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一瞬一瞬が「一期一会」

首里城が焼失した。

そのニュースに胸を痛めたのは私だけではないだろう。

私には胸を痛めるだけではない、特別残念な思いがある。

私が初めて沖縄を訪問したのは、1972年の4月。日本に返還される直前のことだ。

車は右側通行で、左側通行になってもすぐに対応できるよう、左側通行の道路標識に右側通行対応の標識のカバーをかけてあった。道路を戦車が横断するときには、信号機など関係なく観光バスは停止して道を譲る。

観光客として関わる場所では日本語が通じる。それなのにここは外国みたいだと思った。そして、自分と同じ日本人たちが、このような中で生活をしていることに子どもながらにショックを受けたのだ。

父は、子育てに関してユニークな考えを持っていた。

ホンモノを見せることが最良の教育。そこから何を感じるか、そこから何を得られるかは子どもの受け止める力にかかっているが、それはどうにもできない。その考えがあったから、何か珍しいもの、今この瞬間にしか見られないものを見せることに尽力してくれた。

その一環として、日本に返還される前の沖縄へ連れていかれたのだが、父の考えは、沖縄の件については大成功だったと思う。

「返還前の沖縄に行ったことがある」というのは決して多数派ではないと思うし、そのレアな体験から沖縄は特別な場所となった。

それ以来、沖縄には特別な関心を持つようになったのだ。

◇◇◇

昨年、夫と一緒に沖縄を訪れた。

実は、昨年の旅は、私にとっては首里城が復元されてから、初めての沖縄訪問であったのだが、首里城にはいかなかったのだ。

首里城のほんの近くまでいったにも関わらず足を運ばなかった。

首里城には「またいつでも来られる」と思ったから。

他にいきたいところがあったからといえばそれまでだ。確かに充実した時間を過ごせたし、あのときはそれが最良だと思っていたのだから仕方ない側面もあるのだが、あまりにもあっさりと「また次があるから」と思った自分を今は残念に思う。

人生はいつまでも続く。何もかもが全て永遠。

そんなことを思う自分ではないと思っていたが、漠然と「自分以外の存在」はいつまでも続くような気がしていた。

だが、そうではないのだ。

一瞬一瞬が「一期一会」。

この悔しさを胸に刻み生きていきたい。