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創作の街を探す話

もうめっちゃくちゃにきたないところが好きです。

と言うと、多分(かなり)語弊がある。

ここでいうきたなさとは生ゴミや汚物といった衛生観念的なものではなく、機能性を重視しすぎた結果としての見た目のきたなさである。
たとえて言うなら工場地帯。いや最近は工場もライトアップされたり夜景スポットとしてもてはやされたりなかなか綺麗ですよ、という話ではなく、見た目のことなんかどうだっていいからとにかく機能性を、という果てしない頑張りの結果爆誕してしまった、何十本のパイプやらダクトやらであたり一面ごじゃごじゃっと入り組んだインダストリアル的光景が好きです。無骨なうつくしさというか、生き物の内臓を覗き見たような生々しくもうつくしい実在感、そのようなものに直感的に惹かれてしまう。

創作「SCALY FOOT」に登場する街「ガラ通り」を紹介する文にこういったものがある。

唯一の居場所であるこのスラム街へしがみついていくために、あらゆる財を呑み込んで豊かに肥った中心街からそれこそ手当たり次第に様々なものをくすねて回った。水や燃料は言わずもがな、電力さえも闇問屋から卸した盗電用の三又ケーブルを通りの至る所に張り巡らせることでどうにか賄っている。やっとこさ電気が通ったケーブルを取り囲むように続々と部屋が造られるせいで、昼なお暗いガラ通りの路地はちょっとした迷路の様相を呈していた。
―SCALY FOOT 第一話 ガラ通り

盗電線がいたるところに張り巡らされ、増改築を繰り返したいびつな建物が無数に立ち並ぶガラ通り。とにかくその日暮らしができればいい、壊れたところなんてダクトテープで塞げ、建築基準法なんて知ったこっちゃねえ俺が法律だ、こういうところが好きなんですね。
たぶん、生活感を求めているのだと思う。登場人物が生々しく暮らしている、どこにでもありそうな小汚い街。どこかにありそうでどこにもない、頭の中だけに存在する街である。

小説を書くときには、私はまずその風景や光景といったものを思い浮かべる。頭の中にガラ通りなどの街の映像を流して、それらの映像を頭の中でじっくり見ながら文章として書き起こす、という脳内カメラマンのような創作スタイルが主流である。見えるときにはそれこそ面白いように細部まで見えるのだが、体調がよろしくなかったりメンタルが弱っていたりすると途端にノイズが掛かったり映像が途中で止まってしまう。私の頭の中のデッキはどうやらVHSのまま時が止まっているらしい。
それで、ガラ通りの解像度を上げるため、よく町中でガラっぽいところの写真を撮ったりする。脳内ロケハンである。

絶品のきたなさ。絡まりあったコードといい、廃棄ガスの汚れといい、いくらでも眺めていられる。実際に眺め続けているわけにもいかないので、2分くらいでさくっと撮影した。

エアコンの室外機が上下に。どどん、と並べて置かれたガスボンベがリズミカル。楽譜を見ているようである。

きたなエレベーター。うっかり異空間に連れて行かれそうである。閉塞感がすごい。たまらない。

ガラ通りってどういうとこ、と聞かれたら、こういった街中のあまり表に出したくないような部分だけをいやがらせのように寄せ集めてあなたの眼前におっぴろげた街です、と答えたい。

おっぴろげた街の詳しい様子は本編で。

江古田にコーヒーおごってあげてもいいよ、という方はどうぞこちらから。あなたの善意がガラ通りの取材を後押しします。