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年をとるということ


いつの頃からか「年を重ねる」という表現が多くみられるようになった。

「年をとった」といって前後の文脈にネガティブな含みを持たせた表現をする人が多く、「年をとる」という言い方は敬遠されがちのようだ。

そこで、しばらくの間、他人(ひと)の言葉に耳を傾け、この二つの表現を比べてみた。 どうやら、「年を重ねる」は良い面を表し、「年を取る」は悪い面を表すと、使い分けている人が多いようだ。

しかし、本当にそうなのだろうか? この二つの表現は、良いと悪いで区別できるものなのだろうか?

年齢というものを「金貨がたくさん積み上げられた状況」という喩えにして考えてみよう。

金貨を積み上げ、一枚一枚重ねていくように年を重ねていく。 高く積みあがった金貨が自分の実績であるとしたら、高ければ高いほど、誇らしい気持ちになるだろう。 なるほど「年を重ねる」という表現に良い意味を見出す人の気持ちにも肯ける。

一方で、年をとるというのを「金貨をとる」と考えるとしたら、これはいったいどういうことなのだろうか?

実は、「年をとる」という言葉の語源は、稲穂を刈り取るが由来なのだそうだ。 稲穂が稔る時間を年(とし)と考えて、「年をとる」というようになったとか。

つまり「稲穂を刈り取る」の取るが、年をとるの語源なのだ。

「金貨をとる」に喩えるなら、一年間、必死で働いた成果としての実りである金貨を獲得したことだといってよいだろう。

命を長らえることが今ほど容易ではなく、必死に生きていた時代には、年の積み重ねよりは、目先の一年に目が行きやすかったのだ。

普段は「年をとる」という表現を使い、長生きしてようやく「齢(よわい)を重ねる」といった表現を使い、「生きてきた年月の重み」に想いを馳せるなどしたのだろう。

現代は、日々生きていて当たり前の時代であり、「来年の誕生日が来ないかも」といった気持ちになることは少ないのだろうが。

「目先の一年を獲得することなんて大したことではない」と思えたとしても、年に一度の誕生日くらいは「年をとった」ことを誇りに思ってみてはどうだろうか。