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「シェア」をする時の想い #シェアめぐり

 

先日、あきらとさんからこちらの記事でご指名をいただきました。

ちなみに、ぼくが頼りにしているシェア手のみなさま、よろしければあなたの #シェめぐり 教えてください!
(あ、本当に忙しくなければ…よろしければ…ね…? 嬉しいな〜読めると…)

 ”頼りにしている”だって(〃▽〃)ポッ
こう書かれちゃ、書くしかない、だって嬉しすぎるから。

 ということで、簡単ではありますが、シェアについて今日は考えてみたいと思います。


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 シェアをクリックする時、思っていることはまずひとつ。

 このnoteを、広めたい。沢山の人の目に触れるようにしたい。

 この気持ちがとても強いと思います。エッセイだったり小説だったり、それは様々です。初めて読んだ方の記事だと、シェアするのにちょっと勇気が要ったりもします。初めましてなのに、コメントもなしでシェアして、不快に思われたりしないかしらと不安になったりします。

 でも、わたしがシェアすることで、誰かの心に響くかもしれない。

 …そこまで壮大に考えているわけではないし、わたし自身がシェアすることの影響力なんてないでしょう。それを横に置いておいて、シェアしたくなる。そんな記事に出会った時、シェアをさせていただいています。


 もうひとつ、シェアする時に想っていること。

 それは、コメントとは違う形で読んだことを残しておきたいという思いです。

 書き手様の視点で書かれた文章に失礼がないように、その上で、コメントとは違う言葉で、自分の感じたことを残しておきたいという気持ちです。メンションがつくことで(シェアする時はメンション外さないようにしています、自分に置き換えた時、シェアされたら嬉しいからという私事理由で(笑))書き手様にもそれが届きます。「残す」が「伝える」にもなる。

 noteがエッセイの場合は、”わたしはこうだった”というようなことを書く時もあるし、”ここにすごく共感した”と引用させていただいた上で書き残すこともあります。引用だけというのはできるだけしないようにしていて、「この文章がこんな風にわたしには響いたんです」ということを残したいし、コメントではないけれど伝わったら…なんて思っています。(とか何とか丁寧な言葉を使って書いていますが、「好き!」を伝えたいだけの時もあります。「スキ」1回押しただけじゃ足りない、この好き熱をどうしても伝えたい…!みたいな(笑))


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 改めてシェアについて考えると、エッセイでも小説でも、書き手様に失礼がないようにというのはやはり第一に考えますね。恐らく、noteに身を置く誰もが考えていることだと思います。寄り添い方が自分勝手になりすぎないようにとか、コメントと同じような言葉の選び方があります。

 …いや、ある種、コメントよりも言葉を選ぶかも。140文字という制限もあるし、長すぎない言葉で感じたことを帯にして、このnoteがより誰かの目に触れるようにと願う。そんな気持ちを持っているんだと思います。


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 あおやぎわかこさん、改めてシェアについて考えるきっかけを下さって、ありがとうございました。ともすれば癖になってしまいがちな「スキ」や「シェア」について、どういう想いで自分が向き合っているのかを確認するのって大切なことですね。





2020/4/26

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