけだし。
これはもちろん「宏一」がキラキラネームだなんて話ではない。
ただ、読めるか読めないかの尺度は判別の手段になり得ないとだろう。

他にも「外国語」だからというような意見もあるだろう。実際キラキラネームがいじられまくっていた時、外国語を語源としたような名前は多く見かけた。
では、一つここでも例示したい。
「絵里」という名前がある。読み方は「エリ」である。
この名前はどこに語源があるのだろう?
確証やソースは一切ないが「エリ―」という外国人名なのではないだろうか?まさか「襟」ではないと思うし。
というかそもそも名前の語源に和、洋の区別を持ち込むことに意味はないだろう。あるとすれば、和の方が聞き馴染みが少しある程度。
考えてもみてほしい。そもそも「太郎」ってなんだ?和っぽくて名前でしか見ないから名前だと認識しているが、こいつなんでもなくない?
また名前以外でも見るからと言って、「栞」などの名詞も人の名前として使われる理由一切なくない?見慣れてるだけじゃんと思ってしまう。

最後に「漢字が特殊すぎる」とかもあるけれどこれも正直見慣れの問題だと思う。
さっき例に挙げてしまったが「太郎」の郎の字とか名前でしか見ない。十分特殊な漢字だと思う。

ここまでキラキラネーム擁護みたいな感じの物言いばかりしてきた。
しかし、実を言うとキラキラネームがメディアで取り沙汰された当時、キラキラネームのような名付けに違和感を持っていた。
しかし、ここ数年で昔と今とでは名前に対する意味付けの仕方が変わったのだと感じるようになった。
昔はどちらかというと意味付けがすでにされている名前の中から選択するイメージだったのが、現在はイメージをする対象やイメージそのものを名前としてあてがうようになっただけなのだと思う。
ただ、確かにキラキラネームを取り巻く環境のどこにも瑕疵がないと思うかというと、そうとも思っていない。
実際、子どものにつける名前としてそういうのはどうなの?と思ってしまうこともある。しかし、そこで責められるべきはあくまで名付ける上での「親の態度」であって、「名前」という記号ではない。
子どもに対する真摯さを単なる見た目上の記号で測ってはいけない。

偉そうに書いたが、最近メディアで取り上げない理由って俺みたいな考え方がわりと通常になってきて、あんまり世間が盛り上がんなくなったかもしれない。

ん?じゃあつまり俺はみんながすでに常識のように分かっていることを長々と書いたってこと?
あほのコロンブスじゃん。言ってよ、先に~。



あ、そうだ!子どもができたら「転毒(コロンブス)」って名付けよう。




こういうのがマジでよくない。