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セテラ作品の思い出③『マーラー 君に捧げるアダージョ』(その1)

グスタフ・マーラーという音楽家について、マーラーって何者?誰?という人に対してもわかるようにマーラーのことを書こうと思いますが、既に私はかなりクラシック音楽に詳しく自分がとても好きなので、さて、どうやってマーラーを知らない人にマーラーを紹介したらいいんだろう、と悩むわけです。そこで、そういえば昔同じようなことを何度か考えたことを思い出しました。

それは、偶然にも今日5月18日はマーラーの命日ですから、今日と明日はマーラーと、この映画の思い出を書きたいと思います。

1995年に初めてセテラでジェラール・フィリップ映画祭をした時の宣伝文句に、ジェラール・フィリップのことを知っているのは当時1940~50年代の欧州映画ファンだから、限られた人しかいない、だから、わかりやすい例を宣伝文句にしよう、と思って考えたのが、

アメリカにはジェームズ・ディーンがいて、日本には市川雷蔵がいたように、フランスには彼がいた”というコピーだったのです。これは、つまり三人ともに“夭逝の伝説的なスター”という共通点があったので、こう説明してみたのです。

これには色々意見を言う人もいて、市川雷蔵と比べたらフィリップが可哀想だ、なんて言った人もいたので人の主観だから仕方ない・・と比較する例は難しいな、と思ったのでした。

しかしその後、また似たようなことをやっていました。私が敬愛してやまないフランスの17世紀の劇作家モリエール。彼の若き日の冒険を空想を交えて描いた映画『モリエール 恋こそ喜劇』(2007年)を配給したときにも、

イギリスにはシェイクスピアが、フランスにはモリエールがいた”を、宣伝文句にしました。 ほとんど誰も日本では知らないだろうし、読まれていないであろうモリエールをどうしたら、わかりやすく伝えられるか。そこで、イギリスの演劇の神様、フランスの演劇の神様はモリエールだから、これはわかりやすい比較かな、と思います。

そして、マーラーの映画『マーラー 君に捧げるアダージョ』を宣伝した時には、もう比較するのはやめました。マーラーと比較できる音楽家はいないし、彼はクラシック音楽界でも唯一無二の“最強のマーラー”だからです。その音楽はほかに比べる音楽がないほどに、クラシック界でも孤高の存在のように私は思います。実はマーラーに関しては評論家や解説者の人にあまりにも詳しい専門家の方が多いので生半可なことが書けませんが、この映画を買い付けした時に、あまりにもマーラーに思い入れのある人が音楽業界に多くて驚きました。マーラー関係の書物も映画の公開に前後して10くらい新たに出ましたし、この映画を初めて見てもらった時にマーラーの愛好家である音楽関係者に大絶賛されて本当に多くの方が熱心に語って応援してくださいました。昔から作曲家の人生を描くような伝記映画は数多くありますが、この映画はそんな次元を超えた究極の音楽映画とまで言われました。その理由はいくつかありますが、詳しいこの映画の話は明日に回したいと思います。

山中陽子

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