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「マルハラ」と「モーニング娘。」

「マルハラ」(マルハラスメント)がちょっとした話題になっていますね。「SNSなどで文末に『。』が付いていると、威圧感や冷たさなど、特別な印象を感じる」ということのようです。時代時代の空気感であり、おそらくあっという間に言葉は消費されて、来年の今ごろは「そんなのあったね」という程度のもので、「そうなのか!気をつけなきゃ」とも「『。』が無いのはおかしい!」とも思いません。まあ、SNSは短い文章のやりとりですから、末尾の「。」は無くていいよねとは思います。入力する手間も省けますし。

とはいえ、僕たちのような文章で仕事をしている人間にとっては、思うところもあります。いわゆる「本文」は、文章の連なりですから、「、」や「。」が無いと、読みにくくて仕方ありませんが、「。」無しが普通という場所もあります。例えばタイトルや見出し、カギカッコの中の文章や、写真のキャプションの末尾には、通常「。」を付けません(そうじゃないルールの方もいらっしゃると思いますが)。そうしてみると「。」無しの箇所は、あえて入れなくても、そこで文字が終わるから無くても問題ない、という共通点があるのかなとも思います。となれば、SNSの「了解しました」なども、「。」は無くてもいいのかもと感じたり・・・。

でも、一定数の人がSNSの短文の文末で「。」が付いていると、言い切りの強さみたいなものが生まれて「怒ってるのかな?」といった、別のニュアンスを感じてしまう。これは、SNSというシンプルなコミュニケーションゆえに生じる「解釈の幅」、つまりデジタル時代の「行間」のようなものなのかもとも感じ、興味深くもあります。

1997年にデビューしたユニットに「モーニング娘。」があります。「。」をつける感覚は、プロデュースしたつんく♂さんに聞くしかないですが、当時いろいろなものに「。」が付くようになって、強調するような、決めつけるような面白みが、時代の空気感にフィットしていた気がします。

「ハラスメント」と呼ぶのは抵抗がありますが、言葉は時代によって移ろい、「正しい・間違っている」と言い切れないところが面白いですね。

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