大好きな先生と最後の日

4歳児クラスはまだ続くのですが、州政府からの予算の関係で、補助教員が教室からいなくなって2週間となりました。

火曜日と木曜日を担当してくれた先生とは、今日でお別れ。

補助教員として教室に一緒にいる時間はなくなりましたが、その補助教員の方は午後クラスを担当していて、顔を合わせていたのですが、それも最後となってしまいました。

教室を出てきて、わたしの所へ走ってくる次男。
補助教員の横を走り去るだけで、今日でお別れであることは全く理解していない様子でした。

いつもは真っ先に建物を出て外に行きたがるのですが、次男にゆっくり話をしました。

「よし君、blackwood先生は今日で最後なんだよ。もう逢うことが出来ないんだ。」
何を言われているのかあまり理解していない様子の次男でした。
「よし君、先生にハグして来たら? もう会えないんだよ。」
そう説明すると、次男は少し考えたような表情をして、小走りに先生の所へ走っていき、両手を広げてハぐをしていました。

次男なりに理解したのか、ハグという言葉だけ理解したのか分かりませんが、簡単な挨拶程度よりは少し長いハグをしていたことを思うと、少しは理解していたのかもしれません。

「今までありがとう」
なんて言葉を発することが出来ない次男ですが、満面の笑みで先生とハグをして戻ってきました。

「また、いつかね。」
という先生の言葉に、手を振って
「バーイ」
という次男。

次男が9月から今の学校とは関係のない学校に行くというだけではなく。
お世話になった先生は、夏にカルガリーを離れ、遠い街に移り住んでしまうということ。

facebookでは繋がっていますが、会うことはほぼ確実になくなってしまうと思います。
それでも、次男が先生の写真をみたり、先生が次男の写真を見ることで、なにかお互いにとっての何かになってくれればと思います。

3歳児クラスの補助教員とは、毎日顔を合わせていますが、次男の中では、遠い記憶となってしまっているようで、あれほどべったりだった次男なのに、その教員のことを、その他大勢のようにしか思っていない様子であるということ。

blackwood先生についても、4歳児クラスが終わるとともに忘れてしまうかもしれません。
もしかしたら、クラスが終わる前に、徐々に遠い記憶になってしまうのかもしれません。

健常者でも、これくらいの年の子は、記憶が遠のいてしまうのかもしれませんが、恐らく次男は健常者の子供たちよりも早くに記憶が無くなってしまうでしょう。

でも、今の時代は遠くにいても繋がることが出来る時代でもあるので、なにかが次男の中に残っていてくれれば、いつか先生のことを思い出してくれるかもしれないと願って。

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