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エッセイ:推しを悼む話

 推しが亡くなった。
 享年二十五歳。若いと言われればあまりに若いが、それについて感傷的に話すことは今の私にはまだできない。とあるバンドのボーカルで、作詞や作曲も担当していた。
 彼らを知ったのはデビュー前だから、2021年の上旬ごろか。音楽サービスで曲をザッピングしていた時、強烈にエッジーな曲が耳に飛び込んできたのを覚えている。歪んだギターと挑発的なメロディーライン、がなるような歌声に最初は戸惑ったものの、数回リピートした後に指が自然とチャンネル登録ボタンを押していた。
 彼らの曲は、人でごった返すアジアの繁華街に似ていた。いびつに積み重なった建物、無数の電線が絡み合った低い空、じっとりと肌に張り付くような真夏の湿気。孤独と虚しさ、やるせなさ、それでも隣で手を握る誰かのぬくもり。あくまで一個人の感想に過ぎないが、私が耳で見たそれらの景色は彼らが掲げる「エキゾチックロックバンド」というキャッチコピーそのものだった。偉そうなことを言えるほどJPOPを聴いてきたわけではないが、それまで聴いてきたどの曲とも違う、ありありと肌に迫るような実在感を彼らの曲から感じたのだ。
 ほどなくして彼らのメジャーデビューが決まった。サブスクのおすすめに流れてくるほどだったので私が知った時にはすでにメジャーデビューが確定していたのかもしれないが、バンド名を冠したファーストアルバムが発売された時は自分のことのように嬉しかった。音楽ショップ店員であるという職権を濫用し、自分で買うほかに店頭用として一枚だけCDを置かせてもらった。もちろん店でもどんどん流した。ショップ店員のおすすめCDを選出する催しの際には、力作のコメントを添えて応募した。私の行動がアルバムの売り上げ、ひいては彼らの知名度向上にどれほど寄与したかは知るよしもないが、ある日出勤した時にそのCDが売れているのに気づいた。仲間がいる、と感じた。この街のどこかに彼らを応援している人がいるというのは、大海原で自分以外の小舟を見つけたような、安堵感と高揚感が入り混じる不思議な感覚だった。
 
 恥ずかしい話だがそれまで私はライブというものに行ったことがなかった。
 ライブに行くほど好きになったアーティストがいなかったというのもあるが、大きな音や人混みがそれほど得意ではないというのも大きかった。グッズ片手にライブやフェスを巡るよりかは、どちらかというと自宅で本を読んだり映画を観ながら静かに過ごす方が好きなのだ。そんなわけで彼らのことを知っても開催されるライブについて調べるようなことはしなかったし、アルバムに入っていたツアー最速先行応募シリアルも日の目を見ることはなかった。いくら好きでも行けないだろうな、というのが当時の私の感想だった。
 そんなある日、近所のコンビニに各種ライブの宣伝ポスターが貼られていることに気付いた。店内の端末でチケットの申し込みができるというやつである。そこに彼らのバンド名を見つけた。あ、と思った。バンド名、ツアータイトル、開催日時、そしてチケットの価格。この日この時間にこのチケットを持ってこの場所へ行くと推しに会える、という事実が、具体的情報を伴ってすぐ目の前に迫ってきたのだ。ずしりと重みのある実在感に、身体の芯がにわかに震え始めた。生であのメロディーを、歌声を聞ける。彼らに会える。申し込みさえすれば。
 申し込んだ。人生初の経験だった。大げさかもしれないが、好きなバンドのライブ参加なんてことは私にとって大冒険だった。チケットを申し込み、当落通知にやきもきし、いそいそとチケット代を払い、電車に揺られながら会場へ向かうまではおそらく数週間ほどだったが私にとってはあっという間の出来事だった。当日のライブ会場はよく晴れており、多くの人でごった返していた。もちろん大人気アーティストの武道館ライブやアリーナツアーの観客動員数と比較すると少ない方だろうが、志を同じくするファンが彼らの曲を聴くためにひとつところへ集っている光景は嬉しいような、夢でも見ているような、ふわついた妙な気持ちだった。ここにいる全員がこのバンドを知っていて、彼らの曲を聴くために準備を整えて今日という日を迎えている。この人たちみんな彼らの曲を聴きに来たんだ、そんな当たり前のことをぼんやりと思った。
 物販で買ったツアーTシャツに着替え、ラバーバンドを右腕にはめた。ラバーバンドを着けるのも初めてのことで、汗にも強いし誰かに当たって怪我をさせる心配もないラバーバンドはライブにうってつけのグッズなのだということをここで初めて知った。ライブハウスという所に入るのも初めてで、チケットと引き換えに渡されるコインで好きなペットボトル1本と交換するというシステムにおののいた記憶がある。まったく一人での参加だったので、緊張でこちこちになりながらも見よう見まねでドリンクの交換列に並んだ。前の人が手慣れた様子でホルダーの付いたスプライトを持っていくのをじっと睨みながら、私も同じようにスプライトを貰っていった。ライブ前の緊張でからからに渇いた喉に染み透るような味だった。出演するのでもなくスタッフでもなくただライブを観にきただけなのに、慣れない環境ということもあって今にも倒れそうなほど緊張していたのだ。
 会場には何脚ものパイプ椅子がずらりと並び、白い幕で遮られたステージは地面より2メートル弱高い。ちょうど学校の体育館ステージをそのまま大きくした感じで、人と人の間を割るようにたどり着いた自分の席は思った以上にこぢんまりとして見えた。一階席だったが前列ではなく、たぶん真ん中ほどの席だったと思う。見渡す限り私以外は仲間づれのようで、ドリンクで喉をうるおしながら同好の士と共に推しを語っている人々を、この時はとてもうらやましく思った。顔も知らない人がひしめくライブハウスにたった一人で座り込んでいるというのはどこか場違いのような、言いようもない不安と寂しさが入り混じる感覚だった。楽しみですね、とよほど隣の席の人に声を掛けようかと思ったが果たして許される行為なのか、やっぱり不審だろうか、躊躇しているうちに開演時間になり会場の電気が落とされる。幕に映し出された映像を周囲の人は息を詰めて見つめている。これがライブというものなのか、これから何が始まるのか、それともこれで終わりなのか、怯える私の前でばつんと音が立てて幕が落ちた。
 まばゆいばかりのスポットライトに照らされて、彼らが眼前にいた。
 生きていた。動いていた。手を伸ばせば届きそうなほどの距離で、爆発的なエネルギーを発散させながら彼らは躍動していた。がたがたと音を立てて椅子から立ち上がる人の群れに混じって、私も無意識のうちに立ち上がっていた。空気が震えていた。見えるはずもないのに汗の一粒までもが鮮明に瞳に焼き付くようだった。不思議と音は覚えていない。それはもう耳で認識できる音ではなく、脳髄をつらぬいて身体の奥深くへと突き通るような、あまりに濃厚なエネルギーの塊だった。何曲演奏したのだろう、もう覚えていられなかった。音の激流、声の奔流、彼らの呼び掛けに呼応するように、ラバーバンドをはめた腕をもう必死になって突き出した。会場の空気を呑み込むのに必死すぎたあまりセットリストもMCの内容もほとんど覚えていないが、二階席にメンバーのご家族が集っている、というのははっきりと覚えている。お母さんが来ています、と言った途端に聴衆が皆そちらの方を向いたのだ。もちろん一階席からは見えなかったが、しばし会場は温かなざわめきに満ちた。
 彼らの曲は孤独に苛まれる人々をやみくもに鼓舞するような曲ではなかった。孤独にもがき、苦悩し、暴れ、我々と同じ位置から苦しみを歌っていた。世間一般に「生きづらさ」とカテゴライズされる雑多な違和のひだを丹念に写し取るような曲だった。それでも生きていくのだと、生きていくしかないのだと、訴えかけるような歌だった。そう強く感じた。私と同じようなことを思う人がどれだけいるのかは分からない。まるで見当違いの感想かもしれない。だとしても、私が彼らとの出会いをきっかけとして、ライブ参加という形で自分の人生をちいさく変えるに至ったことはまぎれもない事実なのだ。生で聴いた彼らの歌声はどこまでも熱量に満ちていて、いびつな社会の中でしたたかに生きる生命そのものだった。
 若干の耳鳴りと心地よい疲労感を覚えながら会場を出た時には、すっかり日が暮れていた。橙から紫、そして黒へとグラデーションになっていく空の下をぼんやり歩いた。誰と会話を交わしたわけではないが、ライブの開始前に感じてた若干の後ろめたさと寂しさはすっかりなくなっていた。帰りの電車内でSNSを開き、今さっき行われたライブの内容を検索した。数々の感想があった。同じ時間、同じ空間を共有した人々が思い思いの感想を上げていた。初めて彼らのライブに参加したという感想もあった。娘に誘われてファンになったという感想もあった。彼らと、そして顔も知らないファンと、私は今さっきまで同じ空気を吸っていたのだ。これがライブなんだ、と感じた。
 
 結局、私が彼らのライブに参加したのは、そして生きている彼を見たのはこの一回きりだった。私のような内向型の人間にとって、ライブハウスでの大音響はいくら楽しくともやはり結構な負担を強いるものだったのだ。ファンらしからぬ行為かもしれない、と後ろめたさを覚えなかったわけではないが、新たにライブに参加せずとも私は満足だった。持ち帰ったラバーバンドとドリンクホルダーは普段使いのリュックサックに付けた。ツアーTシャツは一緒に買ったキャップと共に普段着の一着となった。高揚感も時を経るごとに薄まっていき、やがて思い出となったが、あの日あの時の熱気は圧縮されたまばゆい塊となって私の中に沈澱していた。その塊を時折取り出して、大事にしゃぶりながら生きていけるような気がした。
 推しは推せるうちに推せ、とよく言われる。私はその言葉の本質をよく理解していなかった。自分の推しが突如としてこの世の理から外れていなくなる、という可能性について深く考えもしなかった。もっと彼らのライブに行っておくべきだったかもしれない、多くのファンと言葉を交わすべきだったかもしれない。そうした後悔がないわけではない。だが生前たった一回だけ参加したライブは、余りあるほどの恐るべき熱量を伴って今も私の奥底に沈澱しているのだ。ライトのまばゆさが、空気の震えが、今もありありと甦ってくる。観客に向かい両手を広げる彼の姿を昨日のことのように思い出せる。推せるうちに推せて本当に幸せだった、と私は強く思う。私はこれからも彼らの曲を聴き続けるだろう。ライブへの参加については相変わらず腰が重いかもしれないが、知人におすすめするし、追える範囲で情報を追うだろう。そして私がこの世を去る時には、あのライブの光景が走馬灯の一部として脳裏に甦るのだろう。私の人生を変えたものの一つとして。

 彼らの曲が、そして彼の歌が本当に大好きでした。そして今も大好きです。ありがとう、そしてこれからもよろしくお願いします。

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