アルコ&ピースの深夜ラジオに規定された人生を生きている
中学生の時。私はジョジョの奇妙な冒険に夢中だった。
それを理解してくれる友達なんて周りには居なかったけど、別にかまわないと思ってた。ディオの決め台詞をネットミームのように面白がって教室で叫んでみてるやつらと一緒になりたいとは思わなかったからだ。
荒木先生お気に入りのアルバムを片っ端からTSUTAYAで借りて聴いてみた。そうしたら、まあ正直何が何だか分からないのもあったけど、デフレパードとガンズ・アンド・ローゼズだけは世界一かっこいいバンドのように聴こえてしまった。そこからどんどん漫画・映画・音楽に潜っていった。
徐々にジャニーズや坂道に発狂する周りが見えなくなった。安心した。
これで隣の席の田舎くさい中学生と同化することを防げる。
ちょうどその時だった。アルコ&ピースのラジオに出会ったのは。
映画・音楽・青年漫画・お笑い、中二病なノリ。当時の私が好きなもののすべてが詰まっているコンテンツだった。
ダークナイト・ブロークバックマウンテン・スパルタの血の掟・刃牙・ELLEGARDENのステレオマン(?)などの名前を出しながら完全に部外者を置いていく内輪トークをこれでもかと繰り広げ続け、エンディングにはandymoriがかかる。
そこは新しい世界の入り口だった。
親が離婚の後に復縁再婚するなど、家庭環境が複雑な私だったけどラジオを聴いている間は絶対に笑うことが出来た。
鬱屈やルサンチマンに満ちた攻撃的で生々しいやりとりは、まさにドロドロした青春を生きていた自分の肌に、怖いぐらいなじんだ。
やっぱり私はセカオワで感動できなくて小山田壮平に夢中だったし、青春漫画の実写よりインターステラーが見たかった。進撃の巨人も好きだったけど攻殻機動隊の話をしてくれる友達が欲しかった。
スクールカーストの中でしか生きれない自分が嫌だったけど、カーストが下とも思われたくなかったし、結局それに振り回される自分が大嫌いだった。そんな自分を肯定してくれる場所は、ラジオの中にしかなかった。
高校に入った私は冷笑的な人間に仕上がっていた。中学では尖っていられたけど、高校ではもう、周囲と同化することに気を遣いすぎて毎日気疲れしていた。
生きて行くにはそういう、「協調性」という名の圧力に屈して、自分を一般化することにより周囲を安心させる力が必要なのだ。それを教師はみんな「コミュニケーション能力」「生きる力」とか呼んでひた隠しにしている。それに気付いた。
そして少し迷った後、従った。
それなりに明るい子達が所属する部活に入っていたため、様々な青春イベントを体験させてもらった。楽しかったけど、そのたびに一般的な女子高生と自分の違いを自覚させられた。次第に私は自己開示を全くしない人間になった。
そのころアルピーはオールナイトニッポンを卒業し、TBSでDCガレージという番組を始めていた。リスナーの分際で何が分かるのかと言われればそれまでだが、二人の人間性はこの時期から静かに、変化していった。
肌感覚でしかないが、昔の二人はもっと鬱々とした不満に溢れていたように感じる。いじめられた学生時代。地方の小さくてくだらないコミュニティ。上京してきても結局カーストの頂点には立てない。だから自分は気に入らないやつを見下す。今まで蔑ろにされた分、その資格はある。リスナーもそう思うだろ。そんなカウンター精神によって大暴れしていたオールナイト時代。
反対にDCガレージは、牙を抜かれたというよりは牙を使うのをやめた獣の日常風景、みたいな雰囲気だった。その姿勢は、俺たちは蔑ろにされてきた側だから、今蔑ろにされてるやつの気持ちに寄り添うことが出来る。とリスナーに穏やかに語っているようだった。昔の攻撃性は徐々に、でも確実に薄まっていた。少し物足りなく感じている自分もいた気がする。
そんなある日、ぽつりと、平子さんがラジオで話した一言。
「結婚式の余興で踊るやつらとかさ。意味分かんねえって思うじゃん。まあでも、ああいう奴らがいるから社会って成り立つっていうか。必要だよな。ああいう奴ら。」
そうか。理解できなくて良いのか。存在を認められたら、良いのか。
この気づきは私にとって革命だった。
酒井ちゃんも、徐々にそういった発言をするようになった気がする。他者を積極的に排除したり見下すんじゃなく、まあそういうやつもいるよな。でもそれで社会って成り立つよなあ。という感じ。
理解し合えないだろう、と思ってしまう他者しかこの世に存在しない。
イラッとくる言い方しか出来ない先輩。習い事はクラッシックバレエなお嬢様同級生。鬱病で唐突に怒る父親。PMSでイライラする母親。怒鳴り合って皿を割る両親。複数の障害があるひきこもりの弟。突然自殺した親友。
自分と立場が違いすぎて、理解しようとする前に大きな諦観が押し寄せてくるような他者。見下したり心の中から排除したら楽だった。それが学生なりの処世術だった。
二人はそういった思考から抜け出しているように見えてうらやましかった。
自分と他者の違いを受け入れて、諦めつつ、存在自体は否定しないし、共存を望む。
そういえば自分は世間が規定してきた「一般性」「カースト」をあんなに嫌っていたはずなのに、その一方で他人を見下したり排除したりしていた。
そんなんだからいつまでもそれにとらわれるんだろう。
「どう生きようが自分の人生なんだからなんだっていいだろ。」
「だからお前ら他人の人生も、まあ理解できないし、理解出来なすぎてウケる時あるけど、なんだっていいよ。」
そう考えるようにしたら、自分が一つ大人になれた気がして救われた。
今も理解出来ない他人の存在に辛くなるときはある。私の場合それは家族だ。
朝7時に食卓で大げんかを見せつけられた日。頭が痛くて、やめてと訴えたら、「向こうが先にしかけた。」「向こうが先にキレた。」と散々すがりつかれ、バスに間に合わなくなりそうで走って家を出て通学路で泣いた日。
父親が「実は難病にかかった」と私に受験一週間前に告知したことにより、両親が皿が割れる大げんかを繰り広げた夜。
決死の思いで離婚届を二人に渡したら、離婚しないのはまだ自立していないお前のためでしかないんだぞ、と言い聞かされた日。
弟が父親からの説教や圧、無理解に耐えきれず、私の部屋の漫画や本をビリビリに引き裂くようになった日。
父・母・弟が付き合いに顔を出さなくなり、私一人が親戚から家族の不和について問いただされるようになった日。
そのほぼすべてがラジオに救われた。
馬鹿みたいなコーナーと、繊細で穏やかで斜めな視線で満たされたフリートークに笑わせてもらった。
バスの中で号泣しそうになっても、ブルーノマーズのRun away babyが流れればもう大丈夫だった。
蔑ろにされてきたやつは、蔑ろにされたやつに心から寄り添えるんだと二人から知った。だから自分は人に寄り添える側の人間でありたいと願った。
高校3年あたりからは視野が広がって、今まで忌避してきたコンテンツや知人と触れあうようになった。違いをポジティブに面白いことだと思えるようになった。
同じ家に居るのに10年ほど会話がない家族を、どう受け入れたら良いのか、未だに分かっていない。だけど心地良い距離感を見つけることは出来た。
なぜこうも理解し合えないやつらが一緒に暮らして問題を起こし続けるのか。でもそういう理解し合えない他者によって社会は成り立っているんだもんな。ちょっとずつウケてくる。
私が社会人になって帰省しても未だに同じようにちちくりあっている家族は、分断する日本社会を象徴しているようで、この家族を被写体にドキュメンタリーとか撮ったら社会派で良い感じになりそうだなと思う。
とにかく深刻に悩まなくなった。親戚からの質問は軽く受け流し、自分は自分の人生に集中しつつ、家族を私なりの方法で支援して、愛せるようになった。
今の私はKPOPが好きだし韓国ドラマを見るし、流行りものにも積極的に乗っかる。別に理解できなくてもそれはそれで面白いからだ。
私は学校や社会に規定された「一般性」みたいなものからはみ出ていた。
私の趣味は一般的じゃなかった。
私の家族は一般的じゃなかった。
私の人生も一般的じゃなかった。
なんだか可哀想なやつに見えた。それが辛かった。
だから良い家庭に生まれJPOPを聴いてアイドルファンをやってるような「世間的に平凡な人」をつまらないと言って見下した。
顔が良かったりセンスがあったり自我が強かったり、「世間的に自分より恵まれている人」に中指を立てた。そうして生きてきた。
でも今は、誰がどう私にものさしをかざそうと、かまわない。
別に「一般的な価値観」にすり寄ろうとも思わない。
私は人にものさしをかざして評価したりしない。
私以外全員すべからく圧倒的他人であり、平凡だとか、非凡だとか、恵まれてるとか、いないとか、関係なく圧倒的他人なのだ。
理解し合えることなんかほとんどないんだろうけど、だからこそちょっとだけ心が通ったときはうれしい。そんな瞬間のために、ちょっとした「違い」は笑い飛ばしながら、生きていきたい。
(香ばしい駄文失礼しました。一緒にあの番組を聴いていたリスナー、もしくは現在聴いているリスナーに届いたらうれしいです。もし二人のラジオを聴いたことがない方にはぜひ聴いて欲しいです。良い話とかは基本しないですけど笑えて色々どうでもよくなる、筋弛緩剤みたいな番組です。)
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