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挨拶 こうしてセテラは誕生しました

映画配給会社という仕事を始めたのは、本当に偶然でした。セテラを作って32年になりますが、今でもまだ映画配給会社って、何するの?ということをよく聞かれます。私も自分がこの仕事をするまで意識することなく映画を見ていましたし、はっきり言ってそういう仕事を自分もできるということは思いもしませんでした。

この世界に入ったのは偶然で、生きた英語を使えて海外と交流できる仕事が何かしたい、と思ってちょうど見つけて入ったのがタムトという小さな映像輸入会社でした。商社などに入って海外から缶詰を輸入するよりも、映像のほうが面白そうだから、というのが単純な理由でした。私が入った当時はMTV全盛時代でビデオテープが出始めて、レンタルビデオ全盛の頃でした。その会社に試験を受けて入れたことがその後の私の人生を決めました。なので、タムトのH社長は私の人生の大事な恩人なのです。そこで、映像の買い付けのノウハウを学び、国際映画祭に連れて行ってもらい、海外の映画人と交流を持つことを知り、映像の輸入や国内の配給のこと、契約のことも丁寧に一から教えてもらいました。仕事が面白くて楽しくて、与えられた仕事以外にもどんどん自分で考えて120%仕事に没頭していたように思います。

その頃に映画雑誌でジェラール・フィリップという俳優を見つけました。なんて美しい人だろう・・・と、一目惚れしてしまいましたが、彼は私が生まれる前の1959年に36歳の若さでこの世を去ったフランスの伝説的名優ということを知りました。ビデオで見られるジェラールの映画はすべて見ましたが、出ていなくて見られないものもいくつかありました。それなら権利を買ってきて出せば見られるんだと思い、見たかった映画の権利を探して取得し、日本での発売会社も見つけました。そしてタムトを2年半で卒業して、ジェラール・フィリップの映画祭をしたり好きな映画を自由に買い付けできる環境を・・と思って配給会社を作りました。平成元年26歳の時でした。幸いとても理解のある父がずっと応援してくれて、資金的支援だけでなく映画の感想や、邦題やポスターデザインの感想までいつも会社の心配をしてくれていて、それは平成の最後の年まで続きました。

映画の権利を買ってきて日本で配給する、それは刺激的な仕事だと思います。映画は、一つ一つが違い生き物です。その映画の配給の仕方次第で、作品が色々な形で、世界の国々に紹介されます。日本での配給も毎回作品が違えばやり方も宣伝も違います。その映画を生かすも殺すもある意味配給の仕事次第だと思っています。配給の仕事は感性の仕事だと思いますし、クリエイティブだと思います。ですから、30年やっても好きな映画との出会いがある限り飽きないのです。次回には、その中から今回のセテラの見放題パックの映画の概要をお話ししますね。

セテラ・インターナショナル 山中陽子


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