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鼻毛が出ているかもしれない

親しき仲にも礼儀あり、どれだけ理解し合っていても、どれだけ愛し合っていても、結局は他人だから言えないこともある、分かり合えないこともある。秘密だってあるし、言う必要の無いことだってある。言うか言わないかは本人の自由だ。

親しき仲であっても息が臭かったり、オナラが聞こえたりした際に"指摘するかどうか"は信頼関係だけでは成し得ない根本的な"何か"が存在する。この問題において、気をつけていても継続的かつ絶妙なバランスで最も"指摘してあげたいもの"があるのだ。


「鼻毛出てんぞ」である。

口臭であれば、珈琲を飲んでいるから、煙草を嗜んでいるから、餃子を食べたからで自分の中で納得出来るものがあるだろう。
放屁であれば、出ちゃったものは仕方がない生理現象である。音を出さずにサイレント放屁をするか、音楽の授業中に失礼をするなど、対策のしようがある。

しかし、鼻毛は対策のしようがない。髪の毛も眉毛も睫毛も髭ですらもそこにあるものとして存在していながら、人からも見える位置にソレはある。どうして、長い眠りから覚めて挨拶をしている鼻毛はこうも絶妙な恥ずかしさと指摘しにくさを併せ持っているのだろうか。

ことの発端は、とある企業の面接前だ。私が御手洗で身嗜みを確認すると確かにそれは発芽していた。会場までマスクをしていたため、道中ソレは見られることがなかったが、5分後には面接だ。どうにかしたかったが、抜けることはなく、ハサミも生憎持ち合わせていない。考えた私は思考をめぐらせ、全力で鼻をすすることで何とか元あった場所にソレを引っ込めた。

グループ面接が始まり、順調に受け答えをしていたさなかである。

「どうも鼻がムズムズする…。」

鼻がこしょばいのである。確かに引っ込めたはずであるソレは私の死角で私よりも存在感を出しているのかもしれない。

「御社に入社した暁には…」

暁なんてどーでもいい。面接官からすれば、懸命に話をしている私よりも1本、たった1本突如として現れたソレに釘付けなのではないか。真実は私だけが知らないが、普段見えていないソレが見えている可能性は、ズボンのチャックを開けっ放しで面接をしているようなものである。

面接を終え、マスクをつけ、近くの喫茶店でスマホの画面を確認した。確かにそこには"恥"が芽吹いていた。


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