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父と私とジャイアンツ

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2019年6月に他界した実父との回顧録です。
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2019年12月の記事一覧

音楽のちから。「明日の翼」とともに

いつもは使わない「JAL便」での移動が重なった。 今月のはじめ、2週間ほどの間に「JAL便」4回の搭乗。それ以来、耳の奥で、「明日の翼」が流れ続けている。 「明日の翼」とは、JALの搭乗者のために到着時に機内に流れる音楽で、作曲は久石譲氏。 この曲は、私の感情を揺さぶる。 「喜怒哀楽の全てが同時にあふれ出る」のだ。 ここのところ身体的に過酷なだけでなく、精神的にもキツイ時間が続いていた。喜怒哀楽が目まぐるしく入れ替わる。そのこころを抑えながら対外的には平静を装ってき

富士山は見えたか?

実家に帰省するたびに、父は私に聞いてきた、 「飛行機から富士山は見えたか?」 私が、 「うん、見えたよ。きれいに見えた!」 と報告すると、 「おぉぉ!きっといいことがあるよ」 と笑顔で返してくれた。 それは、私が実家を出て以来、30年近くも続いてきたことだったが、「いいことがある根拠」について父との会話で話題にしたことはない。 実際、何かいいことがあるという根拠があるというわけではないだろう。 おそらくは、いいことがありそうな予感がするねという程度の、見えた

世のため人のため

イマドキの世情として受け入れられないことは承知している。 しかしながら「世のため人のため」は父の座右の銘であった。 ◇ 父は、私生児としてこの世に生を受ける。 大正生まれの祖母、即ち父の母親が未婚の母となるのを覚悟で生んでくれたということ自体に大変な恩義を感じた父が「世のため人のため」を座右の銘としたことは、ごく自然のなりゆきだったのだろう。 ◇ 「闇に葬られても仕方のない命だった」と自らを称し、世のため人のためを全力で体現した父の人生。 その苦しみや悲しみを理