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「忙しさ」のメリット

「忙しさ」というと、デメリットの印象が強い。

「儲かりまっか―?」の類似系として、忙しくて商売が繁盛しているという含みもあったりする。だから、必ずしもデメリットばかりではないのだが、やはり、大筋では「忙しくて大変だな」という印象だろう。

実際、私自身、どうしようもなく忙しい毎日が続いている。忙しいにも関わらず、プライベートな楽しみのために旅行などしてしまったため、現在進行形で毎日がテンヤワンヤだ。

正直、この調子でいったいいつまで身体が持つだろうかというくらいである。

しかしながら、この忙しい流れで、ふと「忙しさ」のメリットに気がついてしまった。

普段から、あれもこれもと抜かりなく遂行できるように気を配り、予定を立て、それに従って行動している。だが、忙しさに負けて、ここのところ、どうしても「抜け」がでてしまっている。

その抜けをミスととるか、それとも、それほど重要じゃなかったからだなととるか。その辺の判断で賛否あるだろうが、私の場合、今のところ、それほど重要じゃないことに関して「抜け」が生じてきている。

つまり、忙しくなければ実行していたであろうことを実行できずにいるのだが、それは必然であったと思えているということだ。

実行に移せなかったことは。「これこれに関してやりますよ」と宣言してたことではない。だから、私にとっての抜けは、実質「存在しない抜け」である。

誰にも迷惑をかけていない。だったら、それはそれでよいのではと思うのだ。

やるつもりであったが、やれなかった「抜け」は、それをやったら少しは誰かの役に立つかも知れない程度のSNS発信であったり、メール連絡であったり、そういう程度のこと。

そんなことに気を配ってる暇がないくらい多忙な今だから、それでいい。

「忙しさ」のおかげで、日常におけるプラスアルファの活動がそぎ落とされていく。おそらくは人間関係も、多忙の極みの中で整理整頓されていくのだろう。

そうやって、多忙な時期を乗り越えて行けば、本当に自分にとって大切なものが残るハズ。自分への負担が少なく、かつ、無理なく「大切にできるもの」だけが残っていくのだろう。

今度の年越しから年賀状を廃止しているため、これまでになく時間にゆとりがあると思っていたのだが、それは幻想のようだ。

まだまだ加速しながら年末へと向かってダッシュしていく。

自分が無理なく「大切にできるもの」だけが手元に残ると信じて、駆け抜けていこう。

「忙しさ」のメリットを最大限いかしつつ。