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【D♭ major】で、音楽経験ゼロだった高校生が必死に声楽を勉強して40歳になってトスティ風のイタリア歌曲を作った話 「La cannella d'amore(愛のシナモン)」

https://youtu.be/zDBP3ICaIcg

ついに…この曲まで来た…
24曲のうちに必ず避けては通れんと思っていた曲の一つだったので、こうして発表できることがまず嬉しいっす。



わたくしの音楽修行期その1

オレはまじで高校生まで楽譜が読めなかった。
ピアノの鍵盤もどれがドかもわからなかった。
40になった今でもそのわからなさは記憶に残っておる。

そんなオレがなぜ今このような人生を送っているのか…
それは輝かしいティーン時代まで遡る。
いろいろあって県内でも名のある合唱部のある高校に進学し(楽譜も読めんのに)、希望をもって合唱部の扉を叩いた(楽譜も読めんのに)。
そして初めての合唱祭、初めてのコンクールなどの経験を経て(まだ余裕で楽譜は読めない)、秋。
顧問の恩師から、「音楽系の大学へ進学を希望する者はいるか?」
オレは根拠もなく即決した(楽譜も読めんのに)。
「お前ピアノは弾けるんか?」
「ドがどこかわかんないっす」
「今すぐYAMAHAに行け!!!!!」

これは実話である。
そんなこんなでオレは高1の冬に初めてまともにピアノに触った。
小さい子の「ぴあのきょうしつ」みたいな横開きのどら音符のでかい片手の練習からのスタート。それでもむずい。
指が動かん。
右手もむずいのに左手はもっと動かんかった。
YAMAHAの先生もこんな大人に近いオレを根気強く見てくださった。
全然できんくせにろくに練習もせんとレッスンに行ってごめんなさい。
当時からピアノの練習は本当に嫌いだった。
センスがないのはすぐにわかった。正しく弾くということが本当にできなかった。
自分には機械めいた動きができないのだと17歳で気付いた。

そして高2の春。
運命が訪れた。
ソルフェージュ、声楽、楽典…
聞いたこともない言葉を同時にド素人に仕込んでくださるスーパー物好きな大師匠が現れた!(なんちゅー言い草だ)
まずソルフェージュとは。
簡単に言うと、いきなり見たこともないメロディー譜を渡され、正確に歌うこと。
そんな超人めいた特殊能力をもった人間がこの世にいるのかと思った。
声楽とは。
まあ簡単にいうとオペラみたいにバカでかい声で響きのある歌を歌うジャンルである。
そして最後に楽典とは。
要は(西洋)音楽の教科書である。
みなさんも小学校などでmpやらfやらクレッシェンドやらを習ったと思う。
そういう知識をさらに奥の奥まで突っ込んだ学習である。
当然、当時のオレも中卒レベルの知識しかなかった(当然楽譜はまだ読めない)。

そんな状態の加悦くん(17歳)がどのように教育大(音楽科)に現役合格して教師の道に進んだか…
全国民待望の物語が今スタートする!!

ブレイクタイム

オレはシナモン揚げパンが好きである。
名古屋の給食には出なかった。
就職して郊外の町で給食をいただき、初めてシナモン揚げパンをいただいた。
最強にうまかった。
まずロールパンがでかい。
子どもの腕ぐらいあるんじゃねーかってサイズのが出てくる。
それにシナモンの黄金の粉がこれでもかとかかっている。
職員室などで余って、児童が下校した後などにいただくこともあり、大変心癒されたものである。

そして東京へ移って早一年。
スーパーのオリジナルパンの並びにツイストシナモン揚げパンを見かけ、その味を思い出し、仕事の後に食べるのが最近の癒しである(しかし最近店頭に並ぶことがなくなってきた…)
そんなこんなでこの大都会東京でシナモン揚げパンはどこで買えるんだと調べに調べたが、とにかく少ない。
なぜだ。
揚げパンは国民食ではないのか。
食材高騰の影響でシナモンの物価が天井を破ったか。
それともそもそもシナモン揚げパンは売れ行きがないのか。
実際MV用に購入しようと思ったが結局手に入れられず、ほぼフリー素材という有様になってしまった。
情報求む…です。

音楽修行期(声楽編)

ということで前途多難であろうオレの修行が始まった(23年前)。
最初に、これまで習い事というものをほとんどしてこなかったオレが、初めて自分でやると言い出したものに迷わず金を出してくれた両親に感謝する(23年前)。
ソルフェ、楽典、声楽と総合的に師匠は仕込んでくれた。
まず楽譜が読めなくては話にならないので、コールユーブンゲンという楽典の教科書の、簡単なフレーズから音階を読む練習をした。
全然読めんかった…ラをレと言ってみたり、音符の長さも適当に歌ってみたり…
しかし17歳の力というものはバカにできんもので、数ヶ月も訓練を続けていけば、段々とスムーズに読むことができるようなってくるのである。
家に帰ればマスばかりかいていた17歳だが、その他の力も伸びていくのだと思った。
そして歌のレッスンが基本なので、歌は体で音程を取るものだ。
だから段々と、この音の時はこれぐらいのエネルギーを使うのだと体が覚えてくる。
レはまあまあ高いのでこれぐらいのエネルギーがいる。
ミは高すぎてまだ出ない。
ドはレよりもエネルギーはいらない。
腹で音程を覚えてくる。
するとどうなると思う?
その音の記憶が脳と結びつき、ついには絶対音感が身に付くのである(音楽家を育てたい親御さん、ご参照あれ)。
そう、オレは18歳で絶対音感を手に入れた。

最初に自覚したのは自分の屁の音がファ#だった。
もしかしたらこれは本の題名になるかもしれない。

その過程に至るまで、師匠はオレにいろいろなことを教えてくれた。
歌の技術はもちろん、処世術やステージングなどなど。
自分はバリトンだったので、通常の楽譜を移調して楽譜を作らなければならなかった。
最初は本当に手書き。
大学生になってPCを使うようになってからは楽譜ソフトで移調楽譜を作った。
もう楽典の知識は完璧である。
たくさんのイタリア歌曲やコンコーネ50番、日本歌曲やオペラの曲などを練習させてもらい、教育大に現役合格することができた(センターはボロボロだった)。
師匠には感謝してもし切れないほどの能力を与えてもらった。

楽曲について

フランチェスコ・パオロ・トスティ。
オレはこの作曲家が大好きである。
完全に自然で、ど直球な叙情的メロディライン。
学生はもちろん、パヴァロッティなどの世界的歌手も歌っており、世界中にトスティのファンはいるであろう。

今でも大事に持ってんで。

そんなこともあってこの修行期にイタリア歌曲っぽいものを作りたいという気持ちでこの曲に臨んだ。
とにかくトスティのメロディは無駄がない。
そして次のメロディが、もはや「次はこれしかない」とまで思わせる説得力のあるものが連続している。
この世界に到達するには付け焼き刃ではどうにもならないのであるが、少しばかり「La Serenata」の展開を拝借させていただいてメロディを書いた。
彼の歌詞はイタリアの詩人の作品が多く、ほとんどは恋愛ソング。
日本語でそんな大仰なものは書けんと1秒で判断し、おじゃる丸の「プリン賛歌」よろしく、オレのシナモン揚げパンへの偏愛を語ったものにした。


こんな曲をDTMで作るわけにはいかないのでしっかりと楽譜を書かせてもらった。
どこぞの学生さんの課題曲などになったら嬉しい。
それではまた次の曲でお会いしましょう。

まじでどこで買えるんだよ。

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