そんなものはないの品物

そんなものはないの品物を見つけるのが好きです。

なんだそれは。ここでいう「そんなものはないの品物」とは、一見聞き慣れない名前なんだけどもなんとなくそれがどういうものか想像がつくような、あるいはどこか知らない国や知らない地方に実際に存在しそうなものを指す。

たとえば以下のもの。

もたつく手足を動かしかけたはすみは、すぐに自分の体が透過迷彩の重金属ワイヤーできつく縛られていることを理解した。階段に張られていたのもこれと同じものだったのだろう、屈折率が限りなく低いオルゴン金属で作られたワイヤーはしなやかだが非常に強い。整備工場にあるような龍歯ニッパーでしか切れないワイヤーに、はすみが太刀打ちする術はなかった。
SCALY FOOT 第一話 ガラ通り
「いやややや、いや、どもどもー。お兄さんあれ?それ上で買った子?ほら、そーゆーアレ探してんしょ?いやーねー、最近自警団のイタチ軍団がうるさくてさぁ。ほらあの表向きはどこも店じまいしてるけど、フツーに営業してますよウチは。トリッパーなら何錠か種類あるし、ハーブ物はもっと多いよ。それともブレインファックで探してんならプラグも完備した専用ブースありますよー。どう?」
SCALY FOOT 第四話 造営団地

それぞれ何がどういうものなのか、あまり深くは考えていない。いや、考えてはいるけども、ざっくりとしか考えていない。オルゴン金属はガラスのような屈折率を持つ、鋼鉄のようにしなやかで強い金属だが、それだけである。多分、ガラ通りの人に「オルゴン金属ってなんですか」と訊ねたら、それくらいの答えしか返ってこないのだろう。透明な金属です。それだけ。

ある日だしぬけに現れたUFOから降り立った宇宙人が開口一番「テレビってどういうもの?」なんて質問をしてきたらきっと私は「テレビとはテレビ番組を見るために使う家電製品です」という無難かつなんの答えにもなってない回答しかできないだろう。あまりに日常に溶け込みすぎているもんだからそこまで深く考えたこともないけど、どんなものかは理解したつもりでいる、という感覚的な理解である。そういったもの、限りなくローカルだけれどもなんとなく何に使うのか、また何をするのかイメージできそうなものを創作の世界で探すのが、とても好きだ。

そういう点で大きく影響を受けている本が2冊ほどある。
北野勇作「人面町四丁目」
椎名誠「武装島田倉庫」
どちらも大好きな本である。(武装島田倉庫はコミックスも出ているができれば小説でも読んでほしい)
どちらも舞台は架空の都市というか、どこか似通っていながらも決定的にちがうような、現実と虚構がいりまじっているような不思議な世界である。そういった世界で登場人物が様々なことに巻き込まれていくのだが、そこにもったいぶった説明は一切ない。あくまで淡々と、日常の一部として、聞き慣れない地名や名前、現象などがどかどか出てくる。
なので読んでいると、まるで異国に身一つで放り出されたような、なまなましい生活感を肌で感じているような気持ちになる。読み手を「読者」ではなく「こちらの世界を覗きに来たよそもの」として捉えているふうでもあり、こちらは本のページを通して知らない人の私生活をまじまじと覗いている気分にさせられる。
そういった本が、もうしびれるくらいに好きなのである。
できれば取り入れたい、私も覗き魔になりたい、と思う。いや覗き魔は語弊があるかもしれない。泥臭系リアリスト。そういうものになりたい。

で、そんなものはない、の話である。
SCALY FOOTの世界にしか存在しないものやことはもちろん沢山あるのだが、あの世界の人(特に創作の舞台であるガラ通りの住人)は誰だってそれほど親切でもないのだから、今さっき丹本に着いたんです、といった感じのほやほやの観光客に対してわざわざ親切にああだこうだ教えてくれたりはしない。その代わりとして、通信ポストやオルゴン製の重金属ワイヤーや龍歯ニッパーなんてものをほやほやの観光客の眼前で実際に使ってみせるのである。どんな詳しい説明より、実際にそれを目の前で使っている光景のほうがよほど説得力がある。どんなものかはっきり分からないながらもどこか分かったような気にさせてくれるのが、そんなものはないの品物なのである。

そんなものはないの品物、たぶんこれからもどんどん増えていくと思う。いつか目録にしたい。

本編よめます。

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