公開アーティストインタビュー「色眼鏡をのぞく」  アーティスト:Σ田

本展「COLORED GLASSES」にて公開アーティストインタビューを行いました。今回は、2022年11月29日(火)に行われたアーティストΣ田さんのインタビュー内容をお届けします。

インタビューでは本展示のテーマに対する考えや、出展いただいた《午睡》、《微かに崩れる音がするとき》、《置いてきた価値、選ばなかったもの》の3点の作品について伺いました。

《午睡》

《午睡》
2022年、雲肌麻紙、岩絵具、水干絵具、色鉛筆



ーこちらはどんな作品なんですか?

これはですね、受験が終わって大学に入ってからいろんな色を模索しようとしているときに描いた作品です。どの感じの黄緑がかわいいだろうか、と。

ーこの絵を見て、緑の色がとても印象的だなと思いました!

この緑の発色は、岩絵具で明るく目立たせるために紙の地の明るさを維持しながら描いているんです。一番下の何も塗っていない紙の真っ白な明るさを維持し続けて、先にちょっと緑や黄色っぽい下地を作ってからそれ以外の色を厚めの岩絵具で塗りつぶすという方法です。

ー日本画について、Σ田さんご自身が油絵などと違うと感じている点はありますか?

大きく違う点は、パレットで色を混ぜるというより、画面内で色を重ねていってどう見えるかというのがまず一つ。岩絵具というのは色のついたガラスや天然の石を砕いて作っている粒子状の絵の具なんです。番号によって粗さや具合などが変わってくるので、違う番号同士だと混色ができないという特徴があります。同じ番号でも分離しちゃうみたいになっちゃって……。だから、画面内で色を重ねて色を作ります。
もう一つは、乾くまで何色になるかわからないという点です。買った時の砂の色が完成の色になるということにはなっているんですけどね。まず、水を含ませて和紙の上にのせるとちょっと黒ずんだ色として出てくるので、画面の中でどうなるのかは完全に乾かないと分からない。そして乾いたところでパッケージの色そのままというよりは、その下の色に影響されて変わってきたりというところがあります。

ーそれは結構難しいですね。乾くまで印象がわからない……。

そうですね。肌の色を塗ったと思ったら明るすぎた、ということがあったりして難しいです。まあ、油絵の具とかにはない、乾いた感じのキラっとしたテクスチャが日本画以外では出せないなーと思っていて、あの感じが面白いなと思います。

ーこの《午睡》に描かれている人物、よくΣ田さんの創作物で見かける気がします。

はい、真ん中の彼はゼイジくんといって、7年前くらいから描いているキャラクターなんですけれども、彼はインディーズな感じの音楽をやっている青年です。

ーゼイジくんは寝ているのだと思うのですが、これってどんな場面なんでしょうか?

これはまあ、作曲とかに息詰まってふて寝とか、お昼寝しているところなのかな、そういう絵です。心地よく寝ているというよりかは……。それもあるんですけど、ここの下に皿とフォークが置いてあるんですよね。その、彼に対して丁寧に剥いた果物を出してくれる存在がいるんだろうなという。つまり彼が制作に息詰まったとき、作業を見守ってくれるような存在がいるのかなーという感じで描いてますね。

ー見守ってくれる存在、ですか。

彼自身がちょっと変わり者なんですよね。それでも、そういう彼のダメな部分も受け入れくれる人間がいるっていうのは少しだけ自分の中の裏テーマみたいなところがあります。私も創作全般で異端である人を受け入れるという、そういう人が自分の姿のまま入り込める状況、世界を作るっていうのを自分の中のテーマとしてずっとやっているところがあります。その一環の中でこの作品があるのかな……。たぶん彼に果物を出してくれた人物は、私の中では誰とか決めたわけではないんですけど、彼のマネージャーみたいな立ち位置の人とか、彼のお兄さんとか家族とか。音楽をやっているわけではないけど彼の活動について理解を示してくれている存在が彼を支えているのかなと。

ーΣ田さんご自身にも、Σ田さんの活動を支えてくれる存在がいらっしゃるんですか?

そうですね。この絵は私自身の経験ともちょっと重なってくるところがあるんです。
受験期にすごく苦しくて詰まっていたとき、予備校でボロボロに言われて帰ってくるんですけど、私のその話を妹や家族がただ黙って聞いてくれたりだとか、ご飯出してくれたりだとかしてくれて。
それまで私って色々ひどいことを言われたり、すごい精神的に落ち込んだりしたときに「同じ苦しみを持った人でないとその人を理解してあげられないから容易に何かするべきではない」と思っていたんです。でも、いざ自分が辛くなったときに優しくしてくれる、受け入れてくれる人がいて、その暖かさに触れたとき、別に同じ苦しみを味わっていなくても、寝床を用意してあげるとかあったかいご飯を作ってあげるとか、そういう形で相手に寄り添ったりできるんだなとしみじみ思いました。

《微かに崩れる音がするとき》

《微かに崩れる音がするとき》
2022年、雲肌麻紙、岩絵具、墨、朱墨



ーこの作品も日本画なんですが、個人的に背景の凸凹にも興味を惹かれます。

そうですね。岩絵具って基本的には5番から13番の番号があって、粗いのが5番、細かいのが13番。その上にさらに「白」っていうさらに細かいものがあるんです。
この絵の背景には、結構粗い方の6番とか5番の岩絵具を使って壁の模様を意識して盛り上げたあとで下地に色を塗っています。下地の色は結構強めの赤とか緑とかを入れてレインボーっぽくした後に薄ベージュみたいな色をかけて、うっすらレインボーが透けていつつ、ぼこぼこしているような感じにしました。

ーこの絵の右側の女の子が左の女の子を見つめているんですが、この見つめている目が半月型でニュアンスがあるなと思いました。

こういう目のキャラクターが単純に好きっていうのもあるんですけど、これの意識しているところとしては、まあ、爬虫類とか両生類のような目で……。
私イモリと亀を飼っているんですけど、彼らは別に表情があるってわけではないんですが瞼の構造とか、向きによって顔の印象が変わったりするというのが面白くて。能面とかも向きによって印象が変わりますけど、それみたいな感じでちょっと俯いていたら怒っているのかなとか、上を向くとこっちに期待しているんだとかそういう感じがあるのが面白い。幼少期に亀とかを見たとき、衝撃を受けて、私の中のかわいいものを描くときのイメージが爬虫類とか両生類を土台にしているのかもしれないです。ということで、こういった形の目はよく描きます。

ー亀とかイモリとかがお好きなんですか?

そうです。小さいときに母が亀を捕まえてきて。それを見ていて、爬虫類がすごく好きになりました。両生類にもハマっていてイモリも捕まえてきた。
亀はギリギリ感情あるかもしれないですけど、イモリは完全に無かもしれないです。

ー亀に感情があるんですか!!

なんか怒っていたりとか、妙にこっちに期待していたりとか、暗めの目つきとか……。

ー確かに……!餌あげると首伸ばしますもんね(笑)


ーところで《微かに崩れる音がするとき》には二人の女の子が描かれていて、髪型とか所々違いますけど顔が似ています。左の女の子はまっすぐ前を見つめているけど、右の女の子が左の女の子を少し恨めしそうというか、含蓄がある感じで見つめている。この二人の女の子に関してお伺いしたいです。

この絵のテーマは単刀直入にいうと、「持つ者の無自覚」ですね。
なんか左の子の方がちょっとした才能があったりだとか優遇されている点があって、右の子にはそれがないんですよね。二人がすごく近い顔で、近い髪型で、近い背格好というのは多分兄弟であったり、双子であったり、親友であったり、そうでなくてもものすごく近い境遇で育ってきたんですけど、たぶん左の子には彼女にしかない長所や優れた点みたいなのがあって、右の子はそれが自分には無いことがわかっている。
でも左の子は自分の方が優れていることにこの時点で無自覚なんですよ。そのことに気がつかないことで、右の子を傷つけたりだとかしてしまう。右の子は自分が優れていないことを知ってしまっているので、居る場所は近いけどだんだん二人の距離が広がっていることを感じているんです。
だから《微かに崩れる音がするとき》っていうのは二人の溝がだんだん深まっていく、これからも交わらず離れていくことを表していますね。

ー二人は、はじめは仲が良かったんですか?

そうですね。今のこの状況だと仲良くしているのかなと思うんですけど、まあ、二人の関係が維持できないことを右の子はもう知っているので、諦めたみたいな目つき、恨めしい目つきですね。左の子は単にそんなこと気にしなくても生きていけて、まっすぐ前を向いているんですけど。この真っ直ぐ前を見ている感じが何も考えていなさそうで無自覚だなと。

ーこの絵は結構刺さる人、多いんじゃないですかね。この絵はΣ田さんの経験が反映されているのでしょうか?

そうですね。私はどっちの境遇も理解できますね。
例えば、同じような教育を受けていたのに全然自分の方ができなかった時は右の子の気持ちだし、絵を描けるとか何かしらの力で美大に来ている方には経験があると思うんですけど、「いいよね絵が描けて」とか「いいよねそういうのができて」とか、そういう時はなんて返したらいいかわからなかったり。自分が人に「こうすればいいんじゃない?」とか言ったときに、「私はそんなことできる人じゃないんだからそんなに色々言わないで」と言われたり。そういうときに自分がすごく無自覚に相手のことを傷つけているんだなと、そう思って。両方の立場で傷つくことが多くって、そういうどうしても発生する「何か」を受け入れていかなきゃいけないんだなと思います。

ーこの作品も日本画ですが、さっきの《午睡》で説明していただいたように色にこだわった点はありましたか?

肌の色は結構試行錯誤しました。結構最初の時点で思い切って青とか黄色とかのっけて、ここの肌にのっている青とか赤とかあるじゃ無いですか。今は色を重ねて見えなくなっちゃっているんですけど、肌の所々にある灰色とか、下に青を乗せた後にクリームをのっけたので若干青が透けていますね。 そうすることによって自分の表現したい肌を作っています。

ー肌の色って「肌色」で描くものなのかなと思っていました……。色を重ねることで、こんなに「肌の色」がリアルに見えてくるんですね。あと、好きなポイントがあって、耳のピアスの厚みが好きです。

このピアス、私がつけているものと同じもので、この絵を見ると耳の形が大体私の耳の形と同じになっちゃっているんです。なんかこうピアスのキャッチまであると耳たぶがどっち向いているかを説明しやすいので描いちゃうんですよね。

ーなるほど〜いいですね!……すみません、テンション上がっちゃって(笑)。

《置いてきた価値、選ばなかったもの》

《置いてきた価値、選ばなかったもの》
2022年、デジタルイラスト


ーこちらの作品はデジタル作品ですね。日本画とは描き方は違うのでしょうか?この作品の筆のようなタッチを見るととてもデジタル作品には見えません。

そうですね。ツールとか塗り方によっても変わってくるんですけど、私の場合は筆の向きとかをかなり気にしているので、アナログに近いタッチになります。
デジタルと日本画の違いというのは、デジタルは何回でもやり直せるっていうのがありますね。日本画というかアナログは大体そうなんですけど、色をただ塗るだけではなくて、その厚みが最終的に作品にどういう印象を与えるかというのも結構考慮しなければならないところです。例えば、こういう肌色みたいなものでも、絵具をモリモリ盛って作ったマットな肌と、紙の明るさを維持しながら薄いオレンジをかけたみたいな肌だと全然印象が異なるんですよ。アナログだとその辺を考慮しないといけないのですが、どこまで行っても真っ平らなデジタルはその点、色をストレートに出しやすいなと思います。

ー日本画よりデジタルの方が描きやすいですか?

描きやすさでいうとデジタルなんですけど、やっぱり現物を見てもらうってなった時は日本画の方が鑑賞するときに楽しいだろうし……。
私は描くときに、まず大体色塗りのレイヤーを作るんです。色のラフのような形で完成の色を先に作っちゃって、その上からきちんと詰めた線画を描く。そして線画からはみ出た色ラフをだんだん削って、後から形を合わせる。でも日本画だとその方法はちょっとどうしても無理なので、思った通りにどんどん進められるというのがデジタルの描きやすいところですね。

ーこの岩肌は実際に資料を見て作られたんですか?

この時は今までの石を見た経験から、頭の中でつくった想像の石になっちゃっているのが結構多いですね。
個人的に好きなテクスチャっていうのもあって、なんかボヤッとしているものよりは、あっちこっちにカリカリっとした感じの質感があるのが好きです。現代風の格好をしている彼の足元の岩とかは尖らせようとしてます。
木の枝だとか石だとか、建築物だとか、気持ちがいい感じの質感を探すのが好きで、そういうのをいっぱい描けると、なんていうんでしょう……楽しいです。

ーやはりΣ田さんの積み上げてきたものだとか、経験とか日常で観察してきたことが現れているんだなと思います。
この絵には民族的な人と、現代的な人がいるんですけど、何か調べているんですかね?学者さんでしょうか?

彼はこのあたりの地域や民族のことを調べている民俗学者とか地質学者とかそんな感じのポジションです。現地住民に道案内を頼んでいるところですね。右側、学者の彼は荷物をすごい沢山待ってるし、ちょっと登るのに苦戦しているようです……。漫画的な表現なんですけど汗をかいていたりしていますね。左側、現地住民は結構軽装で軽々と登っていく、そういう点で2つの立場が対照的に描かれています、立っている位置も違いますね。

ー現地の人たちは頭の上に帽子を被っていますね。服装も特徴的です。この首に掛かっている牙みたいなものが、私は結構民族的だなと感じます。Σ田さんはこういうのがお好きなんですか?

そうですね。この民族が実在する訳ではないんですけど、私の中の民族的な表現で。
個人的に結構昔からこういうのが好きで、多分服装とかはアンデスとかそこらへんです。首飾りは何かまじない的な意味でつけているのかな。首の周りにトゲトゲしたものを配置するのが好きだったり、ちょっとした柄付きのアクセサリーで少数民族っぽい印象などを出しやすいので、首周りのアクセサリーは描いています。意味を込めるというより絵のバランス的に必要だから描くっていうのも今までの作品でありますね。
手に持っている棒は、アンデスのある地域の人達が、普通に登山をする時に、スカートみたいな民族衣装を着たまま、2メートル以上の長さの棒を駆使してスルスル登っていくという話を聞いて面白いなと思って。

ー断崖絶壁を棒を使ってスルスルと登って、結構余裕そうですよね2人。それにしても学者さんは大変そう。

民俗学の調査とかって、未開の文化として相手の文化を扱うとか、昔の文化は素晴らしいと崇めるとか、そういうのではなくて、向こうのことも調べつつ、自分のことも知るっていうフィールドワークがあるらしいんですね。だから、相手のことを知ることで「自分の中に固定観念はないだろうか」ってそういうのを取り除いていって、自分の中に深く潜るっていうのが民俗学の在り方らしくって。

ーこの絵において両者の関係というのはどのようなものなのでしょうか?

お互いがお互いに興味を持った、対等な関係として歩み寄るっていうのが考えですね。お互いがお互いのことを見て学ぶ、という。そういう意味で学者はこの民族のことを調べているし、この民族の人たちは調査している人が持っているものとか道具だとかに興味を示している。

ーではこのタイトルの《置いてきた価値、選ばなかったもの》というのは?

自文化を中心として、他の文化を「未開の文化」と呼んだり、「エキゾチック」とか「オリエンタリズム」とかそんな感じで崇めたりという表現が昔あったらしいんです。でも私は自文化以外の文化を「現代の我々が忘れ去った古き良き文化」っていう感じで受け止めるのではなくって、単に「自分たちは今こういう文化で生きている」という自文化の現状があって、「それはたまたま自分達が選んだものの先にあったものである」と思っています。そして今自分の手元にない文化については「たまたま選ばなかったもので、べつに捨てたり忘れたりしたものではないんだ」と。《置いてきた価値、選ばなかったもの》というタイトルもそういう意味で、この考えをもとにこの絵を描いています。

ー民族の人たちと学者さんはお互いに対等な立場としてコミュニケーションをとっているんですね。Σ田さんはコミュニケーションにおいて大切にしていることってありますか?

まず、結構気にしなきゃいけないのが、相手が不可解な行動をとっていたからといってこっちが「この人はおかしい」って決めつけるのは良くないと思っています。相手がその行動をとるに至ったのには何かしらのバックグラウンドが自分と同じくらいに、もしくはそれ以上にあって、最終的に出た決断が今の行動なんだっていう考えでやらなきゃいけないな、と。

ー一方的に決めつけるのではなく、相手のバックグラウンドを想像することが大切だ、ということですかね。

「この人は怒りっぽいタイプだから」「この人はこういう性別のカテゴリの人だから」「こういう障害だから」ってカテゴリ化して当てはめて、その対策を出すというのは間違っていて、そのカテゴリに入っていたとしても何かしらのグラデーションがあるわけですよ。そのグラデーションを利用するというか、ちょっとずつ相手とぶつかりながら適切な一人ひとりの接し方を模索するっていうのをいつも考えなきゃいけないと思っています。カテゴリ化っていうのはすごい大雑把な考え方なんですよね。その辺を模索するのを取っ払っちゃおうって。結局、「私は全員を理解することが出来ますよ」みたいな発言をするんじゃなくて、手に届く範囲の個人個人を大事にするコミュニケーションしか出来ないんじゃないかと。そういうのがなんか、人と接する上で大事なんじゃないかと最近思うところがあります。

ー確かに十人十色という言葉もありますし、結構似ているようで一人ひとり性格も違うし、グラデーションがありますね。なるほど、ありがとうございます。


ーここまで3作品を見てきて、光の表現が特徴的だと思いました。


そうですね。私は人に指摘されて初めて気がつきました。前に同級生が私の絵を見て「いつも光の表現が独特だよね」と言っていて。たぶん私が何も考えていない状態からパパっとイメージを起こそうとした時に、光を伴った状況っていうのが自然と出てきやすいのかなと。
逆に平面的なものとかは得意じゃなくて、強めの光をどこかに当てて明暗で構成するっていうのが自分にはあっているのかな。こっちの民族風の人達がいる方は人物やキーとなるアイテムなどを目立たせたいので周りを暗くしたりだとか、こっちの現代風の人物の方が暗くて、背景が明るかったりだとか。そんな感じで明暗で構成してるところはありますね。この民族風の人が持っている棒は上から下にかけて、背景に対しての明暗が入れ替わっているんです。この明暗の入れ替わりでいつも距離感を調整しています。

ー色使いに関して繊細に決めていて、背景と対称にしているからこそ浮き出ている……?

というより、明暗とか距離感とか、絵って絶対落としちゃいけない箇所みたいなところがあるんです。《置いてきた価値、選ばなかったもの》だったら尖っている岩とか、棒だとかがそれにあたりますね。いかにして目立たせるかっていうのを距離感とかベースにして考えていて、そこが疎かになっていると「あーこの絵は……。」って感じになっちゃうんで、そこは自分に嘘つかないで……。

ー自分に嘘をつかない! かっこいいですね。

多分、そこをしっかり描いたら見る人もわかってくれるというような場所を妥協せずに。
《置いてきた価値、選ばなかったもの》だったらこっちに向かってきている岩だったりしますね。逆にそこさえ押さえていれば他をボヤッとさせても大丈夫なんです。
漫画の黒髪のキャラクターとか、基本は黒ベタ一色でももみあげとか襟足、後れ毛やその他細かな毛とかのポイントを一生懸命描いたらもう髪の毛っぽくなるじゃないですか。落としちゃいけない箇所とかこだわるべき箇所を確実に拾うっていうのは個人的にやっていることですね。

ー確実に拾う……! まさにこだわりポイントですね!!

全然まだまだなんですけどね。


ー今回の展示テーマ「許容・容認・抱擁」について、展示やインタビューを通して考えたことを教えてください!

この展示をやるまであまり人と人との関わりに焦点を置いたことがなくて。でも、最近世の中に対してやっとこさ目が開けてきている。人との関わりを考える機会も増えてきて、こういう感じの作品も制作してみて、やっぱり「他人は必ず理解できる」とか、「自分はもうなんでも100%把握できる」というのは驕りでしかないなと思います。
それでも、「相手を完全に理解はできなくても、相手に寄り添うことはできる」っていう、そういう関わり方もできるということに気付きました。あと、グラデーションを許容する、手の届く範囲の人とのコミュニケーションを一生懸命考えるというのがあります。

ありがとうございます。最後にインタビューを受けてみていかがでしたか?

なんか喉乾いちゃった。

ー喉乾いちゃいますよね(笑) ありがとうございました!


Σ田

Twitter:@emu_talom

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