なんでもやる市役所の末路

市役所は総合行政機関として、ありとあらゆる仕事を担っています。そのため、「市役所に言えばなんでもやってくれる」と思われている方も少なくないと思います。

また、私の市の議会の一般質問を見ていると、議員さんの質問で「〇〇市はこういう施策を打ち出しているが、我が市はどうか?」との問いに対して、「〇〇市と同じとまではいかないですが、こういう制度を設けていますし、さらに、充実させていけるようがんばります」と答えたりするケースをよく見ますし、ウチの市も手広くやってるなと感じます。

このようになんでもやるが当たり前になっている市役所の末路を私は危惧しています。

市役所を取り巻くステークホルダーは多くいることも事実で、市役所に頼りがちになるのは幾分仕方ないことかもしれませんし、田舎に行くほど行政が担う役割は大きくなるような気がします。

しかし、なんでもかんでも市役所がやるのはまた違うような気がします。市役所がなんでもやるとしてしまうと思考停止に陥り、本当に必要なものが分からない状態になる危険性を持っているのではないかと思います。そうすると、帯に短し襷に長しという施策が蔓延して、真の成果を得ることはできないままに終わってしまうという悲劇を引き起こしかねないとも思います。

「なんでもやるは何もやってないと同義。」

こんなことを言われると、正直グゥの音も出ないのかもしれません。(もう気付いているひともいるけど、あまりに的確過ぎて言えないのかも知れません)

いずれにしても、本当の意味で「選択と集中」を行い、それができないなら「現状からの小さい変化」を起こさないと誰も得しない未来が待ち受けているのかも知れません。

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