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憎しみと愛しさの間で揺れるこころ

落とし主は誰か分からない。そういうモノの扱いは種々様々である。

我が家の庭にも日々落とされていく。芝生に猫の糞が落とされていくのだ。

糞の様子から判断して、数匹の猫が「脱糞合戦」でもしているかのよう。数匹の猫が代わる代わる糞を落としていくようだ。



「出物腫物ところ選ばず」というよりは、わざわざ来ました風なのが癪(しゃく)に障る。猫に対して腹立たしい気持ちになることも多い。

芝生のすぐ脇にある「土」の部分にしてくれたらよいものを、わざわざ芝の上で用を足すとはどのような心理状況なのだろうか。

猫のことながら、その気持ちを考えてしまう。

おそらくは「芝の上で用を足すことが気持ちよいから」というシンプルな理由なのだろうが。それにしても、ここ数日、連続で猫の糞を掃除していると憎しみがこみ上げてしまうのだ。



一度だけ「初見の猫」が用を足していくのを目撃したことがある。

それだけこの芝生は人気なのかもしれない。

『モフモフの芝生で「スッキリ!」と叫ぶ!』という伝承が猫の間で流行しているのではないかとさえ思う。この芝生に憧れを抱いて猫は遠路はるばるやってきたのかもしれない!

私の中で延々と妄想は膨らむ。

そして、ワケの分からない喜びが湧き出てきてしまうのだ。

「猫界隈で最高のトイレ!と人気の芝生」というキャチコピーまで浮かべてしまった。

しばし別世界でクダラナイ妄想に浸った後、猫糞の臭いで現実に戻される。

猫好きであるからこそ、憎しみと愛しさの間で気持ちが揺れるのだ。



猫の糞にはたくさんの情報が含まれている。どのようなモノを食べているのか、体調はどうか、猫の様子を間接的に観察することが可能だ。

おそらく同一の猫ではないかと思うのだが、血が混じった糞をする猫がいる。正直なところ、その糞の主に対しては、心配しかない。

憎しみは感じる。腹も立つし、糞を見つけた瞬間はガッカリする。だが、病体から排出されたらしい糞を見つけると、どの猫が落としていったのかと気になってしまうのだ。

回虫をお腹に抱えているのか?それとも悪いモノでも食べたのか?伝染性の腸炎だったりしたら、大ごとなのでは?

見ず知らずの猫のことを思い、心配してしまう。

結局は愛なのか?

それは愛なのか?

憎しみと愛しさの間で、名前をつけられないこの気持ち。

葛藤を抱えながら、今日も芝生の手入れをしている。