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父と私とジャイアンツ

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2019年6月に他界した実父との回顧録です。
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#母

理想の夫婦像は「永遠の片思い」

夫婦円満という言葉から、どのようなことを想像するだろうか? いつも仲良く、ニコニコと笑顔の絶えない家庭。お互いの欠点も認めつつ支えあっている夫婦。時には喧嘩をすることがあっても、大きな亀裂を生むほどではない。 おおよそ、このようなものではないだろうか? ◇ 一方、夫婦の形の原型というものは、身近なお手本として「両親」の夫婦関係に影響を受けるとも聞く。 極端な例だと、自分の異性親と似ている人を選ぶということもあるそうだ。 似ている人を選ぶ人がどうかは別として、身近な

親元を離れて「生きる」ということ

懐かしいほど昔ではないが、新しいほどの記憶でもない。 亡き父と過ごした時間は、心の中で変化していくのだろうか。 偲びて弔う気持ちとは、そういうコトなのかもしれない。 父が他界してから1年が過ぎようとしている。 ◇ 「お父さんが倒れた。帰ってきて。」という電話を受けて急ぎ実家へと向かおうとした。今から約1年前のことだ。 午後の3時頃のことだった。 子どもらは実家へと向かうことになるのだが、きょうだい3人のうち私だけは翌朝の始発便で実家へと向かうことになった。その日

音楽のちから。「明日の翼」とともに

いつもは使わない「JAL便」での移動が重なった。 今月のはじめ、2週間ほどの間に「JAL便」4回の搭乗。それ以来、耳の奥で、「明日の翼」が流れ続けている。 「明日の翼」とは、JALの搭乗者のために到着時に機内に流れる音楽で、作曲は久石譲氏。 この曲は、私の感情を揺さぶる。 「喜怒哀楽の全てが同時にあふれ出る」のだ。 ここのところ身体的に過酷なだけでなく、精神的にもキツイ時間が続いていた。喜怒哀楽が目まぐるしく入れ替わる。そのこころを抑えながら対外的には平静を装ってき

親として働く姿を見せること

母とゆっくり過ごすのはこれが最後になるかもしれないという気持ちで時間を過ごした。6泊7日という里帰りは、この先2度とないだろうと思ったからだ。 私が子どもの頃は大変貧しかった。父と母は努力を重ねて運を味方につけ、劇的な脱貧困を成し遂げている。 親が貧困だと子どもも貧困になる「貧困の連鎖」という話を聞く。事実そうかもしれない。けれども、我が家に限ってはそうならなかった。 理由を一言で説明するのは難しい。いろいろな要素が複雑に絡み合っていることは確かなのだが、周りの引き立て