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#ソシャゲの話をしよう。「リソース変換という遊び」

かつて多くのソシャゲのシステムの骨子はリソース変換ゲームであった。
隙間時間をゲーム時間に、ゲームできない時間をスタミナ回復に、そうして生まれたリソースをより上位のものに交換するという遊びだ。

ソシャゲの楽しさは「無から有を得る快感」が要だ。誰だって300円が1万円に変わったら嬉しい。当然嬉しい。宝くじと同じ理論である。嬉しくないはずがない。
こつこつ貯めたログインボーナスが、ガチャというギミックを介して、ある瞬間とても価値のあるものに変わる。
このときの脳の快楽報酬系は、これをとても強力な快感と錯覚する。

ガチャというギミックと先述したが、これは常設の遊びやイベントにも当てはまる。
要は、無価値だったものが価値あるものに交換できるというシステムがあれば、ひとつの遊びとして成立する。
故にここさえ押さえておけば、かつてのポチポチゲーと揶揄されるタイトルも、収益を生み出しビジネスとして成り立っていた。

さて、パズドラあたりを皮切りに、いわゆる「ゲームらしいインゲームのソシャゲ」が増加した。
これは単純にハードの高性能化もあるだろうが、交換するものにより"高い価値"をつけるためには必然的な進化だったのだろうと考えられる。

要は、「インゲーム内で強いもの」「ビジュアルの映えるもの」「物語などの付加価値のあるもの」が、他プレイヤーの羨望のまなざしというエッセンスを付与され、価値あるものとしてその地位を確固たるものにしたのだ。

ここでひとつ、運営をする上でのトラップが発生する。
先述した「無から有を得る快感」を発生させるためのバランス設計と、後述の「インゲーム内で価値あるもの」を成立させるためのバランス設計が混在することだ。
運営の設計担当がここを見誤ると、コンテンツとして大きなトラブルが生じる。

ユーザーは当然「インゲーム内で価値のあるもの」を求めてゲームをする。
ここで「リソースが足りない」という意見が出るが、それは当然だ。
そもそも、不足しがちなリソースをやりくりして、より上位のものに交換することがおもしろさの根源だからだ。

しかし、インゲームのバランスが上級者・課金者を前提としたものだったらどうだろう。
その場合、本来苦労してやりくりするはずのリソースが、インゲームを成立させるためにばらまかれることになる。
ゲーム内通貨・経験値素材・進化素材などがそれにあたるだろう。

インゲームを盛り上げるために難易度を吊り上げ、それをクリアするためにリソースをばらまく。
これはインゲームをメインとして考えるのであれば当然の流れだが、リソース変換の「無から有を得る快感」は無くなる。
リソースが潤沢であれば、無から有を得るという前提がそもそも無くなるからだ。

本来インゲームの難易度は"安易に上げてはいけない"。
それはコンテンツ全体のバランスを崩し、長期的なサイクルで目指す「無から有を得る快感」の仕組みを破壊するからだ。
目先の利益を得ようとガチャの仕組みに頼ると、こういった状況に陥りやすい。

そもそもソシャゲは長期的に遊んでくれるユーザーを大量に確保することで、低いコストで売り上げを担保する仕組みだ。
売り上げが悪いからといって、突発的な施策やイベントで売り上げが確保できるものでは、本来ない。

難易度がインフレし、コンテンツ内のリソースの価値が無くなり、長期的なリソース変換の遊びが崩壊すれば、あとに待っているのは「高ステータスのキャラクターをガチャで出す→その価値を担保するために難易度を上げる」の悪循環だ。

仕組みが崩壊し、そのサイクルに入ってしまったが最後、よほど大きくメスをいれなければコンテンツの寿命は縮まる一方となる。
本来魅力であった性能の高さやビジュアルのよさや物語などの付加価値は、寿命を少しでも延ばすための誤魔化しとしか機能しなくなる。

まだ記憶に新しい、この間のブルーアーカイブのヤケクソ補填は、この構造問題を如実に表している。(※知らない人は申し訳ないが各自調べてほしい)

もし報酬内容をメンテ前のまま出していたら、一時的な売り上げは見込めるが、確実にサイクルのバランスを崩し、インフレの加速を呼んだだろう。
決して少額でない量の補填をし、ことを納めたプロデューサーの判断は英断だったと言わざるを得ない。

繰り返すが、ソシャゲの根源的な構造は「無から有を得る快感」である。
幾多のコンテンツが次々とサービス終了になっているが、ここをしっかりと理解した上で運営していたコンテンツはどれほどあっただろうか。

今もサービスを続けている未来あるコンテンツの運営と、これから新規でサービスの立ち上げを行う運営には、ぜひともご一読いただきたい。

今日僕から言いたいことは以上です。

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