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三宅裕司のヤングパラダイス

コシバです。

この一週間に、埼玉県川越市の「ラジオ川越」や深谷市の「FMふっかちゃん」に予備免許が下りた一方、岡山県津山市の「MegaWAVE76.3(レディオつやま)」が閉局と、コミュニティFMにいろいろ動きがありました。

同じく埼玉県の朝霞市「クローバーラジオ(あさかエフエム)」の新体制も気になるところです。

noteでコミュニティFMの話はまだか?と思われるかもしれませんが、すみません。もう少し自分語りさせて下さいw


小学校の時にはまったニッポン放送。特によく聴いていた夜の時間帯、前回は『ニッポン放送ショウアップナイター』をお話しました。

ショウアップナイターが終わるといくつかの番組を挟んで、夜10時からは『ヤングパラダイス』でした(ただ、試合終了まで放送するナイター中継が長引くと、ヤンパラも遅れてスタートしました)。こちらもよく聴いていました。

通称『ヤンパラ』。Wikipediaによると、最初は高原兄さんがパーソナリティーをされていたそうですが、私が聴き始めたときは三宅裕司さんに替わっていました。三宅さんが主宰する劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)はかなりの人気になっていましたが、テレビではまだ無名だったと思います。

三宅さんは兄貴分といった感じのしゃべりで、時々リスナーに毒づくのもまた面白かったです。また、この番組で小倉久寛さんなどSETのメンバーも知りました。

個人的に印象が強いコーナーは先述の「ドカンクイズ」や、「これは知らね〜だろ」「ハンドメード宝くじ」「水戸様の怒り」あたり。後に映画化されましたが、個人的に「恐怖のヤッチャン」は苦手なコーナーでした。

小学生が夜10時に起きているのは十分夜更かしだったので、通常は「ドカンクイズ」が終わるまで聴いていましたが、夏休みのときなどは最後まで聴いていました。

※「ドカンクイズ」は後に私が関わった某コミュニティFM局の番組で、そのままの名前で復活しました。問題は私が作っていました。スタッフの方がニッポン放送から当時の音源を取り寄せていて、それを使用したので「完全再現」でした。

番組の人気から、三宅さんや小倉さんもテレビに進出するようになって、そこで初めて顔を見て「ああ、こんな顔をされていたんだ」と思いました。

三宅さんのこれ以降の活躍は、ここで書くまでもありません。一方、ニッポン放送のパーソナリティーとしても時間帯を移しながら継続していて、現在でも第一線で活躍されています。

私が『ヤンパラ』をよく聴いていたのは1986年頃までで、それ以降は進級で勉強が忙しくなったり、他の趣味ができたりしたため、自然と聴かなくなりました。番組は1990年3月に終了しましたが、最終回の日は所用で東京を離れていたので、聴くことができませんでした。


ちなみに、三宅さんは2017年夏に偶然東京駅で見かけたことがあります。乗ろうとしたエレベーターから三宅さんと数人が降りて来られました。声をかける間もない本当に一瞬でしたが、そのときの感想は「ああ、本物だ…」でした。


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