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詩作2024年6月2日

『神無月の頃』


「自分が理解したと思っていたのに何も理解していなかったことに気付く時、
<よし、それならばまた最初からやるだけだ> と言うには気力と体力がある程度必要だろう。
避けることのできない愚かさは宿命的であり、
同じことを繰り返すことの鈍さは最早生物学的でさえあるという見える地雷を勢いよく踏み抜く者は、やはりそれが見えていないのだ」


図書館の閲覧室でページをめくっていた本には
そんな言葉がその裏に書かれたレシートが挟まっていた。

図書館の静けさは独特なものだ。
電話やとりとめのない会話で自意識過剰になりながら声を発する者もいなければ
新聞を何度も折り畳んではひっくり返し、何度も銀色のスプーンで金属音を立てながら
コーヒーをかき混ぜる純喫茶の客のような者は見当たらない。
つまり、そこは音を出してはいけない空間だからなのだ



歩きながら建物と建物の間の夜空に見え隠れする欠けた月を視線で追うーーある一定の大きさの。
いつか役に立つだろうと思った経験は役に立つ幸運もないまま
地層のごとく積み重なる。しかも重力が働きながらーー



「あらゆるシーンで利用可能な高エネルギー効率の動力機関が、今ならなんと特別価格でお買い求めいただけます。そして今なら先着100名様に持ち運び便利なエネルギーパックを3個無料でお付けいたします」

TVショッピングの司会者が過剰なまでに滑舌の良い口調でそう言った。
まるで世界の真実の一部を今、この瞬間だけ開示するかのような
確信と自信に溢れた声音

幸運に身を委ねるようにランダムに私はテレビチャンネルを変えた

「世界にも各人の生にもある特定の規範というものは実は無いんですね
その規範があると信じるが故に人は
<こうあるべきだ、こうならないのはおかしい>と言うことになるんです
裏を返せばその規範こそが文化であり、文明なのかもしれませんが
最終的に文化も文明も自家撞着を引き起こすのが定めなのでしょう」

ディスプレイの中では中年男性が疲れ切った表情を浮かべながらそう語っていた。
額に刻まれた深い皺は活発な表情筋によるものか、あるいは深い苦悩の反映なのかとふと疑った



世間には都市伝説というものがある。
人生においてはある時、「約束の場所」へ行くツアーの案内パンフレットが差出人不明のまま郵便物として届くことがあるという
一体どんな約束を誰と交わしたのか曖昧なまま
その「約束の場所」が何処なのか、どんな風景が広がり、どんな匂いがするのかーーそんなとりとめのない脳内イメージさえ思い浮かべる想像力さえ揮発してしまった頃にそのツアーへの参加案内状が届けられるという、そんな都市伝説が巷の一部には存在しているという



人は絶望した時にどんなことをしがちになってしまうものなのだろう?
例えば道端に落ちていた唐揚げを思わず食べてしまうとか
ラッシュアワーのターミナル駅の出口から吐き出されている人の濁流に抗いながら
逆に進もうとするような極めて無茶な衝動をーー?

接続状況の悪いワイヤレスイヤホンから途切れ途切れに聞こえてくるひと続きのメロディ。
どこかで聞いたことのあるはずのその韻律
あたかも昨日までは確実にその曲名を知っていたにもかかわらず
今この瞬間、その記憶が見事にどこかへと吹き飛んでしまったかのような刹那ーー



言葉を尽くして説明したとして、それでも説明できないことに
無力感から人は口を閉じることもある。
一方で沈黙が居心地が良いから受付の電話に一切出ないで受付ブースで一日を過ごしていた者のことも思い出す

「流れゆくものは流されてゆくままに任せよ
流されて困るものについては石を積み上げるかのように慎重に選択せよ
ただし、その間にも分け隔てなく流れ流されてゆく物事の有り様を目にしっかりとどどめよ」

辿り着いた海岸にはそんなフレーズが彫られた石碑が立っていた

その海岸で何を考えるかーー
あるいは何も考える必要はないのかーー?
その気になれば人は常に自由であることを感じることができるという。
そしてまた、宇宙の開闢以来この世は神無月の季節なのだと呟く者もいるという


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