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花の咲いた雑草には魔力がある

見た目で人を判断してはいけない。

この言葉を知ってはいても、やはり見た目は大事。

そう思いたくなる出来事がありました。

芝生に生える雑草は、問答無用で引き抜かれる宿命です。それが我が家の決まり事。雑草LOVERだとしても、芝生の雑草は抜き取られる宿命なのです。

ところが、ある朝、芝生の中にニワゼキショウの可憐な花を見つけ、私の態度は一変しました。

なんとも可愛らしい姿を写真に撮って残そうとミラーレスカメラを持ちだしたのです。

来る日も来る日も、芝生に芽吹く雑草たちとの根競べ。そんな毎日の中であっても、花の咲く雑草はあきらかに別格の扱いを受けます。

自分でやっておいて「扱いを受けます」と他人ごとのようにいうとは何事かと思われるかもしれません。

ですが、これは「自分の意志と関わりのない何かが作用してるのでは?」と思うほど「抗えない何か」を感じ、特別扱いをしてしまうのでした。

可憐な花を咲かせる雑草には、魔力が宿るように思います。ニワゼキショウそのものというよりは、その「花」に威力があると思えるのです。

花が咲く前のニワゼキショウならば、私は、問答無用で抜き取とります。

けれども、一旦花を咲かせると別格扱いです。

写真を撮られたり、丁寧に周りの芝生をかき分けてから雑草として抜かれ、そして、雑草コレクションの植木鉢へと住まいを移されます。

「花がある」とか、「番茶も出花」とか、「花」という言葉に特別な意味を持たせた表現もあります。おそらく、花の威力を感じたのは私だけではないのでしょう。

花に魔力を感じたとしても、花は花、人は人。

「やっぱり人は見た目じゃない」と思いたいのですが、実際、「花のある人」に出会ったときに、その魔力に抗えるでしょうか。

「見た目で人を判断してはいけない」というのは、「花のある人には問答無用で抗えない何かを感じ取ってしまう」ことを自覚して自らを律するようにという教訓なのかもしれませんね。