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父と私とジャイアンツ

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2019年6月に他界した実父との回顧録です。
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2019年11月の記事一覧

父と私と「4万円」

飛行機に乗るというタイミングになると父のことを思い出す。 それは、私が身なりにほとんど構わなかった頃。 いや、今もそれほど構うわけではないのだが、今よりももっと身なりに構わなかった時期がある。 当時は、十分にお金がないということもあり、身なりに構うコト自体に抵抗があった。着ているものが清潔でさえあればよいという考えだったので、どこへいくのも同じ服装。飛行機に乗るときも、近所に買い物へいくときも、同じ服装だった。 あるとき、実家に帰ったときのこと。 いつもは、羽田へと

晴れの日に傘を買う

父は格言的な謎かけ的な不思議なことをいう人だった。 その父が他界して半年足らず。悲しみが少し癒えてきたからか、近頃、父の言葉をよく思い出す。 「傘は雨の日ではなく、晴れの日に買うものだ」 この話を聞いたのは、いつ頃だっただろうか? 父が師匠と仰ぐ方から教えられた考え方なのだそうだが、人生が順調な時に不測の事態への「備え」をしておくべきだという意味合いであったと思う。 実際には雨の日だって傘を買うことはできる。だが、傘を買いに行くまでに濡れてしまう。 雨に濡れずにと

一瞬一瞬が「一期一会」

首里城が焼失した。 そのニュースに胸を痛めたのは私だけではないだろう。 私には胸を痛めるだけではない、特別残念な思いがある。 私が初めて沖縄を訪問したのは、1972年の4月。日本に返還される直前のことだ。 車は右側通行で、左側通行になってもすぐに対応できるよう、左側通行の道路標識に右側通行対応の標識のカバーをかけてあった。道路を戦車が横断するときには、信号機など関係なく観光バスは停止して道を譲る。 観光客として関わる場所では日本語が通じる。それなのにここは外国みたい