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とある曲を聴くと「プログラミングしなきゃ」という気持ちになるのです

Joshua Redman の Jazz Chrimesという曲をご存知だろうか。

私が以前通っていたG's Academy という学校でひたすらプログラムコードを書きまくっていた時、教室でBGMとして流れていた曲だ。

毎日毎日40分に1回くらいの頻度で流れてくる割りに、攻めたメロディーなのですっかり覚えてしまった。なんでBGMなのにこんなにコンテンポラリーな曲を流すのだろう...めっちゃ覚える...と思いながらパソコンをカタカタしていたのは、今となってはいい思い出だ。

プログラム教室のBGMだったというだけで、特に強い思い入れがあるわけではない曲だったが、実は面白い副次作用が発生している。それは、この曲を聞くと「パソコンで作業をしなきゃ」という気持ちになるのだ。

どうやら、僕の脳内で「この曲を聴く → プログラムコードを書かなければいけない」という方程式が出来上がっているらしいのだ。

音楽をトリガーとした習慣化

以前読んだ「すぐやる技術」という本に、なぜ人は自分の習慣を変えられないのか?というテーマについて記載があった。例えば、なかなかテレビを見るのがやめられないとしよう。それは、「テレビが目に入る→テレビを見る」という方程式が実行されているからだ。テレビが視界に入ることをトリガーにして、「テレビを見たい」という脳の状態になってしまっているとのことだ。先程のプログラミング教室のBGMの件も全く同一の理屈で僕の気持ちに変化が起きているのだろう、と腑に落ちる。

逆に、自分の習慣を変えたければ、トリガーを作れば良いと同書は述べている。例えば、読書の習慣を付けたければ、「お風呂から出る→机に座る→読書する」という決まった行動パターンを続ければ、お風呂→机に座る ことを無意識に出来るようになり、自然に読書の習慣がつくというのだ。

その意味では、「音楽」を起点にした習慣化...というのは面白いアイディアかもしれない。音楽は聴覚情報であり、音楽を流しさえすれば、勝手に情報として取り込まれる。

従って、自分が習慣化したいことを実施しているときに特定のBGMを流す。それを続けることで習慣化を促すのだ。

音楽は人の感情を動かす

ところで、音楽そのものが人間の思考に与える影響も大きい。

宗教と音楽が切ってもきれない関係にあることからも明白だ。例えば、教会音楽はそのモノフォニックな旋律を複数人で、音が響く教会内で歌うことで、一種のトランス状態を生み出し、人智を超えたものの存在を確かめるのだ。

また、宗教を例に取るまでもなく、音楽を聴くことで感動や興奮した経験を誰もが持っているのではないだろうか。

音楽には人の感情を動かす力がある。先程の"音楽と習慣化"という切り口と照らし合わせた時に、音楽による行動変容へのアプローチは他の手段を用いるよりも、より効果的に実施できるのではないか?と思えてならないのだ。

音楽がトリガーできるのは抽象化した行動

振り返ってみると、私自身も自分に対してその手法を用いていた。大学受験の勉強していた時、ラフマニノフのピアノ協奏曲2番をエンドレスリピートしていた。それも1楽章だけである。

もともと自分の音楽の聴き方が自分の気に入った1曲を繰り返し聴くということもあったが、今にして思えばトランス状態になっていたのだろう。

試しにこの曲を久々に聞いてみたら、受験勉強をしていた当時の記憶が蘇ってきた。緑の絨毯の部屋で世界史の記述対策を読んでいたなあ...などといった具合だ。

ただ、面白いのは「受験勉強をやらなきゃ!」という気持ちにはなっていないのだが、知識をインプットすることをやってみたい気持ちになっているということだ。つまり1段階抽象化した行動を実行したいと考えているのだ。

その意味では、冒頭で出した「BGMを聴く→プログラミングをしたくなる」という方程式も、正確には「BGMを聴く→アウトプット作業をしたくなる」と言い換えられる。

この事象に対する仮説を自分なりに考えてみたが、どれもいまいちしっくり来なかった。ただ、1つ言えることがあるとすれば、1段階抽象化できるということは、つまり自分の行動トリガーを複数用意できるということだ。

例えば、PCでアウトプットの作業をしたいとする。

・PowerPointで資料を作る
・noteを書く
・プログラムを書く

といった行動のそれぞれの時に特定のBGMを流しつつ作業をすれば、それぞれの曲が行動トリガーになるのだ。

徒然に書いた結果、取り止めのない文章になってしまった。この行動と音楽の関係性について、自分自身を使って実験してみようと思う。新たな気づきがあったらまたnoteに投稿する。







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